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細川内閣とは何だったのか

1993年(平成5)に成立して、永久政権党かと思われていた自民党を野党に追い落とした細川政権とは、何だったのだろう。思い出すため事情を調べてみたら、直前の総選挙で、自民党が大きく負けたのではなかった。ただ、自民党が割れて、新生党、さきがけ、日本新党の「新党ブーム」となり、大きく議席を減らしたのは社会党だった。

 宮澤内閣が不信任された結果の、非自民が結集した奇跡的に幸運なタイミングでもあった。細川政権の与党議席数は、社会党、新生党、公明党の順であり、日本新党は第4党だったのだが、8党・会派をまとめる人望を見込まれて首相に推されたのだった。組閣後の朝日新聞の世論調査では、内閣支持率として空前の71%を獲得している。

 期待は大きい内閣だったのだが、懸案だった「政権交代可能な政治改革」として、衆院選への小選挙区制導入、政党助成金制度の創設などを、曲りなりにも実現したあとは求心力を失って9ヶ月の短命に終った。財政再建をめぐって消費税増税に絶対反対の社会党との調整ができず、「福祉目的税」を首相の独断で提唱して反発を受け、さらには佐川急便グループからの借入金問題で追及を受けるなどして、細川首相は辞意を表明するに至った。

 その後の政界は混沌を経て、自民党が社会党を抱き込んで村山内閣を成立させるという奇策で政権に復帰し、今に至っている。

 政権交代を起こりやすくするために考案された「政治改革」は、2009年の民主党政権を誕生させたと言えるが、その一方で民意を反映せず選挙をつまらなくしたとも言われる。2大政党によるアメリカ型の政権交代では、民主主義が正常に機能するとは思えない。細川氏は衆議院の定数は小選挙区と比例区を半々にすべきだとしていたが、心ならずも自民党と妥協せざるを得なかったと伝えられている。

 いま都知事選に向けて、元細川内閣のブレーンたちは政策を練っているということだ。脱原発以外ではどんな政策を出してくるのか注目していよう。

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