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日本人はそこまで「憎まれる」べきなのか

3月出版予定のノンフィクションの執筆で年明け以降、徹夜がつづいていた。やっと脱稿した。400字原稿用紙にして、およそ500枚。私の作品は、だいたい600枚以上が普通なので、今回はやや少ない。

この1か月、寝ても覚めても書きつづけ、ついに脱稿までこぎつけた。『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日―』に次ぐ、福島を舞台にしたノンフィクション第二弾である。

今回は、激震、津波、放射能と発展していった未曾有の「複合災害」で存続の危機に立った地方紙を舞台にした人間ドキュメントだ。ご期待いただければ、幸いである。

原稿に没頭していたため、ブログの更新もままならず、「おい、どうした?」と声をかけてくれる人もいた。ありがたいことだが、人間には能力というものがあり、その限界は超えられない。徹夜がつづくと、どうしてもブログ更新に手がまわらないのである。

さて、今日、パソコンを開いたら、興味深いニュースに出会った。『Record China』から配信されたひとつの話題である。『Record China』は“レコチャイ”と呼ばれ、中国関連のニュースや話題を日本語で配信するところだ。時々、おもしろい話題が出るので、私はよく読ませてもらっている。

本日、配信されたニュースにこんなものがあった。それは、中国人のネットユーザーが〈私が恨むべき日本はいったいどこにあるの?〉と題するコラムが、中国のインターネット上で話題となっていることを報じたものだ。

その内容は、いくつかの点で興味深かった。このブログを書いた中国人は、仙台の東北大学で勉強をした人だそうだ。その時、「日本の子どもたちと交流する機会を持った」という。中国人には、日本人に対してわだかまりがあり、日本人と言うのは「憎むべき人間」という意識を植えつけられている。それを前提に、以下の引用させてもらう原文を読んで欲しい。

〈しかし実際、彼らは清潔で礼儀正しく、とても純粋で嫌いになれるような人物ではなかった。私が憎むべき「日本」は仙台にはない。私が憎むべき「日本人」は彼らであろうはずがない。しかし、“あの”日本はいったいどこにあるのか?
 よく「日本に行ったことがある中国人は、日本への印象が変わる」といわれるが、私にとってはまさにその通りだった。彼らの礼儀正しさなどはもちろんそうだが、私が気付いた最も重要なことは、彼らも「人」であるということだ。
 おかしな話かもしれないが、私は日本を訪れる前、日本には変態侵略者のキャンプがいたる所にあると思っていた。しかし、実際は我々と同じように静かに暮らす人々がいるだけだった。彼らも私たちと同じように、両親がいるし、子どもがいる。恋愛もするし、失恋もする。喜んだり悲しんだりもする〉

以上が、まず前段である。私は、1982(昭和57)年から、もう30年以上も中国の変化を見つづけているが、このコラムは非常に興味深い。まず耳目を引くのは、「私が憎むべき日本人」という見方である。中国で江沢民時代に始まった反日教育は、普通の中国人に、そこまで憎しみを抱かせているという点だ。

私が最初に中国に行った1980年代前半、中国は文革の後遺症に喘ぎ、国全体が疲弊してはいたものの、人々はなんとか少しでも貧しさから抜け出そうと考え、日本人にも敬意を持って接してくれた。「軍国主義と今の日本人は違う」という鄧小平の教えが徹底されていたからでもある。

少なくとも、その頃は「私が憎むべき日本人」という見方はなかった。だが、その後の江沢民時代に、日本と中国との信頼関係が徹底的に破壊された。引き金を引いたのは、皮肉なことに日本のメディアである。朝日新聞が、それまで何も問題にされていなかった靖国参拝を外交問題化し、中国の『人民日報』を使ってまで、反対の大キャンペーンをおこなう論陣を張った。1985(昭和60)年8月のことである。

中国は、これをきっかけに靖国参拝を外交カードとして利用するようになり、やがて江沢民の登場で、苛烈な反日路線を展開するようになった。国全体が「反日」に染まり、徹底した反日教育によって、日本人というのは、「憎悪すべき存在」ということが植えつけられていくのである。

そして、上記のコラムの中にある〈私が気付いた最も重要なことは、彼らも『人』であるということだ〉というところまで来たのである。日本人は、もはや「人ではない」ほど憎まれているわけだ。私は、日本人に好意的だったかつての中国人を思い出しながら、このコラムを読んだ。

そして、この筆者による〈私は日本を訪れる前、日本には変態侵略者のキャンプがいたる所にあると思っていた〉という部分で、思わず笑ってしまった。そして、同時に哀しくなった。そこまで、「日本人を“人間”だと見てはいけない」という考え方が、中国では蔓延しているのである。コラムはこう続いている。

〈(自分の見る日本人は)小さい子どもが泣きながら母親に甘えていたり、女学生が手をつないで歩いていたり、サラリーマンが険しい顔でたばこを吸っていたりする姿を見ていると、「自分たちと何ら違いがない」という実感に包まれる。彼らの祖先が中国に悪いことをしたからといって、彼らがその罪をかぶらなければならないのか? 彼らの幸せは奪われるべきなのか? そんな道理はあるはずもない。
 中国では日本について、まるで奇怪な場所であり、宇宙人が住む街であるかのように紹介されている。彼らは日本に行ったことがないと思われる。彼らにとっての日本は地図の上の1ピース、ニュースの中のたった2文字に過ぎない。
 たとえ誰かから批判されても、これだけは言いたい。私が出会った日本人はみな素晴らしかった。日本社会には文明と秩序が根付いている。私はそこで温かい援助を受け、心からの笑顔を見た。私は日本でばかにされたと感じたことはなかった。自分の生活がしっかりしていれば、他人を恨む必要はないのだ。自分が他人を尊重すれば、他人も自分を尊重してくれる。日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった〉

この中で、〈中国では日本について、まるで奇怪な場所であり、宇宙人が住む街であるかのように紹介されている。彼らは日本に行ったことがないと思われる〉〈(自分は)日本に対する“妄想”は日本に行ってなくなった〉というものに、溜息をつく日本人は多いのではないだろうか。

匿名の、さらにネット上のコラムに一喜一憂する必要もないかもしれない。しかし、これが中国のネット上で話題になっているなら、それも興味深い。30年以上前から中国に行っている私は、ここまで「反日教育」を人民に繰り返した共産党政権に対して、本当に溜息が出る。

素朴な人が多く、底抜けに親切にしてくれた80年代初めの中国人は、どこに行ってしまったのだろうか、と思う。中国人は、一方に走り出したら、もう歯止めはきかない。あの狂気の文化大革命を見れば、わかる。年配者であろうと、功労者であろうと、徹底的に貶め、辱め、葬り去った狂気をあの国と人民は持っている。

その国が、これほどの憎悪を日本に抱き、さらにそれを増幅しつづけていくことに、日本に本当に友好的で素朴だった「あの頃」を知っている私には、哀しさと寂しさしか、こみ上げてこないのである。

そして、このコラムが書くように〈彼らの祖先が中国に悪いことをしたからといって、彼らがその罪をかぶらなければならないのか? 彼らの幸せは奪われるべきなのか?〉という部分に改めて恐怖する日本人は少なくないだろう。彼らが日本に向けた核ミサイルを多数、保有する国であることを忘れてはならない。

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