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第9回 文化系女子、独身か、結婚か、――出産か

文化系女子の業(ごう)は、「自分はほかの人とはちょっと違う」というおごりに始まると思う。少女期にそんな思いを抱いて、そのまま理想の生き方を追求していくとどうなるか。親が現実主義の場合、そんな将来の青写真は、経済的にも一発大勝負に出るようなもので、普通は通用しないと教えるだろうし、それを受け止めてまっとうに就職したり、社会的に経済観念と勤労意欲のある男性と結婚したりして、出産と育児もこなしていくことを考える。文化系な嗜好も余暇の趣味の領域でとどまっていくだろう。

 でも自分が特別だと思ったまま年を取ってしまった場合、そして親も同様の考え方だったり、子どもの我が強くて親の抑止力がはたらいていないと、けっこう取り返しがつかない羽目になったりする。特に孤独なまま突っ走ってしまったとき、気がつくとなんの保証も手にせず、五里霧中の道にたった独りきり立ちすくんでいるような状態になる。

 近年見たなかでも、いちばん見返したくない映画の筆頭が『ヤング≒アダルト』(ジェイソン・ライトマン監督、2011年)だった。すでに本作をごらんになった方なら、不安定なフリーライターがこの映画の主人公に言及するのが、いかに鏡で自分の醜悪さを映し凝視するようないたたまれない気分になるか、察していただけると思う。

 メイビス・ゲイリー(シャーリーズ・セロン)は37歳、ヤングアダルト小説のゴーストライター。だがそのシリーズも人気が凋落し、現在とりかかっている作品で終了が決まっている。食事はファストフードやダイエットコーラですませ、アルコール依存症で、夜は強烈な酒で記憶をなくし、昨夜倒れこんで化粧も落としていない状態で毎朝目覚める。部屋着はスウェットで、血色の悪い顔をし、ボサボサの髪を無造作に束ねただけ。ひさびさに本作を見返していて、突然わたし自身がまさにその瞬間、スウェットパーカーを着て、化粧もせずボサボサの髪をゴムで束ねて、同じ格好のメイビス・ゲイリーを見ていることに気づいてぞっとした。

 おそらく人気作品の印税によって、メイビスはいまのところ経済的には安定しているようだ。しかしそのシリーズも終了が決まって自尊心が傷つき、スランプぎみで執筆は進まないといった折に、学生時代の元カレであるバディ(パトリック・ウィルソン)から届いた「子どもが生まれました」というメールを読んで、メイビスのバツイチで特定の恋人もいない孤独が爆発する。彼女はバディと自分は運命の絆で結ばれていて、ヨリを戻せると思い込んで故郷に戻ることにするのだ。

 以前、東京育ちの友人から「あなたの話を聞いていて、東京がどれほどキラキラして見えているかが初めてわかった気がする。必死になって地方から出てくる、あとがない感じも」と言われたことがある。ミネソタ州の都心であるミネアポリスに暮らすメイビスが、車でひさびさに帰郷するのは同じミネソタとはいえ、こぢんまりとしたいなか町だ。日本でも地方の国道沿いに「東京靴流通センター」がなぜかそびえたっているように、メイビスの出身地も閑散とした道路沿いに、ときおり無為に巨大なファストフードのチェーン店が立っている。この土地は、彼女が平凡さの象徴として捨てた、寂れた町だ。でもいまは、赤ん坊が生まれたばかりの元カレを略奪愛するために舞い戻る。

 はっきり言って、彼女の狂気度は相当高い。けれど衝動に駆られたときの向こう見ずさや、孤独が視界をくらませて現実から目をそらしてしまう意識は、苦しいほどよくわかる。たまたまバーで出くわした同窓生で、彼女の帰郷理由を聞いたマット(パットン・オズワルト)は、「バディには彼の生活がある」と当然の真実を告げて止めようとするのに、メイビスの耳には時空が歪んだように痛い話は届かず、「ハハハ! 彼の生活? 赤ん坊との退屈な暮らし?」と笑い飛ばす。

 確かにイカレてる。自分が望まない生活は、他人も当然望まないと錯覚するなんて、わかりやすいほど初歩的な狂気だ。でもずっと、わたし自身もおごり高ぶった気持ちで「ここはわたしの居場所じゃない」と思って故郷を離れ、いまの見通しもない不安定さと引き換えに送っている生活が示すものは、メイビスのこの放言と根底は同じだと思う。わたしには、他人の穏やかな幸福を想像できないメイビスを批判する権利はない。

 でも、彼女は赤ん坊のお祝いパーティーで略奪愛に失敗し、そんな晴れの場で「自分がバディと幸福な生活を送るはずだったのに」と、元カレの妻にどなりつける失態を犯してしまう。そして、町ぐるみで仲良く暮らす人々から「プライドの高い、孤独で狂ってしまった女」に対する、憐れみと恐怖のまなざしに囲まれる。これまではメイビスのほうがずっと彼らを凡庸な暮らしと軽侮して、そんな生活はまっぴらと見下していたのに。それが逆に、その彼らから「幸せでない女の狂乱」と見下ろされる、慄然とするような現実と屈辱。

