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ゲーム理論による制度分析と「予想」(後編) - 松尾匡

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(前編)の続き

ところが、この手法で制度分析をした結果言えるようになったことは、技術的物質的条件もまったく変わらず、各自が能力あるか怠け者か等々という性質もまったく変わらなかったとしても、たまたま歴史的におかれた状態のいかんによって、同じ人が、ある場合は冷や飯を食って苦しんでいるけど、別の場合にはもっと幸せな暮らしになっていたかもしれないということです。そうするとこれは自己責任でもなんでもないことになります。現状よりもパレート優越した均衡がある場合はもちろん、それがなくても、現状の秩序で犠牲になっている人の境遇がもっと改善される秩序への移行を主張できる論拠になるのです(図)。

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図 予想による均衡への拘束

読者のみなさんは、この理屈の骨子が前回説明した合理的期待モデルの理屈と同じ組み立てになっていることにお気づきでしょう。

人々が将来予想を抱いたもとで、各自自分に一番都合がよくなるように振る舞ったら、その合成結果が当初の予想を自己実現するというところです。そして、合理的期待や完全予見を前提にしたモデルが、当初は資本主義万能論と思われていたけれどもそうではなかったというところも同じです。複数均衡が発生し、その中にはバブルのように、市場不均衡が拡大していく均衡もあることが説明できるようになったということでしたね。だから、よくない均衡を批判して、よりよい均衡を実現する政策的主張の論拠になるという点で同じになっているのです。

制度の崩壊を根拠づける議論

また、こうした分析の結果、ある制度が別の制度に変わることが、もっと客観的な条件から説明できるようにもなりました。

もともと青木さんたちがこのような分析を始めたときは、「アメリカにはアメリカの制度があるかもしれないけど、日本には日本の制度があって、それはアメリカの制度と同じくらい合理的なものなのだ」として、日本独自の経済システムを正当化する意図があったのではないかと思います。しかしその後、この種の研究はむしろ逆の結論、すなわち日本型システムが崩れていくという結論を導く論拠になっていったように思います。

すなわち、企業特殊的技能を形成することが日本型雇用慣行のすべての基礎にあるわけですから、企業特殊的技能が要らなくなれば、この制度の根拠が失われてしまいます。

工場の自動化が進み、そうかと思えば中小企業までこぞって発展途上国に海外移転して国内の工場をたたむようになって、製造現場の熟練はだんだんと要らなくなってしまっています。事務作業もIT革命で自動化が進んで、情報の共有化もなされ、長年の経験に基づく知識がものをいう分野はすっかり少なくなってしまいました。長かった不況の中で、中高年のベテランこそ真っ先に要らない者扱いされてリストラの対象になり、終身雇用の保証なんてないのだということがまざまざと示されました。企業の長期的成長なんて見込めないし、そもそも少子化で下の世代ほど人口が減っていくとなれば、入社後年を経ればだいたいだれもが数人の部下を持つポストに出世できるなどという期待もまた成り立たなくなります。

もしこうなったら、企業としては、自前のコストをかけて企業特殊的技能を形成させるメリットはなくなります。そうすると、各自自社だけでも、終身雇用制も年功序列制もやめてしまって、単純労働者かできあいの汎用的技能を持った労働者を雇った方が安上がりになると考えるでしょう。労働者側も終身雇用が保証されない中で、企業特殊的技能を身につけようというモチベーションはなくなります。各自自分だけでも、外国語なりプログラミングなり、汎用的技能を身につけて資格をたくさんそろえた方がいいと考えるし、そうでないならばそもそも技能形成から降りてしまいます。

みんなこう考えるわけですから、企業はみな日本型雇用制度をとらなくなり、労働者はみな企業特殊的技能を形成しなくなり、日本型雇用慣行の制度均衡は崩れてしまいます。こうしたことは、ゲーム理論のモデルでは、外生変数が変化するとナッシュ均衡の一つが消えてしまうということで表されます。

また、グローバル化で企業の海外進出や人材の国際化、取引先の国際化が進んでいくと、やはり日本型雇用慣行が崩れる要因になります。各自、自分が関係する相手のうち、多数者がとるやり方に合わせた方が得になるからです。このようなことは、あたかも環境に適した遺伝子が増えるように、メリットの多いやり方がまねされて増えていくという「進化論ゲーム」のモデルを使って分析されています。

現実には、さすがに多くの日本企業の場合は、仕事がなくなったからと言って簡単に正社員をクビにしたり、年功序列をまったくなくしたりというわけにはいかなかったと思いますが、そのかわり、正社員の新規採用を減らして、どんどんと非正社員に置き換えていきました。その結果、非正社員比率は三分の一を突破して、職場によってはほとんどを占め、いままで正社員がやっていた仕事と変わらないことをするようになっています。この人たちは、終身雇用も年功序列も適用されない人たちですから、事実上日本的雇用慣行は崩れつつあることになります。その上、正社員にもリストラや成果主義が適用されるケースも普通に見られるようになりました。

