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「現代日本を怪物化した対日外交は失敗」その3―論議呼ぶ中国の識者ブログ

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[Ⅲ]中国の対日外交が失敗である理由

 中国の対日外交はなぜ失敗なのか? 2012年下半期、尖閣諸島の争いが引き金となり、中国国内の反日感情が高まって日本車を焼き討ちするという過激な行動があった。私は当時、ミニブログに投稿した。大まかな内容は、私はトヨタ車に乗っている。私の車を壊す者がいたら、そいつをひき殺してやる、というものだ。

 少し極端かも知れないが、この点はわかってほしい。つまり、もし公民が自分の合法的私有財産を保護できなければ、民主や法治など大口をたたけないし、愛国などなおさら口にできないはずだ。愛国の名の下、私権を破壊する行為は、すべてごろつき国家のならず者の行為だ。

 日本製品をボイコットする愛国者たちは好んでこう言う。日本車を買うことは、日本人に、中国へ打ち込むミサイルを買う金をやることだ、と。経済のグローバル化が進む今日、中国はなぜ、こんなに多くのくだらない愛国者を育てたのだろうか?これが恐ろしいところだ。この視点から言うと、これは中国教育の失敗だけでなく、同時に中国の対日外交の失敗でもある。国家の戦略目標の2大基本的手段は、平和外交と武力行使である。

 第一次世界大戦以前、外交は基本的には君主間で行われ、民衆には直接関係はなかった。しかし、社会の進歩や商業関係が密になるにつれ、また教育が普及し、民主社会の建設やメディアが発達するにつれて、外交はますます民間化してきた。国のプラスのイメージづくりを目標とした外交もある。このような外交にはとても聞こえのよい名前がつけられている。大衆外交あるいはメディア外交である。

 中国は、プラスの国際的イメージをつくるための外交を非常に重視している。1972年、中米歩みよりと中日国交回復以前、中国の国際的な(広大な第三世界を除く)イメージは好戦的で、みだりに武力を用いるというものであった。

 このようなイメージを変えることに成功したのは「パンダ外交」によってである。すなわち、多くの国に中国の国宝であるパンダを贈呈した。パンダの愛らしいイメージは、中国の国際的イメージの改善に大きく寄与した。これは大衆外交成功の模範事例である。当時、中国のパンダがアメリカに到着したとき、アメリカ人8000人が雨の中、動物園で「はるか遠くの神秘の国」(ニクソンのことば)からやってきたパンダ2頭を出迎えた。

 1972年10月28日、わが国が日本に贈呈した「ランラン」と「カンカン」は、日本の専用機に乗せられた。専用機が日本上空に達すると、日本政府は戦闘機を特別に配備して護衛にあたらせた。また、内閣の主要メンバーが空港で出迎えた。この「友好の使者」が一般公開された日、入場者は1キロにおよぶ列をつくった。

 1972年は中国の現代史上、非常に重要な年となった。ニクソンの訪中、宿敵であった中米両国が協力をめざした。もう一つ重要な出来事は中日国交正常化である。この年、周恩来と田中角栄は中日国交コミュニケに調印した。すなわち、中日間の4大枠組文書の最初の文書である「中日共同声明」である。非常に多くの人が、日本はニクソン訪中を受けて、中国との国交回復に積極的に取り組んだと考えているが、私は、中日双方にとって必要だったからと思っている。さもなければ、声明に、中国側が自主的に申し出た妥協など出てくるはずがない。特に声明本文の第五条「中華人民共和国は、中日両国人民の友好のため、日本に対する戦争賠償要求を放棄する」である。当然、日本は戦争賠償をしないことなど、国際的に早くから決まっていたのだ。

 中日共同声明本文の第二段の冒頭には「日本側は過去の戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」とある。これで、その後日本の歴代政府の歴史問題に対する基調が決定され、中国側が獲得した妥協となる。「心が痛む」「反省」は日本側がもっともよく用いる言葉であり、たまには「謝罪」ということばも見られる。

 2001年、小泉純一郎首相が中国人民抗日戦争記念館を見学した際、「あの侵略戦争で犠牲になった中国人民にこころから謝罪と哀悼の意を申し上げる」と述べた。また、小泉は見学後、「忠恕」と揮ごうした。小泉のあの訪中は私にとって今でも印象深い。当時の外務省アジア局長、現在、外務次官の傅瑩(クサカンムリに宝)は、かつて国防大学で、小泉の抗日戦争記念館見学の詳細を紹介した。当時、私は両国の外交部門の努力にとても感動した。

 1978年8月、中日間で第二の枠組文書「中日平和友好条約」が締結された。調印に先立ち、鄧小平副総理は、「尖閣諸島問題は後にゆっくり解決すればいい。中国政府は(尖閣諸島の)主権争議を棚上げにし、解決は後世に託すことを明言する」と表明した。これもまた妥協の一つである。当時の鄧小平はすでに改革開放を決定していたし、日本は中国の改革開放でもっとも重要の援助国だからである。同年10月、鄧小平は日本を訪問した。

