反原発の妄想ばかりが炸裂し、まったく投票に行く気が起きない東京都知事選であるが、後出しじゃんけんで反原発の支持を得ている細川護煕候補陣営が、なんと「脱成長」などと言い出したようだ。(*1)
低成長の時代にひたすら我慢させられ続けた僕たちからすれば、金持ちの傲慢にしか聞こえない脱成長発言だが、これまで経済成長の恩恵を得てきた人たちもまた、こうした脱成長発言を支持するのではないかと、僕は考えている。
その理由として、日本人の多くは「経済成長の利益を受け取った」などと考えていないのではないかという疑念がある。
それは決して、バブル崩壊後だけの話ではない。高度経済成長期に働いていた人たちこそ、「私たちは経済成長の利益を得ていない」と考えているのではないかと思うのだ。
なぜなら、彼らが受けた恩恵は、高度経済成長という天からの恵みではなく、彼らが働くことによって得た必然的な結果と考えられたに違いないからだ。
経済成長が先にあったのではなく、彼ら一人一人が働いて給料を得て、結果として経済成長が生まれたという考え方をしていれば、当然経済成長の恩恵という考え方は生まれない。
そのようにして働いて、家族を得、車を買い、家を建てた人たちは、家族を得られず、車も買えず、当然家も建てられない若い人たちを見て、当然、こう考えるはずだ。
「働いていれば家くらい建てられてあたりまえ。若者は怠けているから、家の1つも建てられないのだ」と。
ましてや、若者はかつて自分たちが作り上げた経済成長の恩恵を、テレビゲームなどの高価なおもちゃで一方的に受け取って贅沢してきた存在である。若者の苦労は経済成長も成し遂げられないほどに怠けているからであり、行政が若者を支援するのは甘やかしである。そういう考えに至るのだろう。
そうした考え方をする人たちにとって、経済成長は全く喫緊の課題ではない。それを見越して細川は「経済成長にかまけて、福祉をないがしろにする安倍政権は許せない」という、関係ないことを2つつなげて、さも「経済成長=弱者いじめ」であるかのように主張しているに違いない。
しかし、現実には経済成長は弱者への再分配の原資を生み出すために必要不可欠である。しかしながら、経済成長を主張する人たちは、その利益を真っ先に経営者に分配するべきだという誤った考え方を持っているために、福祉がないがしろにされるのである。
行政の役割の中でも再分配は重要であり、都知事戦においては反原発などよりも、よほど積極的に主張されなければならない論点であるはずだ。
経済成長を積極的に主張しながら、労働に就けない人たちへの再分配を優先的に行う。そんなまっとうな主張をしてくれる都知事候補が現れないものだろうか?
*1:細川元首相、演説で「脱成長」(Livedoor News)http://news.livedoor.com/lite/article_detail/8461459/
記事
- 2014年01月26日 00:00