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- 2014年03月20日 10:59
「子ども若者問題・倫理委員会」設置のすすめ~格差社会と虐待社会のなかで
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小さい会場ではあったが満員盛況のなか白熱した議論が繰り広げられ、現代社会の中の、「子ども」をめぐる最前線の議論を行なうことができた。
パネラーは、メインゲストに弁護士の峯本耕治氏をお迎えして、2010年代の日本社会の子どもをめぐる現状を「子どもの権利」の視点から語っていただいた。格差社会になった今だからこそ、「子どもの権利」を学びなおすことは重要だ。
もう一人のゲストである大阪府立西成高校教諭の肥下彰男氏からは、同校の「反貧困学習」について、熱い報告をいただいた。
僕は、officeドーナツトークの「となりカフェ」の実践報告というよりは、大阪大学大学院で「臨床哲学」を学んだものとして、あるいは大学院修了後も「子ども若者の支援現場と『倫理』」について現場視点から考え続けたものとして、現状を語った。
僕の短い語りの内容は、超早口なので意味不明だったかもしれないが、「欲望と倫理」がテーマだった。
「欲望」のほうは、Yahoo!ニュース個人の僕の記事(貧困が「親の欲望」を暴走させる~その「愛」「所有」「逃避」)をベースに語った。
それは、脳死・臓器移植問題と同様に、医療関係者以外の専門家(弁護士や倫理学者)も含んだ生命倫理委員会に似た「子ども若者問題倫理委員会」のようなものが必要なのでは、という提言だった。
つまり、子どもや若者の問題は、「いのち」の問題だということだ。
倫理の専門家は入っていないが、大阪府西成区においては、幅広い専門家が集って協議する場(西成区要保護児童対策地域協議会〈要対協〉)が全国で唯一中学校区単位で設置されていることから、これをベースに「倫理委員会」を形成することもできるだろう。
「いのち」の問題が絡む時、そこには必ず「倫理」の問題が絡む。脳死ほどダイレクトではないが、たとえば「しつけ」と虐待の線引、親に尽くすことがその定義に含まれる「子ども」のあり方、ステップファミリー形成に至った両親の「愛」のあり方等々、普通世間で流通する「よい/わるい」という線引では簡単に判断することができない問題が重層的に積み重なっている。
そこではなかなか「一般論」では語れない。ケースごとにアセスメントして判断して(峯本氏)いくしかない。その、ケースごとの単独的決定を行なう場として、「倫理委員会」の設置を本気で検討してもいいのでは、と僕は思う。
虐待だけではなく、不登校や親による経済的搾取等も含めて、支援者は、徹底的に「子どもの側」に立つことができか。
説明能力があり社会の成員である大多数の「大人」たち(親・一部のカウンセラー・一部の教師・社会一般等幅広い)が主張する、大人たち(一般社会)サイドの論理と、子どもサイドの論理が異なった場合、あくまでも子どもの利益を再優先として子どもサイドに立ち続けることができるか。
実はこの議論は、子どもの権利条約が批准された20年前にもさかんに行なわれた議論であったが、あの頃と現代が異なるのは、当時はバブル崩壊前後の「総中流社会」であり、現代は完全に「格差社会」になってしまったということだ。
当時は子どもの虐待といっても本当に珍しく、社会の一部の現象だった。
が、現代は御存知の通り、虐待報道がない日はなく、児童相談所は虐待案件でパンク寸前になっている。
そうしたなか、「子どもの権利」という言葉には、20年前とはまた違ったリアリティが含まれたと思う。
そのリアリティの根拠が、「いのち」だということだ。現代は、子どもの「いのち」を守るために、「子どもの権利条約」という法律や「子どもの利益の最優先」という理念が最大の武器になってきた。
抽象的で進歩的なものだった「子どもの権利」は、具体的で「使える」武器として、20年たって生まれ変わったと思う。そんなことをしみじみ感じたシンポジウムだった。★
※Yahoo!ニュースからの転載
すご~くボケた写真でスミマセン。左より、弊社・辻田(司会)、峯本氏、肥下氏、筆者。
■「子どもの権利」、「反貧困学習」、「欲望と倫理」
