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不在の主人公──『夢と狂気の王国』

『かぐや姫の物語』について前回書いたわけだが、それを観たときよりもさらに少し前に、砂田麻美監督の『夢と狂気の王国』を観た。

ジブリ潜入もののドキュメンタリー映画だ。──というと、べつに珍しくもないのだが、映画公開時になると必ずNHKあたりで放送されるプロモーションを兼ねたようなそれとは少し毛色の異なるおもしろさがあった。

主人公らしき人物として焦点があわせられるのは、むろん宮崎駿である。たしかに宮崎本人は、被写体としてもなかなか魅力的だ。実際この20年ほど、映画製作中の宮崎は、つねになんらかのドキュメンタリーの対象でありつづけてきたのだし、『もののけ姫』以降、作品そのものというよりも、むしろ作品製作に打ち込む宮崎自身のありようのほうが、宮崎作品にかんする語りのかなりの部分を占めるようになってきたことにもつながっているのだとおもう。

印象深かったのは、たとえば以前にNHKのドキュメンタリー番組で観たのと同じ場面が登場することである。その場は、映画製作の場であると同時に、そのありさまを収めようとする複数のカメラも同居していたわけだ。映画製作の過程において、複数のカメラ、複数の視線のなかに見られているということを意識せざるをえず、そのなかで宮崎は、知らず知らずのうちにみずからを演じるような部分が含まれるようになってきた可能性があるのではないかとおもわされた。

いや必ずしも「知らず知らず」ではあるまい。むしろ宮崎自身がそういうあり方にあんがい自覚的であるようにさえ見える。つまり、映画作家としての宮崎駿の成立を考えるうえで、一方では「他者に見てもらう」ための作品を監督しながら、同時に他方その過程において、じぶん自身が作品の対象となって「他者に見られている」ことを自覚せざるをえないという、メタ的というか、視線の二重拘束的な状況にあったことを考えてもよいのかもしれない。

それはいかにも今日的な状況ではある。

もうひとつ興味深かったのは、宮崎をはじめジブリの主要関係者の語りのかなりの部分を主題として直接間接に占めているのが高畑勲という点である。この作品には、ほぼ1シークエンスを例外として、高畑は登場しないというのに。

だが、だからこそ、この作品の主人公は高畑であると言うこともできなくもない。不在であるがゆえに、その存在が逆にはっきりと浮かびあがってくるようにおもわれる。

ぼくは以前にそっち方面のあるエライひとから、宮崎の頭の中にあるのはつねに高畑ひとりだけだ、かれに認められたい一心で映画製作に打ち込んでいるのだという意味の話を聞いたことがある。そのときは、ふうんとおもっただけだったのだが。

もしかすると、不在の主人公というあり方そのものが、ジブリをめぐる存在の布置を端的に浮き彫りにしているのかもしれない。

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