- 2014年02月27日 20:04
いわゆる「社会人基礎力」に関するメモ
2/2・しかし、もう一度言うが、社会人基礎力やキー・コンピテンシーは客観的な数値化が大変難しい能力である。
・社会人基礎力は「大学のみで育成する力」でもなければ、「客観的な数値に落とし込み、成績評価に組み込む」ことができるたぐいの力ではない。
・大学の授業の中で無理やり数値化しようとしたり、ましてや成績評価に組み込こもうとすることは、ある意味教師の思い上がりであり横暴であるとさえ言っても良いのではないだろうか。「オレは人を見る目があるから、じっと見ていれば、学生の社会人基礎力をちゃんと評価できる」なんて言っている人に限って、茶坊主に取り囲まれていい気になっているだけのことが多い。
・社会人基礎力やキー・コンピテンシーのみが、社会で必要なスキルであるわけではない。アカデミックな専門的スキルや、高度職業スキル、あるいは教養など、いずれも社会で有用なスキルであることは忘れてはならないと思う。だからハイパー・メリトクラシーを批判する本田由紀の主張は、現状をみれば正当性があると思う。
・さらに重要な点は、「ふりかえり」能力とは、言語表現能力そのものであることだ。言語能力が低ければ、メタ認知能力は必然的に低くなる。もちろん、言語能力が高ければメタ認知能力が高くなるというものではないが、メタ認知は、言語能力に依存する部分が大きい。
・就活の時に企業は学生の社会人基礎力が大事だということが多いが、採用担当者は学生の社会人基礎力を直接観察できるわけではない。それは、文章や口頭の言語表現を通じて理解するしかない。学生の行動を直接長い時間かけて観察するような採用方法は普通は取れない。
・だからエントリーシートを「盛る」ことと面接対策に学生は命をかけるのである。それで採用担当者のウラをかけると思っているからだ。それはある程度あたっている。同じ経験をしても、非常に説得力のある言葉でその経験を表現できていたら、当然評価は高くなる。それは就活対策というトレーニングである程度可能なのである。
・しかし大学教育に携わる人間としては、もっと根本的なところに立ち返って、社会人基礎力やキー・コンピテンシーが結局のところ「言語能力」「文章表現能力」と深く関わっている点に注目すべきである。
・OECDは、キー・コンピテンシーのうち、「課題」面を中心に、テストで測定できる能力をPISAとして独立させた経緯がある。PISAは主に、知識活用力(リテラシー)を扱っている。同様の分野にAHELO、PIAACがある。
・社会人基礎力を伸ばすためには、その必要条件である「言語能力」「文章表現能力」を伸ばすことをもっと重視すべきだと思う。
・それは文章表現科目といった授業を通じて伸ばすこともできる。初年時教育においては重要なアプローチである。
・もっと重要なのは、専門教育を通じて深い言語能力をつけるという大学固有のアプローチである。例えば「卒論」を書くことは、必要条件としての究極の社会人基礎力育成プログラムになり得るはずだ。
・最近は、卒論が書ける学生が少なくなったからといって、卒論が廃止された大学が結構あるようだ。だが、大事なのはむしろ逆で、卒論が書けるようになるために、初年次からどのようにカリキュラムを組み立てていくか、という視点が必要だろうと思う。実際にそのようなアプローチを取っている大学は増えているように思う。
・社会人基礎力については、その育成方法や評価方法など、多くの大学でもっと議論されていくべきだろう。「文科省は、経産省由来の社会人基礎力という言葉を嫌うから、対文科省の申請書には使わない方がよい」などという、どうでもいいことを議論するヒマがあったら、もっと大切なことがあるはずだ。
・文科省のいう「学士力」は、「専門的知識とジェネリック・スキルの両方を大学の教育目標に含めるべきだ」というメッセージであると解釈できる。「①知識・理解」は深い専門知識、「②汎用的技能」「③態度・志向性「④統合的な学習経験と創造的思考力」は、広義のジェネリック・スキルである。これらが相互に結びついて渾然一体となっているのが、実は「学士力」の正体だと思う。
・学士力の分類が他のジェネリック・スキル論と比べて独特の分類なのは、初等・中等教育の学習指導要領との連動性を意識しているからだと思う。学士力の分類は小学校の通知表と似たところがある。だから、小学校から大学までの大きな流れの最後の部分として「学士力」を位置づけているのではないか。「学士力」は「生涯学習」の流れの中の一つの通過点として捉えられているのだろう。
・だから、経産省も文科省も大学教育は生涯学習のプロセスの一つという趣旨の部分で大きくずれているわけではない。
・生涯学習という考え方そのものを最も鋭く批判しているのが芦田宏尚先生(大変お世話になっているので呼び捨てはできません)だろう。確かに、生涯学習の観点を強調すればするほど、学校教育の独自性や存在意義は希薄化していくのである。
・結局のところ、大学で社会人基礎力を育成しようとするならば、「問題を解決するために知識を使いこなせる力」「自分の意見を述べるための知識、意見を述べるための考え方を育成する」ことを、もっと見据えるべきではないかと思う。それが「大卒人材としてふさわしいレベルまで学生を引き上げる」一つの方法だろうと思うのだ。



