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『偉大なる常識人たれ』

アルベルト・アインシュタインの言葉に、「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う」とありますが、此の常識ということで言うと、拙著『出光佐三の日本人にかえれ』(あさ出版)の第二章「魂を培ったもの」において、私は「無から有を生ずる人」「不可能を可能にする人」「今まで非常識だとされていたことを常識に変える人」のどれかに該当する人が偉大な人だと定義しました。

あるいは、『2011年度入社式訓示』では「常識程度の事しかしない人は常識程度の結果しか生まれません。(中略)凡人がする1000倍の努力をして常識を逸脱するような人間になって貰いたい」と新入社員に伝え、先月発売された月刊『THE21』向けのインタビューにおいては「時代が変われば、非常識が常識に、不可能が可能に変わることがあります。時代に合わせて、柔軟に考えることが必要です」と話したこともあります。

常識と言った場合、例えば古代・中世の宇宙観である地球中心説「天動説」という一つの常識に対して、「地動説」という非常識的な太陽中心説を主張したガリレオ・ガリレイが、「宗教裁判でその説を撤回させられたときに、つぶやいた」とされる「それでも地球は動いている」という言葉は、正に「コペルニクス的転回」でありましょう。

2年半程前のブログ『ノーベル経済学賞に対する私の考え方』でも述べた通り、こうした物理や科学といった世界においては、新理論が証明され事柄の当否というのが明らかにされて行く中で、常にそれまでの常識が非常識という形で塗り替えられ、そしてまた新たな常識が創られて行きます。

他方、そういった意味での常識・非常識というのではなく、人間生活の中において「あの人は非常識だ。人間としての常識がない」といった意味でも常識という言葉が使われますが、それはどちらかと言うと、上記したような何れ常識が覆るような物理的・科学的世界とは違います。

それは長い歴史の積み重ねの中で醸成され、その民族が形づくってきた一つの民族的な常識あるいは民族的世界から始まった人間としての常識というものであり、之は新たな発見によって一気に180度変わるという、サイエンティフィックなものとは結構違ったものです。

最近は此の意味での常識が欠如しているというケースが少し目に付くように思われて、例えば半年前にも『「ネットで醜態さらす若者たち」に思う』というブログを書きましたが、アイスの冷蔵ケース内で寝転ぶとかラーメン屋で急に皆ヌードになるというふうに、その人達の奇行の動機が一体何なのか小生には理解できません。

彼らにあっては、常識というか人間として当然あるべき道徳的・規範的なものから逸脱し兎に角「自分が目立ちたい」といったように、その動機がまるっきり普通の常識で考えられないものになってしまっているというわけで、こうした常識の欠如に対して私は本当に理解に苦しむと共に憤りすら覚えます。

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