 もし本作を、イタイ女が他人に迷惑をかける狂態の作品だと思って眺めている人は、この場面も自業自得と感じるかもしれない。実際そうだし、彼女の正常じゃない愛の対象となったバディはえらい迷惑を受けるわけだが、そこは相対的にだけ見るべきではないだろう。バディの家族らに与えてしまった問題とはまた別に、そんな醜態をさらしてまで過去の栄光にすがろうとした、1人の女の業が羞恥にまみれるのを、我が身のことのようにつらく感じずにいられない。あまりに深い孤独や不安定な精神状態のときに、過去の栄光や過去に愛した人、いま自分に優しくしてくれる異性に、依存しようとしたことのない人だけが、メイビスに石を投げる権利がある。

 この事件を起こしたあと、メイビスは消沈してマットの家に寄る。パーティーでジュースをこぼされ、汚れてしまったメイビスのワンピースを見て、マットの妹は軽い気持ちで「新しいのを買えば?」と言う。そう、ダメになったなら新しいのを買えばいい。でも、服だってかけがえのない思い出があったり、もう二度と出会えないほどお気に入りのものならば、買い替えはきかない。

 メイビスは泣きながら「幸せが見つからないの。他の人たちはなんの苦労もなく、それを見つけているのに」と心情を吐露する。本当に、周りが自然と絆の深い結婚をして、子どもに恵まれているように見える。そんな簡単な話ではないのはもちろんわかっている。孤独な人があふれていることも、幸せに見える人々だってみんな苦労していることも。でも、やはりどうしても、幸福は自分の手に入らない/幸福を他の人々が苦もなく手に入れている、錯覚とは信じられないほど常にひたひたと取り巻く、絶望的な感覚に惑う。

 そんな幸福を手に入れたように見える、文化系女子の家庭の内実はどうだろうか。1950年代、女性が家庭に入り子どもを持つのが必然と思われていた時代に生きたら、どんな状態になるだろう。

『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(サム・メンデス監督、2008年)は、まさに家庭に入ることが不向きだった女性の、折り合いのつかなさを直視した映画だ。フランク・ウィーラー(レオナルド・ディカプリオ)と女優志望のエイプリル(ケイト・ウィンスレット)は恋愛結婚をする。フランクは父親が勤めていた会社に就職して、郊外に家をもち、2人の子どもにも恵まれる。だがエイプリルが地元の劇団でヒロインを務めた芝居は不評で、彼女は自分の才能のなさに打ちのめされ、フランクの慰めの言葉さえうとましく感じてしまう。それ以来、家庭はギクシャクし始め、退屈な会社仕事に鬱屈するフランクは社内の女性と気のない浮気をしてみたりする。だが、エイプリルが不意にフランクが戦時中過ごしていたパリに移住することを提案し、彼女は熱に浮かされたようにそのアイディアに取り憑かれる。

 フランクは自主性がさほどない男性なので、エイプリルの「貯金もあるし、家を売れば半年は何もしないで暮らせる。パリは女性が政府機関の秘書で稼げるらしいから自分が働く。あなたはパリでやりたいことを見つければいい」と言われて、彼も会社を辞める決意をする。しかし好事魔多しで、やっつけ仕事で仕上げた書類が上司から高く評価されて、飛躍的な出世の道が開けたため、フランクは仕事への興味が湧いてくる。主婦は専業で生活費は夫が稼ぐのが当たり前の時代に、フランクが好機に仕事を続けたいと思うのは自然で、とても責める気にはなれない。

 そもそも、アメリカですら働いていないエイプリルが、「パリで政府機関の秘書」というあやふやな情報の下に突っ走っていくのは、もちろん映画に登場するフランクの友人や同僚も、そして観客も不穏な心持ちになる。だが同時に、一笑に付す人もいるかわり、ご近所の同世代夫婦はパリへの移住話を聞いた途端、彼らの非現実的な夢想にギョッとすると同時に、その自由な生き方に妬みの火花がちらつく。みんな郊外のマイホームでつつましく家庭を営んでいるが、世の中にはもっと奔放に、変幻自在な人生を謳歌する人間がいることもわかっている。でもそれは、限られた人にしか許されていないパスポートに思えて、最初から手に入れる気さえ抱かない。

 エイプリルはこの時代に生まれてしまった不幸せな女性で、実際にこうやって隠された家庭の内部で、心が崩壊しかけた主婦はいただろうと思う。『めぐりあう時間たち』(2002年)のジュリアン・ムーアが演じた主婦も、「ここは自分の居場所ではない」といういたたまれなさで情緒不安定となり、当時の女性の生きる規範に追いつめられた果てに、最終的にはルートをはずれ自分にふさわしい生き方を求めて出奔する。このジュリアン・ムーアが演じた女性には、規範では変えがたいセクシャルな問題が絡んでいたが、エイプリルはただただ、何もない郊外の閉塞的(と彼女には思える)一軒家で、退屈な日常を延々と繰り返すことに我慢がならない。それは現代でも、『ヤング≒アダルト』のメイビスが故郷を捨てた心境と変わらない。

