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- 2014年01月07日 07:30
災害多発の時代――国境を超えて繋がる福島とフィリピンの相互支援の輪 - 藍原寛子
3/3「日本ではどうやって埋葬したのか教えて」 区長が涙の訴え
「津波の被害のあった福島では、どうやって遺体を埋葬したのか、それを教えて欲しい」津波の被害が特に深刻だったタクロバン南部のバランガイ(行政の最小単位=区)サンホアキン地区を尋ねると、バランガイ・キャプテン(区長)のパポス・ランタホさんが涙ながらに訴えた。
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涙ながらに、支援の不足を訴えるランタホさん
海外の支援で、地区の中心部にある教会の前に、白いテントが区役所として建つ。そして台風で残った大きなキリスト像がある。左手首から先が折れているが、すっくと立っている。キリスト像に守られるように、その周辺に無数の十字架が並ぶ。家族や友人らが、亡き人々のために手作りの墓地や墓標を整えている。
「この地域だけでも分かっているだけで、幼い子どもが200人以上亡くなっている。埋葬されているのは、ごく一部で、大半が別の場所に放置されたような状態になっている。重機もなく、それぞれの家族が穴を掘って埋葬しているが、穴が浅く、雨が降ると盛った土が流されて遺体の一部が出てきてしまう。それを残された子どもたちや家族が見て、本当に心を痛めている」。そう話すランタホさんも津波で実父をなくした。両目からハラハラと涙がこぼれた。
「政府も軍も何もしてくれない。日本では津波の後にどうしたんですか。この状態で、どうやったらいいのですか」。訪れた私たちはなんとかランタホさんを励まそうとしたが、実際には言葉もなかなか出てこない。「福島でも今、震災からどのように立ち直るか取り組んでいるところです」と話すことしかできなかった。
リンク先を見る教会の前に無数に作られた手作りの墓地。中には一家全員の名前が記された墓標もある
リンク先を見るタクロバンで放置されたままの遺体(シェア・ラブ・チャリティの会提供)
福島のフィリピン人コミュニティ「ハワク・カマイ・福島」が福島とフィリピン両方の支援を開始
「南相馬市で仮設住宅を送る高齢の方から、『新聞で活動を知りました。自分たちも被災者で同じ体験をしているので、フィリピンの被災者をぜひ応援したい』という連絡をもらった時には、本当に感動しました」。そう話すのは、東日本大震災から1ヶ月後の2011年4月に、福島在住のフィリピン人による福島の被災者支援のために活動を開始したグループ「ハワク・カマイ・福島」(手をつなごう福島)を立ち上げた前代表の後藤キャサリンさん(福島市在住25年、フィリピン・ルソン島バタンガス州出身)。リンク先を見るハワク・カマイ・福島のメンバー。左から丹野マリアテレサさん、後藤キャサリンさん、鈴木マイラさん、斎藤ニーダさん。車には福島の被災者から寄せられた物資が積まれている。
震災後から現在も引き続き、福島県内の仮設住宅を回って、炊き出しや歌や踊りの慰問活動などを続けている。その中で、仮設住宅で生活するフィリピン人や外国人と、周囲の日本人とのコミュニケーションの支援も行ってきた。現在は福島市内だけで33人、県内全域で85人がメンバーとして、福島とフィリピンの両地区の被災者の支援を展開している。
台風ヨランダの発生直後、古着を集めたり、募金活動も開始。昨年末のクリスマス休暇には支援物資を持って帰国し、被災者に渡したほか、目標50万円で、被災地でも特に支援が入っていない島々に仮設住宅を建設したいという。シェア・ラブ・チャリティの会の菅野さん、コラソン紺野さんが計画するチャリティコンサートへの協力も予定しており、各団体が繋がり合ってさらに支援の輪を広げる計画だ。
現在、シェア・ラブ・チャリティの会と、ハワク・カマイ・福島では、引き続きタクロバン支援のため、募金活動と支援物資(夏物衣類、鍵盤ハーモニカなど)を受け付けている。連絡先はシェア・ラブ・チャリティの会菅野代表(090-3647-8570、フェイスブックhttps://www.facebook.com/shealove.phl )、ハワク・カマイ・福島は後藤さん(090-8257-0523)。
画像を見る藍原寛子(あいはら・ひろこ)
ジャーナリスト
福島県福島市生まれ。福島民友新聞社で取材記者兼デスクをした後、国会議員公設秘書を経て、フリーランスのジャーナリスト。マイアミ大メディカルスクール、フィリピン大、アテネオ・デ・マニラ大の客員研究員、東大医療政策人材養成講座4期生。フルブライター、日本財団Asian Public Intellecture。



