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Facebook衰退論はマチガイだ!

Facebookの危機が囁かれるようになった。現在、Facebookのアクティブユーザーは世界で12億に達しようとしているが、その反面、アメリカでは10代のユーザーが離脱し、メッセンジャーアプリに移行。またビジネス・プラットフォームにおいてもその主流はLinkedInになろうとしているという。移り変わりの激しいネット市場、中でもSNSに関してはその移り変わりのスパンはきわめて短い。それゆえ世界を席巻しているFacebookも例外では無く、旬を過ぎつつあるのではというのがこれらの論調だ。

そりゃ、いくらなんでも性急すぎませんか?

今回は、これに「ちょっと待った!」をメディア論的視点から入れてみようと思う。

メディアの重層決定という考え方

メディア論ではメディアが普及する際には「重層決定論」という考え方を採用する。一言で説明すれば「メディア様式の普及は様々な要因が絡み合ってはじめて決まる」という考え方だ。

一方、この対極にある考え方が「技術決定論」。これは新しいメディアが出現すると、そのテクノロジーが新しいメディアの様式をフォーマットしてしまうと言うもの。これが間違いなのは、いくらすばらしいテクノロジーがあっても、それが必ずしも定着しないという事例が山ほどある(というより、そちらの方が多い)からだ。たとえばビデオデッキ普及時、その方式としては優れていたベータマックス方式がVHS方式に敗北したなんてのがその典型的な例。また、出現したテクノロジーがまったく違う用途に普及してしまうこともある。こちらはラジオが典型で、ラジオは元はといえば双方向の通信機として発売されたのだが、まったく売れず、販促のためにコンテンツを流したらこれがウケて、その結果、送信機能を外し、受信機として定着したのだ。つまりテクノロジーをダウンすることで普及した。

つまり重層決定論とは、メディアの普及が技術的側面だけではなく、社会的文脈やポリティックスなどを絡ませながら進んでいくという考え方だ。典型的なのはウインドウ式のOSの普及で、技術的には70年代に完成していたのだけれど、パソコン利用におけるデファクト・スタンダードとなったのは90年代半ばのWindows95の登場を待たなければならなかった。Windows95が覇権を握ったのは、世界のマシンがMicrosoftのOSによって支配されていたこと、それによって既存のパソコンにインストール出来たこと、価格が安かったこと、パソコンに対する大衆的認知がある程度進んだこと、インターネットが普及しはじめたこと(ただし、当初Windows95はインターネットに対応していなかった)、CPUの処理能力が飛躍的に向上したこと、通信回線に関するインフラが向上したこと(大容量の情報が伝達可能になった)といった諸要因が絡んでいる。ウインドウ式インターフェイスは、いわばこの関数として重層決定的に普及したのである。

従って、Facebookの現状についてもこの重層決定論的な脈絡で捉えなければならない。だからこそ、単にアメリカで10代のアクティブユーザーが減ったから将来がアブナイというのは、話が性急すぎるのである。

機能の複雑性がFacebookを衰退させる?

Facebookの重層決定論を展開する前に、先ずFacebookのデメリットを先に述べておこうそれは多機能性だ。

技術的や機能的な面では、Facebookは他のSNSに比べて優れているということができるだろう。一対一やグループでのコミュニケーション、ニュースフィードというタイムライン、書類や画像、映像の添付、写真のアーカイブ、Facebookページといったアプリ内でのサイトの構築、イベント提示によるスケジュール管理、ゲームなどなど。これは他のメジャーなSNSであるTwitterやLINEなどのメッセンジャーアプリと比較してみるとよくわかる。

ただし、この多機能性は「諸刃の剣」でもある。多機能というのはいろいろなことに使えて便利ということでもあるが、反面、複雑になるので使いにくいということにもなりかねないからだ。つまりシンプルのほうが取っつきやすい。Facebookを利用したいという強い動機がなかった場合、なおさらこの多機能はうざったいものになる。事実、Facebookについては、しばしば「難しい」と指摘される。

そして、この「難しい」という認識は、それと比較可能なものが登場すると、いっそう深くなる。そういった比較対象としてわが国に出現したのがLINEだった。LINEは実質的にはトークと無料通話に特化されたメッセンジャーアプリだ(他にもざまざまな機能が用意され、LINE自体はプラットフォーム化を目論んでいるが、実質的にそうはなっていない。まあ、これも重層決定ということになるけれど)。

若者は取っつきやすさに敏感、そして新しもの好き。だから取っつきにくくて、新しくなくい(さらに、実名アカウントなので外部に自分の情報が伝わる可能性があって怖い)Facebookにそっぽを向いた。なるほど、こういった可能性も十分に考えられる。それがアメリカでの若年層のFacebook離脱率の上昇に繋がったのではというわけだ。たしかに、日本でも同様の傾向があるのように思える。僕の勤める大学でも、学生たちが使用するのはもっぱらLINE。Facebookはそんなに多くないし、LINEの普及に伴って利用率は下がり、離脱率は上がっている。で、こういった理屈だと確かにFacebookは衰退する可能性があるように見える。

