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「佐村河内守氏の耳は聴こえていた」新垣隆氏が会見

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「HIROSHIMA」という名で発表されると聴き、大変驚いた。

―交響曲「現代典礼」が、「HIROSHIMA」に変わった経緯、どういう心境だったか。

最初にゲームの音楽のための曲をつくり、それがCDが発売されました。それがユーザたちの中で評判を取りまして、そのあと彼から、一枚のCDに収まるような、ゲームではなくオーケストラの作品をつくりたいという希望を聴きました。それを発売するのだと、そのために1年間で作ってくれということで、引き受けました。結果的には私は事情はわからないのですが、それは発売はされずそのままになっていました。

もちろん、そのときには、「HIROSHIMA」というタイトルではありません。数年後に、そのオーケストラ作品が、「HIROSHIMA」という名で発表されると聴いたときには、大変驚きました。

―バイオリニストみっくん、そのご家族への思い、これからどのようなお付き合いをされるのか。

彼女にはぜひ、あの曲を弾いてほしいと思っています。彼女と家族のみなさんに対してはこれからも音楽を通じてコミュニケーションしていきたいという思いが強くあります。

―こういう会見をして謝罪するのはけじめだが、社会的な部分、身の処し方を教えて下さい。

できることならば、私の音楽の仲間たちとともに、音楽活動を続けていきたいと強く思っています。

やはり彼との共同作業であると思う

―みっくんに音楽を弾き続けて欲しいと言われましたけど、その一方で著作権を放棄したいとおっしゃいました。この曲は残したいという曲と、佐村河内さんのために書いたので、自分の曲ではないという思いもあると思います。自分の音楽と、佐村河内さんのための曲を作るときには、気持ちが違うのか。

佐村河内さんのために曲を書くという面もありましたが、彼との関わりの中で作品が生まれるということなので、それはやはり彼との共同作業であると、私は全ての作品において思うのです。それと同時に、どれも全て私の出来る限りの力の範囲で作るものであり、そういう意味ではひとつひとつが非常に大事なものです。

―なぜ、週刊誌上での告白という形になったのでしょうか。ソチ五輪が開かれますので、大変厳しい言い方ですが、売名行為になるという向きもあると思います。

高橋選手には、そういう状況のまま踊って頂くことは非常に良くないことではないかと思ったからです。

―佐村河内さんの障害者手帳ですとか、それを証明する公のものを見たことはあるんでしょうか。

はい。一度だけ見せられたことがあります。手帳です。

―何級でしょうか。

そういうのは記憶にはありません。それは彼が、自分は耳が聴こえないんだと、世間にそういうスタンスを取った直後です。

―佐村河内さんがどの程度まで関わっていたかというのを具体的に教えて下さい。出来上がる途中でどのように関わっていったか。

ピアノの「鎮魂曲」の場合ですと、私がいくつかの音のモチーフ、断片の譜面をかき、それをピアノで録音し、それを彼が聴き、その中で、彼がいくつか選んだ断片をもとに、あとは私が全体構成を作曲するというプロセスでした。

―こうしてほしいというやりとりもあったということでしょうか。

そうです。

―聴覚の程度なんですけれども、音楽を聴きながらやりとりできるということは、ふつうの方と同じということでよろしいでしょうか。障害者手帳を詐取しているということなのか。

わたしは、彼と普通のやりとりをしていたのです。やはり、それは違うのではないかと思います。

―であれば、なぜそういうことをしているのか、本人の口からはどういう説明があったのか。

最初は、私に対しても少し耳が悪い状況であるということを示してたのですけど、でもやりとりしているうちに、だんだん戻ってきたと、そういうことがありました。やがてはそれもなくなりました。耳が聴こえないんだということうぃ示すための、外に向けての行為をしていたのだと思います。

―耳が聴こえない、という方が、CDが売れるのではないかと趣旨のことを発言されたことがあるという理解ですか?

これからはそういうかたちで行く、ということを聴いた記憶はあります。

―いつくらいのお話でしょうか。

それはゲーム音楽が発表された後です。

「みずいろのまち」については知らない

―3月に発表される予定だった福島県本宮市民の歌「みずいろのまち」については。

それは初めて聴きました。私は関わっておりません。

―作った記憶のない曲は。

さきほどの歌の曲は私は知らなかったです。自分の認識の中では、彼のほぼすべてを自分が担当している、ということです。

―今後、曲がお二人から離れて、自立していきていくということですけれども、高橋さんがソチで利用できなくなるといったことを防ぐためには放棄をしたほうが良いという判断か。

ちょっと私は詳しいことはわかりませんけれども、高橋選手があの曲で演技することが実現されなければならないので、そのための何か手続きが必要であれば、絶対しないと行けないと思っております。

―20曲で700万円ということですが、報酬面で不満に思ったことはありませんか。売れれば売れるほど、報酬が来ればいいなと思ったことはありませんか。金銭面にまつわるエピソードがあれば教えてください。

私が譜面を作り、それを渡し報酬を受け取るのは自然のことと思っておりました。彼が受け取ったあとは、もう彼のものなわけですから、彼がどう扱ってもいいということだと思っています。ですので、その後についてのことは私は一切タッチしない、したくないという気持ちがありましたから。そのようなことです。金銭トラブルは無かったと思います。