[*9]同上書第3章では、本稿のモデルに、各々の技能の適合性が異なる二つの産業を導入し、アメリカ型、日本型双方を凌駕するパレート最適均衡の発生を示して、しかし歴史的経緯によって、それよりパレート劣位にある、日本型またはアメリカ型の均衡にはまってしまうことを論じている。

企業別労働組合や人事部集権評価

さて、比較制度分析の研究者たちは、そのほかの戦後日本の特徴的な経済制度も、同様の手法でもって説明していきました。

例えば、戦後日本の労働組合は「企業別労働組合」と言って、職種にかかわらず企業ごとに組織されていました。欧米のように、企業にかかわらず職種ごとに全国的に組織される「産業別労働組合」ではなかったのです。これは、労働者側の握っている資源が企業特殊的技能である以上、それを社内でまとめれば経営側に対する交渉力になるからだと説明できます。汎用的技能に頼って生産している場合にはそうはいきません。企業内だけで労働者をまとめてストライキしても、経営側はよそからいくらでもスト破りを雇うことができるからです。この場合には、企業にかかわらず同じ種類の汎用的技能を持つ労働者みんな組織しておかないとこれを防ぐことはできません。

これも、いま日本でとりわけて労働組合の力が弱っているのは、企業特殊的技能が以前と比べて不要になって、非正社員が増えているからだと説明できます。従来の日本型企業別組合は、非正社員を仲間に入れず、最初の頃は低賃金の非正社員化が進むことを正社員の賃上げの原資ができるぐらいにみなして、かえって支持するぐらいでした。そのことがいまに至って自分の首を絞めていると思います。労働組合は、本来労働組合を必要とする数多くの労働者たちから、一部の、企業特殊的技能が評価される幸運に恵まれた、経営側への昇進予備軍からなる特権者集団とみなされてしまっているのだと思います。

また、戦後日本型雇用慣行では、昇進を技能形成のご褒美に使う仕組みでしたから、その評価を正当に行うためのしかけが必要になります。そこで、欧米のように特定の職種のエキスパートにするのではなくて、ひとりひとりを数年ごとにいろいろな部署にまわす、「ジョブローテーション」がとられることになります。個々の上司には、相性が合う合わないなどのバイアスがあるかもしれませんが、一人の人について、いくつもの部署を回して何人もの異なる上司の評価をそろえれば、公正な評価に近づけることができるからです。また、同じ人に対して他の上司と異なる評価をいつもつける上司は、評価の仕方にバイアスがある人だと判断できるでしょう。こうして、ジョブローテーションを回し、各自の昇進のための情報を集中するために、日本企業特有のスーパー部署「人事部」が必要になるわけです。

株式持ち合い・メインバンク・行政指導

さらに、終身雇用制を守るためには、一時的な景気の悪化ぐらいで従業員のクビを切るわけにはいきません。ところがそんなことをすると、一時的であれ業績が悪くなって、個人株主は配当がもらえなくて損だとか、株価が下がって損だと言って、株主総会で経営側に文句をつけたり、乗っ取り屋に株を売ったりしてしまうかもしれません。

これを防ぐために、十分な割合の株を、会社どうして持ち合いして、お互いそんなことで口出しはしないようにしました。これで個人株主の圧力を気にすることなく、短期的な業績悪化にかかわらずに終身雇用制を維持できました。

しかしこんなことをすると、野放図な経営を許してしまうかもしれません。そこで「メインバンク制」が機能を果たしたと説明できます。

株主の圧力を避けるために、株による資金調達があまりできませんでしたから、各企業は銀行からの借り入れに頼ることになります。銀行はリスクを抑えるために、融資団を組み、代表の銀行がその企業のメインバンクとなって、役員を派遣したりして経営状況をモニターします。そして、日頃は企業特殊的技能が一番力を発揮するような現場の判断に任せておきながら、いざ深刻な業績悪化が起こったとこには乗り込んできて役員を一新します。各企業の経営者は、万一しくじったらこんな目にあうことがわかっていますので、あまり野放図な経営をすることが避けられることになります。

そして、このようなモニタリングの役割を果たすことが銀行にとってちょうどメリットになるような、高すぎも低すぎもしない収益が得られるよう、官僚が規制や行政指導で銀行どうしの競争を抑えて利子を規制してきたと言えます。

このように、「日本型」とされるさまざまな制度のパーツは、お互いにつじつまが合うように組み合わさって、全体システムとして、企業特殊的技能形成を促進するための合理的な役割を果たしていたと解釈できるわけです。

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