3/18(火)、「高校中退・不登校フォローアップ事業」(大阪府委託事業)の枠内おいて、「高校生や10代の若者の権利と『保護者』とその背景を考える~高校生居場所カフェの現場から~」と題したミニシンポジウムを開催した。小さい会場ではあったが満員盛況のなか白熱した議論が繰り広げられ、現代社会の中の、「子ども」をめぐる最前線の議論を行なうことができた。
パネラーは、メインゲストに弁護士の峯本耕治氏をお迎えして、2010年代の日本社会の子どもをめぐる現状を「子どもの権利」の視点から語っていただいた。格差社会になった今だからこそ、「子どもの権利」を学びなおすことは重要だ。
もう一人のゲストである大阪府立西成高校教諭の肥下彰男氏からは、同校の「反貧困学習」について、熱い報告をいただいた。
僕は、officeドーナツトークの「となりカフェ」の実践報告というよりは、大阪大学大学院で「臨床哲学」を学んだものとして、あるいは大学院修了後も「子ども若者の支援現場と『倫理』」について現場視点から考え続けたものとして、現状を語った。
僕の短い語りの内容は、超早口なので意味不明だったかもしれないが、「欲望と倫理」がテーマだった。
「欲望」のほうは、Yahoo!ニュース個人の僕の記事(貧困が「親の欲望」を暴走させる~その「愛」「所有」「逃避」)をベースに語った。
■子どもや若者の問題は、「いのち」の問題
「倫理」のほうは、これだけ子どもやハイティーンをめぐる事件が連日続くようになったいわば「虐待社会」において、もう学校だけではそれら重い事件は扱いきれないだろうということを共有したかった。それは、脳死・臓器移植問題と同様に、医療関係者以外の専門家(弁護士や倫理学者)も含んだ生命倫理委員会に似た「子ども若者問題倫理委員会」のようなものが必要なのでは、という提言だった。
つまり、子どもや若者の問題は、「いのち」の問題だということだ。
倫理の専門家は入っていないが、大阪府西成区においては、幅広い専門家が集って協議する場(西成区要保護児童対策地域協議会〈要対協〉)が全国で唯一中学校区単位で設置されていることから、これをベースに「倫理委員会」を形成することもできるだろう。
「いのち」の問題が絡む時、そこには必ず「倫理」の問題が絡む。脳死ほどダイレクトではないが、たとえば「しつけ」と虐待の線引、親に尽くすことがその定義に含まれる「子ども」のあり方、ステップファミリー形成に至った両親の「愛」のあり方等々、普通世間で流通する「よい/わるい」という線引では簡単に判断することができない問題が重層的に積み重なっている。
そこではなかなか「一般論」では語れない。ケースごとにアセスメントして判断して(峯本氏)いくしかない。その、ケースごとの単独的決定を行なう場として、「倫理委員会」の設置を本気で検討してもいいのでは、と僕は思う。
■「子どもの権利」は武器
ポイントは、子どもの権利条約にある「子どもの利益の最優先」にあるだろう。虐待だけではなく、不登校や親による経済的搾取等も含めて、支援者は、徹底的に「子どもの側」に立つことができか。
説明能力があり社会の成員である大多数の「大人」たち(親・一部のカウンセラー・一部の教師・社会一般等幅広い)が主張する、大人たち(一般社会)サイドの論理と、子どもサイドの論理が異なった場合、あくまでも子どもの利益を再優先として子どもサイドに立ち続けることができるか。
実はこの議論は、子どもの権利条約が批准された20年前にもさかんに行なわれた議論であったが、あの頃と現代が異なるのは、当時はバブル崩壊前後の「総中流社会」であり、現代は完全に「格差社会」になってしまったということだ。
当時は子どもの虐待といっても本当に珍しく、社会の一部の現象だった。
が、現代は御存知の通り、虐待報道がない日はなく、児童相談所は虐待案件でパンク寸前になっている。
そうしたなか、「子どもの権利」という言葉には、20年前とはまた違ったリアリティが含まれたと思う。
そのリアリティの根拠が、「いのち」だということだ。現代は、子どもの「いのち」を守るために、「子どもの権利条約」という法律や「子どもの利益の最優先」という理念が最大の武器になってきた。
抽象的で進歩的なものだった「子どもの権利」は、具体的で「使える」武器として、20年たって生まれ変わったと思う。そんなことをしみじみ感じたシンポジウムだった。★
※Yahoo!ニュースからの転載



