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戦争のできない時代に戦争のできる国になりたい時代錯誤

今年は第一次世界大戦が始まった1914年から数えて100年目に当る。当然のことだが、この戦争は、第二次世界大戦の以前には、単に「世界大戦」と呼ばれていた。世界を巻き込むような大戦がまた起こるとは、誰も予想しなかったからだ。この大戦は1918年まで4年あまりに及び、両軍合わせて1000万の戦死者を出したが、その多くは軍人だった。

 戦争の惨害に衝撃を受けた各国は、講和とともに「世界の恒久平和」を願って国際連盟を発足させたが、講和の内容は旧来の「勝者の権利」に固執したものだったから、敗戦国側には不公平感と深い恨みを残した。その無理が根源となってナチス・ドイツの台頭を許したのだから、第二次の世界大戦は、第一次の継続と見ることもできる。第一次の終結から21年しか間をおかずに、第二次世界大戦は1939年に勃発している。

 日本はこのときドイツの権利回復要求に便乗して「東亜新秩序」を目論み、米英に宣戦布告して参戦してしまった。第二次世界大戦による戦死者は、軍人が2500万人、民間人は3700万人とされている(諸説あり)。民間人の死者は、勝った側の連合国側の方が圧倒的に多い。その多くにアジアの日本軍が関係している。第二次世界大戦は1945年8月に日本が降伏して終った。

 さて、この二つの大戦の始まりから終りまでの期間は、31年間であり、意外に短いのがわかる。わずか一世代の長さだから、最初から最後までを経験した人も少なくはない。ただし100年目になるのだから、語り部として生存している人は、日に日に少なくなっている筈である。

 1945年以降いまに至るまでの69年間に、世界大戦はおろか、国と国とが宣戦布告して戦う戦争は起こらなかった。兵器は進歩し、一瞬にして世界の全体を戦場にしてしまうことが明らかになり、安易な開戦ができなくなった。国家間の経済的な相互依存が深まって、資本の論理からしても、採算のとれる戦争は、ありえなくなってしまっている。

 それでも各国が兵器の近代化競争をやめないのは、軍事力が外交力のカードになると思い込んでいるからに過ぎない。世界戦争の時代は、20世紀前半の31年間で、もう終っているのだ。そのあと2倍以上の長い時代を、世界は戦争なしに過ごしてきている。「戦争」と名がつくのは、地域的な紛争としての非対称な実力行使ばかりである。

 この時代に「積極的平和主義」とやらを看板にして、「世界で戦える軍事力国家」を目指すというのは、どこから見ても時代錯誤ではないのか。費用対効果から考えても、軍備の増強が平和に役立つというのは、信じがたい「神話」としか思えない。

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