- 2014年01月22日 09:00
【読書感想】里山資本主義
2/2この発電所の建設を銀行に持ちかけたとき、銀行の担当者は、こういう反応だったそうです。
「銀行からは、電気ではなくて、たとえば生産規模を上げるための設備とか、加工度を上げる設備とか、投資先は他にいくらでもあるだろうと言われました。エネルギーなんていうものは、最優先ではないでしょう。そういう言い方でした。
結果的に、中島さんには先見の明があった、ということなのですが、現在、2013年でも、日本の多くの銀行は、同じような反応を示すのではないでしょうか。
それとも、福島原発の事故をきっかけに「自然エネルギー」への投資を積極的に行うようになっているのかなあ。
それまで、この会社も「目の前に、エネルギーを生むための材料」が揃っているにもかかわらず、電力会社から電気を買っていたのです。
そのほうが「効率的」だと信じて。
オーストリアでは、森林資源が見直され、自然エネルギーの利用が推進されています。
いよいよ肝心の質問を、ヨハン・ツェッシャーさんに投げかけてみる。
「森林が1年間に生長する量の100%を利用することを目指しているのですよね? しかし、100%を超えてしまったら。つまり、伐採しすぎてしまったら、どうするのですか?」
答えは明快だった。
「そのような事態が起きてはならない。これを防ぐ最善の方法が、教育なのです。
扱ってもよい資源量がわかっていれば、資源を獲得しようと努力しますから。私たちは現在の森林の全体量が減ってしまうような伐採は行いません。どうするかというと、森が生長した分だけを切るのです」
オーストリアでは、徹底した森林調査を行い、毎年どのくらいの木を切るのか決めているそうです。
この項には「林業の哲学は『利子で生活する』ということ」というタイトルがつけられていて、なるほどなあ、と感じました。
もちろん、日本の場合、現時点ではオーストリアと全く同じことはできないでしょうが、一部だけでも「取り入れていく」ことは可能なはずです。
そして、この本を読んでいて考えさせられたのは、「世の中には『無償でもいいから、あるいは、儲からなくてもいいから、誰かの役に立ちたい』という人が、少なからずいるのだ」ということでした。
この本のなかでは、年金生活をしているおばあちゃんが、家庭菜園でつくっている「自分では食べきれないし、売り物にするほど獲れるわけでもない野菜」を、地域の老人保健施設に寄贈する、という話が紹介されていました。
まったくの無償というわけにもいかないので、結果的には地域でつかえる商品券のようなものと引き替えになったそうなのですが、おばあちゃんは「どうせ捨てることになるのだから、タダでも誰かに食べてもらえるほうがありがたい」と仰っていたとのことです。
そういった作物を集めてくるだけでも、施設の食費はかなり浮き、地域の高齢者たちは「誰かの役に立っていること」に喜びを感じるのです。
まさに、WIN-WINの関係、ですよね。
里山資本主義はいい話なので、政府の補助金を使ってどんどん推進して欲しい」という人もいるかもしれない。筆者はそうは思わない。
日本でもインターネットの利用が、ある時点から爆発的に増えて、何かの事業者であればホームページを持つのが当たり前になり、ブログを持つ個人が増え、さらにフェイスブックだ、ツイッターだとハードルの低い仕組みが登場してきた。これは、補助金を配ったから利用時間が増えたのではない。参加することが面白いから、何かの満足を与えるから、多くの人が時間と労力を割くようになったのだ。使わない人は使わない。それどことろか気付いていない人は気付いてもいないが、強制される必要もない。本当の変化というのはそのようにして起きるものだ。そして筆者は、里山資本主義の普及も、ネット初期のような段階にまで達してきているのではないかと感じている。面白そうだから、実際にやってみて満足を感じるから。そうした実感を持つ個人が一定の数まで増えることで、社会の底の方から、静かに変革のうねりが上がってくると思っている。
というのも、里山資本主義を一足先に実践している人は、本当に面白そう、満足そうなのだ。なぜなのか。要は人というものの存在の根幹に触れる問題が、マネー資本主義対里山資本主義の対立軸の根底にあるからだ。マネー資本主義は、やりすぎると人の存在までをも金銭換算してしまう。違う、人はお金では買えない。あなただけではない。親も子どもも兄弟も買うことはできない。本当にお互いに寄り添えるような人生の伴侶も、買って来るものではない。あなたの親や子どもや伴侶にとっても、あなたはお金に換えられるものではないはずなのだ。
もちろん、今の世の中で、いきなり「グローバル経済」=「マネー資本主義」をやめてしまうことなど不可能でしょう。
人間がここまで増えることができたのは、「マネー資本主義による効率化、均質化」の力が大きいのです。
でも、「できるところから、地産地消をすすめていく」だけでも、多くの人の生き方を変えることができるのも、また事実。
これからは、『マネー資本主義』と『里山資本主義』をうまく組み合わせていくのが、最良の道なのかもしれません。
都会で世界を相手に自分の力を試したい人はそうすればいいし、田舎で自分の手の届く範囲で暮らしたい人は、それもまた良し。
たぶん、そんな世の中のほうが、多くの人にとって、生きやすい。
実際に「里山で暮らす」ためには、地域の人々とのコミュニケーション能力が求められたりして、そんなに簡単なものではないとも思うのですが(「つながり」は「セーフティネット」であるのと同時に「煩わしいもの」だと僕も思います)、これからの時代を生きるうえで、知っておいて損はしないことが書いてある本だと思います。