 その後の中日関係は蜜月時代に入り、日本の資金、技術、製品が中国市場に入ってきたほか、日本の映画、テレビ番組など文化も入ってきた。中国は鑑真和尚をたたえる映画を制作して、中日の「一衣帯水」の伝統的友好をキャンペーンしたのであり、現在、中国テレビでよく放送されるような日本兵をやっつける内容とは異なる。

 中日友好には象徴的な大衆外交事案がある。1984年、胡耀邦が日本青年3000人の訪中を招請したことである。3000人という天文学的数字を日本に伝えたとき、日本の首相はまったく信じられない様子で、それが確かに信じられるとわかったときには、中国側の気前のよさに感動した。この日本青年3000人は、日本の47都道府県の各界からの参加者である。訪中団の送別会で、当時の首相中曽根康弘は日本青年に向かって、力をこめて中国青年と握手をし、大きな声で中国青年と合唱するよう呼びかけた。

 1989年、中国侵略戦争の元凶である、日本の天皇裕仁が世を去り、中国は銭其琛外相を国家主席特使として訪日し葬儀に参列した(参考:銭其琛「外交十記」)。

 1992年は中日国交回復20周年の祝賀の年、日本の明仁天皇が、中国の楊尚昆国家主席の招きを受けて訪中した。楊尚昆は歓迎宴で歴史問題をこのように述べた。「残念なことに、近代史における中日関係には不幸な時代があり、中国人民は大きな災難を受けた。「過去のことを忘れず、後の戒めとする」歴史の教訓をしっかり心に刻むことは、両国民の根本的利益に合致する」と。

 楊尚昆のこのときの対応は、今からみると、非常におだやかであった。私からみれば、当時の中日関係は良好であっただけでなく、宴会の雰囲気をこわさないという配慮があったと思われる。さらに、明仁天皇は、中国の天安門事件後に訪中した西側諸国最高の国家元首であったため、私たちにとっては、西側の制裁を打破する重要な象徴的意味があった。

 明仁天皇は挨拶で、日中両国の交流の歴史を振り返り、やはり「中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期があった」と述べ、「これは私の深く悲しみとするところ。戦後、日本国民が戦争を繰り返さないとの深い反省に立って平和国家建設を決意した」と述べた。

 中国の指導者の、歴史問題に対する温かいことばは、1998年の江沢民国家主席の訪日をもって終了した。明仁天皇と美智子皇后主宰の宮廷宴の席であれ、首相主宰の国宴の席であれ、江沢民は多少なりとも気まずい思いをしている来賓に対して「前世紀末から今世紀中葉にかけての50年間、日本軍国主義が何度も中国侵略戦争を発動し、中国人民に甚大な損害をもたらし、また日本国民に痛ましい教訓を残した・・・・中日両国は、歴史を鑑とし悲劇を繰り返さないことによってのみ、長期にわたる友好を発展させることができる」(「江沢民伝」引用)。

 江沢民の訪日で中日間の3つ目の重要文書「中日共同宣言」が発表された。歴史問題についてこの文書では次のように述べている。「双方は、過去を正視し、歴史を正しく認識することが中日関係発展の重要な基礎となると考える。日本は、1972年の中日共同声明および1995年8月15日の内閣総理大臣の談話を順守し、過去の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明する。中国は日本が歴史の教訓をくみ取り、平和発展の道を堅持するよう希望する。これを基礎として、両国の長期的な友好関係を発展させる」。これは、これまでの正式文書の中で、中国側のもっとも強力な表記となっているが、依然日本側の謝罪のことばはない。中国側は日本人にどのような謝罪を求めているのか?

 朱镕基首相は2000年に日本を訪問した際、日本のテレビ局で100人あまりの日本人観衆と直接対話をした。ある観衆が「両国首脳が会談するとき、中国は毎回日本に謝罪を求めているが、私たちの謝罪はいつになれば完了するのか?」と質問したのに対し、朱镕基首相は「一点注意をしておきたい。日本のあらゆる正式文書に、中国人民に対する謝罪の言葉は一切書かれていない。よって、中国がいつまでも日本に謝罪を要求しているとは言えない。謝罪するかしないかはあなたがた自身の問題であるが、私たちは、あなた方がこの問題を考慮するよう望む」と答えた。

 分かりましたか?中国は日本が正式に書面で謝罪するよう求めているのだ。日本国内の政治体制にもとづくと、これは達成不可能な目標のようだ。1972年から2000年の中日の重要文書で歴史問題はどのように処理されているかを簡単に振り返ってみた。そうすると、歴史問題における、中国の日本に対する姿勢が、軟弱から強硬へ、不明確から明確へ、あいまいから確実へと変化していることがわかる。そこで一つ質問をしてみたい。以前、中国は中日の歴史問題で妥協したが、2000年前後から妥協しなくなったのはなぜか?

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