 パリに行けばエイプリルは自分らしい生き方ができるのだろうか? それとも彼女が非現実的な夢を諦めて、フランクとこのまま安定した家庭を築く道を選択したら、幸福に生きられるのだろうか? 当たり前のことだけれど、「もしあのとき、その決断をしていたら」という問いに、答えはない。いつだって、すでにもう選んでしまった人生しかないし、未来の指標はどうしたってわたしたちには与えられていない。そのために女の子たちは「彼との恋愛はうまくいくの?」「いまの恋人こそ結婚相手なの?」といった占いに夢中になるけれど、残念ながら未来からの回答はないのだ。そして、映画には「描かれなかったもう1つの人生」も存在しない。もしエイプリルたちがパリへ渡っていたら幸福になっていたかは、まったく誰にもわからないことだ。

 フランクとエイプリルはパリ行きを決めたあとに、不用意なセックスで妊娠してしまう。だがパリに執着するエイプリルは、「出産が妨げになるなら堕胎をする」と言いだし、またフランクもけんかの際に「子どもなんてほしくなかった」と叫んでしまう。この映画は2人の幼い子どもがいるのに、あまりに部屋が整然としており、ほとんどの場面で子どもの気配がないことが不自然な欠点として指摘されるが、露骨なほど子ども用の物がないセットは、そもそもエイプリルが育児に興味がなかった心境を反映したゆえの演出だろう。ちょっとだけ登場する子どもたちは、とある場面ではエイプリルが感情に任せて子どもを叩き、すでに反抗心が芽生えた上の子は反発して母親から逃げ出している。

 誰もが出産や育児を望むというわけではない。繁栄や存続の摂理に反することだが、そういった精神をもった人も当然いる。だが、それは、映画内で女性があまりに正直に訴えた場合、裁きの対象ともなりうる。

 わたし自身の話。わたしは病気のために子宮を全摘出している。だからもう出産は不可能な体だ。いまこの文章を読んでいるなかにも、同じ経験をされた女性は意外に多いと思う。日常生活が困難なほど身体的につらかったり、将来ほかの病気の原因にもなりうることを思えば、それが正しいし、大勢の人が同じ選択をしている。だからそういった方たちに傷つかないでほしいのだけれど、わたしが記憶で引っかかるのは、自分自身の選択の仕方だった。

 婦人科医と手術に関して対話をしたとき、医師は前触れもなく急に、「子宮を全摘出するか、数年おきに筋腫を取る手術を繰り返すか」どちらかを選択するように質問した。そして「手術を繰り返す負荷を考えると、全摘出のほうが負担は少ないでしょう。子宮にこだわりがあるならまた別ですが」と説明した。さすがに一瞬絶句したけれど、結局その場で10秒ほど考えただけで、わたしは「子宮の全摘出をします」と答えた。いま、まだ子宮があったとしても子どもを産むつもりはないし、わたしの性格では育児なんてできない。そしてまさにその場では、自分には子宮へのこだわりがなかった。でも、ほとんど迷わなかったことが正しかったのか、これらの映画を見ると、その記憶にふっと悪寒がするように蝕まれる。

 最近のアメリカ映画やドラマは中絶を意識的に避けた描写が多い。保守派の台頭で危うさをはらむ腫れ物のように、妊娠はネガティヴなものではなく、できれば出産を望むようにストーリーが展開する。そんな風潮のなかで『ヤング≒アダルト』のメイビスは、バディの赤ん坊をエイリアンでも見るように遠巻きに見つめ、彼が「赤ん坊との退屈な暮らしから逃げ出したがってるはず」と思い込む。だが赤ん坊のお祝いパーティーの場で、20歳のときにバディの子どもを妊娠したのに、「流産して下半身がメチャクチャになった」と訴える。でもそれは宿命であって、「自分のいるべき場所」としてミネアポリスの独り住まいの家へ戻っていくラストこそ、彼女らしい姿で――破滅的な言動に、映画は流産という咎(とが)を与え、出産や育児に所詮向いていなかったのをあらわにする。彼女は現代のエイプリルなのだ。そしてエイプリルは出産してもネグレクトに近い状態であり、いま現在妊娠している赤ん坊も、無謀にも自分1人で堕胎しようとして悲劇に向かう。出産をおろそかにする宿命の女の末路。

 映画が表すこういった符牒が、重く息苦しい空気を降ろす。これらの映画に、罰を受ける自分の未来を重ねて見たくない。そんないわれはないはずだ。なのにそれでもこうやって、いまだにあまりに軽く失ってしまった子宮の桎梏に、ずっと囚われたままでいる。

 次回は最終回です。テーマは「ガールズ・コメディ・ムービー!」

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