リアルがヴァーチャルを、ヴァーチャルがリアルを活性化するSNS・メッセンジャーアプリ

しかし、これらの指摘については疑問となる点も多い。「若者が離脱したから、衰退をはじめた」という主張は「若者が次の世代を担うので、その連中が使わなければ後続世代も使わない」という発想に基づいている。この考え方がおかしいのは次のようにツッコミを入れるとはっきりする。

つまり、

「若者がFacebookを使わなくなった、あるいは離脱したとしても、使わないままとは限らない。」

SNSやメッセンジャーアプリは、しばしはコミュニケーションを広げるツールと認識される。つまり、そのアプリを活用することで、関わり合う人間が増えていくという見方だ。しかし、実際のところ、これらは「友人の輪を広げる」のではなく「既存の友人との関係をメインテナンスする」というかたちで機能している。これらを利用することで、リアルなコミュニケーションとヴァーチャルなコミュニケーションが往還し、リアル環境がヴァーチャルな環境を、ヴァーチャル環境がリアルな環境を活性化するというスパイラルが起こり、その結果、関係が継続可能になるのだ。だから、ユーザーたちはこれを積極的に利用しようとする。

若者はなぜメッセンジャーアプリを指向するのか

その際、これらのアプリの使いこなしについては、その技術的側面=テクノロジーよりも、むしろユーザーの側の人的インフラ、言い換えれば友達の数や社会性、社会圏の大きさが前提となる。

若年は社会性が低く、友達の数も多くはなく、所属するグループも少ない。そんな彼らにとっては人間関係をメインテナンスする、いいかえれば内向きにコミュニケーションを確保するツールとしてはFacebookよりもLINEなどのメッセンジャーアプリのほうがはるかに便利だ。狭い範囲で人間関係を括ることができるし、クローズドな環境も確保できるので不安も少ない。なおかつ、そのためにしか使わないからシンプルであり取っつきやすい。そして、こういった狭い内向きの環境の中で頻繁に関わり合うためには「スマホベース」のメッセンジャーアプリのほうが圧倒的に便利。だから、それまで「PCベース」のFacebookをメッセンジャーとして使っていた若者たちが、スマホに特化され、外部の人間と関わる危険の少ない、そしてシンプルで便利なメッセンジャーアプリに乗り換えたのだ。

Facebookは大人向け

だが、これが大人ともなると事情が変わってくる。大人は関わる人間やグループの数、未知の人間と出会う機会が多い。社会性を獲得しており、社会圏を拡大していくことが基本となるからだ。

こうなると、メッセンジャーアプリよりオープン性の高いFacebookのほうが利便性が高くなってくる。確保している人間関係をグループに分けたり、グループ間の人間を繋げたりすることができる。さらに、縁遠くなっていたかつての友人たちと再び関係することもできるからだ(Facebookはプロフィールに自分に関する様々な履歴を書き込めば、それに関連した人間をこちらに紹介してくれる機能がある)。また、その間で様々なデータのやりとりをすることも可能だ。 既存の友達とかつての友達双方のコミュニケーションをメインテナンス可能なので、自らが確保している人間関係資本を有効に活用できるのだ(一方、言うまでも無いことだが、人間関係が狭い若者には、これらは不要な機能だ。繋げる相手がいないのだから)。また、さらに共通の関心を持つ人間を探し出すこともできる。 こういったコミュニケーション欲望によって、Facebookの「多機能性」は「取っつきにくいもの」という感覚が、大人からは払拭されていく。

Facebookとメッセンジャーアプリの使い分け

ということは、現在の若者のFacebook→メッセンジャーアプリへの移行というのは、これで終わりというわけでは必ずしもなく、若者が成長して社会圏を拡大し、社会性を獲得し、コミュニケーション領域を広げていくことによって、今度はFacebookを使うようになるというようにも十分考えられるというわけだ。また、大人になるにつれてこの二つを使い分けるようにもなる可能性も考えられる。たとえば、本当に身内・仲間内だけで頻繁に関わり合いたい場合はメッセンジャーアプリ、社交性を重視するならFacebookというかたちで。

もちろんメッセンジャーアプリが、若年層を取りこみながら発展していき、Facebook的なプラットフォームを構築してしまえば話は別だが(ただし、この場合も、後続世代は今度はこういった発展したメッセンジャーアプリが「取っつきにくい」といってそっぽを向き、シンプルなそれに飛びついていくということになるんだろうけれど)。これまた重層決定のたまものなのだ。 メディアは常にリアルとヴァーチャルとの関係の中で重層決定的にその機能が定まっていくのである。リアルだけ、ヴァーチャルだけの要因で決まるというのは、まず、ありえない。

※ちなみにビジネスユースでのLinkedInへの移行については、議論としてはあまり意味がない。というのもFacebookユーザーのほとんどはビジネスユースでこれを利用しているわけではないし、さらに日本でLinkedInはほとんど普及していないからだ(これは日本的な土壌を重層決定要因)。

【関連記事】
確かにFACEBOOKが終わっていってるな(やまもといちろう)
Facebookの10代アクティブ率が減った=衰退説を唱えるのは妥当か?!(藤川真一)

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