彼の情熱と私の情熱が共感しあえた時があった

―著作権を放棄されたということですが著作権料や、レコードを回収したことなどでの損害についてはどのように処理されるのか。佐村河内さんなのか、それとも新垣さんも払われる予定はあるのか。

そのことについては、どのような形で償えばいいのかということは、まだわかっておりません。

―18年間という密度の濃い時間。ゴーストライターという職業に徹していたとお見受けします。最初に会った時から友情であったり、そういう感じで結びついていたのか。それが変わったというのは、彼自身が脚光の中で、人間が変わっていくのをお感じになったのか。佐村河内さん変質がありましたら教えて下さい。

自分が取った映画の仕事を自分のアイデアで実現したいという思いがあり、そのために音楽に当てられた実際の予算を大幅に超えた、自分でお金を出してメンバーを雇いスタジオを借り、私が協力し、という形で作ってきました。彼は非常に強い、自分のやりたいことを実現されるために頑張ったんだと思います。そのようなことは度々あったと思います。そのような彼のことを非常に偉いなと私は思っていたんです。

彼が変質かどうかというのは私はそんなに感じてはいなかったかもしれません。彼とは基本的に彼が依頼をし、それを譜面をつくり、それを渡すというそれだけのやりとりを保っていました。その中で、なお、やはり彼の情熱と私の情熱が、非常に共感しあえた時というのはあったと思っています。

―新垣さんが止めることの出来る立場だったわけですが、止めたときに、彼からどういったコメントがあったのか。

やはり耳が聴こえないのだということを言い出したとき、非常に戸惑い、その必要があるのかどうかと思いましたが、このような関係を成り立たせるための方法であったということは私はそれを了承していたので、やめたいと直接言ったのは最近になるわけです。それまで彼にはっきりと自分の意志を伝えたことは無かったです。彼から依頼を受けるというごく普通に続けていました。

やはり、私はゴーストライターとしての役割を果たすためには、それが知られてはならないので、なるべくそれがやりやすい状況を望んだのは否めないです。

―純粋な芸術家としての創作物という立場から見て、共作者としての位置づけであったのか。それとも仕事を持ってきてくれるプロデューサーというような認識だったのか。

彼は実質的にはプロデューサーだったと思います。彼のアイディアを自分が実現する。彼は、自分のキャラクターをつくり、それを世に出したということで、彼のイメージをつくるために、私は協力をしたということだと思います。

―先ほど見ていただいた楽譜の写真なのですが、あれは新垣さんが作ったとのことですが、どのように作っているのか。

どういう音を選ぶのか、というのは私が全部やっている。ある種のイメージを彼から伝え聴いて、という感じです。

―指示をされたということになるのか?

彼が、どういう曲が欲しいという指示から始まるものです。それを受け取って私は作業を始めるということです。

―佐村河内氏は譜面がかけたのですか?

彼は書けません。

―被爆者の方への思いは?

音楽とは別に、広島の被爆者の方々に対する思いというのはございます。それを音楽で表現をするということもあるかもしれません。あるいは、その被爆された方への思いが、もしかしたら音楽に与える影響があるということもあるかもしれません。でも、それは非常にあいまいです。はっきりメッセージ性を持たせて作るというやり方は、自分の場合はとっておりません。

―以前取材させていただいたときに見せてもらった楽譜を、誰がどういう風に書いたのか、というのをご確認いただきたいのですが。

(楽譜を見ながら)これは、あるオーケストラのための作品の一部なのですが、そのある一ページを彼が書き写したものです。

―「ゴーストライターは前に出てはいけない」とのことでしたが、評価される中で自分が表に出たいという思いがあった富もうが、そのあたりの葛藤はあったのか

自分の作品が演奏されて、多くの方が聴いてくださるということは非常に嬉しいことでした。 なのですが、やはりこの場合はそれをどう自分の中で受け止めていいのか、というのがもうちょっとわからなかった。

―高橋選手がソナチネを利用するということを、どういう経緯で知り、その時の気持ちを?また今回の件を経て、それでも曲目変更なしと聴いた時は?

私が知ったのは発表されてからずいぶん経ってからだったと思います。なんとなくどこからか聴いたという感じです。 高橋選手があの曲を選んでくださったというのは、私にとって大きな喜びであります。 高橋選手がこのような事態にもかかわらず、なおこの曲を選んでくださり、演技をすると聴いて非常に嬉しく思いました。

―佐村河内さんは、耳が聴こえないということ以外に、耳鳴りがするとか杖を使っていたり、指に障害があったりするように見えるが、18年間付き合う中で、そういう症状はあったのか?

そのことに関しては、お答えできないです。彼からも説明を受けたことはなく、それがどのようなものかも私にはわかりません。

―始めてあったときから杖をついていたりとかしましたか

そういう時もありましたが、そうじゃないときもありました。

―今後、佐村河内さんへの裁判を起こす可能性は?あるいは今まで発表されたCDについては?

いままで彼の名義で発表されたものについては、そういうものだと思っています。私の方からは、裁判は考えていません。

―CDのクレジットなどは佐村河内氏のままでいいと?

皆様が納得されるかどうかわかりませんので、それはどうかわかりません。

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