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大学の質保証とは何か

1.流行語としての「大学の質保証」

 最近、大学関係者や文部科学省関係者の間で頻繁に使われる言葉がある。それが「大学の質保証」だ。質保証という言葉は日本というよりも、米国や欧州、国際機関で使われ始め、日本でもこの2-3年頻繁に用いられるようになった。最近では、中教審の答申でも用いられており、高等教育の政策的な課題として扱われている。

 だが、”質”とは何を意味するのか。その定義や解釈は曖昧模糊としている。曖昧模糊としたまま様々なところで用いられるので、現場では混乱しがちだ。過去1年間の大学教職員向けの研修動向を調べたが、「質保証」というタイトルのついたセミナーやシンポジウム数は増加傾向にあるものの、その内容は種々雑多な印象は否めない。実のところ主催者も質保証について明確なイメージを持たずにキャッチフレーズとして用いているようにみえる。では、大学の”質保証”とは何を意味するのか。

2.大学政策小史にみる”質”の意味の変化

 高等教育政策の歴史は、大きくエリート段階、マス段階、ユニバーサル段階に区分して捉えることができるが、教育水準や体制に関する認識が大きく異なることがわかる。

 エリート段階とは1877年の東京大学創設を皮切りに、戦後の新制大学の発足期頃までをさす。この時期はエリート層の養成に重点が置かれており大学進学率も低かった。そして、厳しい入学者選抜によって教育の質が担保されていたと考えられる。つまり、優秀な学生を集めることで、自ずと教育の水準は高く、卒業生の水準も半ば自動的に担保されていた恰好だ。

 マス段階は、1947年の新制大学の発足時期から80~90年代頃で、大学進学率が大きく向上し、学生数が急増した時期をさす。新制大学の発足とともに規模や水準の異なる教育機関が大学となった。70年代になると、定員を大幅に超過して学生を受け入れる大学が続出し、教育環境の悪化が指摘されるようになった。

 他方で、近い将来、18歳人口が横ばいになることが見込まれており、大学数抑制策を打つ必要があった。75年から4回にわたって策定された高等教育計画(5か年計画)はこれらの抑制策を目途に打ち出されたものだが、その時のキャッチフレーズが「量から質」であった。つまり、量とは定員超過のことであり、”質”はその対概念として用いられていた。

 ユニバーサル段階は、大学進学率がほぼ50%に達し、大学に通学することがごく普通の社会になった時期をさす。この時期、政治主導色の強い高等教育政策が目立つようになる。たとえば、橋本内閣下で、大学の自己評価が義務付けられ、第三者評価制度が提唱されたが、橋本行革の影響を見てとることができる。また、小泉政権下では自由化路線が敷かれ、株式会社立大学が認可されたり、ビルのフロアでも大学を開設できるようになった。そして、この時の政策キャッチフレーズが「事前規制から事後チェックへ」だった。つまり規制緩和をして入口は緩くするかわりに、事後の評価をしっかり行うということだ。そして2004年には認証評価制度が施行されたが、評価の対象は、教育課程のみならず、大学の管理運営、ガバナンスのすべてとなった。つまり、この時期の”質”とは、入口から出口までの教育サービスの全工程とそれを支える大学体制をさしている。

 以上のように、我が国の高等教育の”質”は、エリート段階でエリートと学生を中心に施されていた教育水準の高さを、マス段階では定員を順守することを、そしてユニバーサル段階では、教育課程やそれをつかさどる大学運営体制全体をさしていたことがわかる。

3.誰のための質保証なのか

 では、質保証は、誰のために何を保証しようとしているのだろうか。米国や英国では、質保証は消費者保護という意味が強い。高額な授業料を支払う学生(消費者)に対して、大学が提供する教育サービスが確かなものであり、さらには大学が授与する学位が信用できるものであることを学生に対して保証することが求められている。大学も学生も多様化し、ピンキリの状況下、学生という消費者に対して教育サービスとそこで得られる学位の信頼性を明確に示さねばならなくなったということだろう。

 だが、日本の場合、学生への消費者保護というよりも、別のプレッシャーが質保証へと駆り立てているようにみえる。ひとつは行政改革的なプレッシャーで、公費が投じられた機関、公的な存在としての説明責任としての質保証がある。そして、もうひとつは産業界からで、彼らが雇用する卒業生の”質”に責任を持ってほしいというプレッシャーだ。そのように考えると、産業界が求めているのは教育課程というよりも、教育課程の結果について保証を求めているようにみえる。つまり、学生が大学で何を学び、どのような能力を身につけたのかを証明することだ。だが大学生の学習成果の検証方法はOECDはじめ、世界大で取り組まれているものの未だに明確な答えが出ていない。また卒業生の資質は大学教育のみで培われたものでもないはずだ。それを大学の責任として保証を求めるというのも過分すぎるようにみえる。他方で、大学が授与する学位の信頼性について再考せねばならないことも事実だ。

 ”質”という言葉は、大学教育に関連する種々の難題を包み隠してしまっているようにみえる。誰が、誰のために何を説明しなければならないのかについて真正面から具体に議論しなければ、高等教育に山積している課題の解決に容易に近づくことができないと思う。

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