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- 2013年12月20日 07:30
「不理解の中の復興」の帰結――この国のゆくえ? - 山下祐介
2/2不理解を越えて「本当」を知ること
だが、我々のそうした意図とは裏腹に、原発事故・避難者政策はいま急速に進展しつつあるようだ。本書の制作は2013年1月から9月にかけて行った。この間、帰還政策への批判書として作業をすすめた本書だったが、その後事態は展開して、先述のように、一部被災地の国有化の議論までもが政府側から出てしまっている。すでに遅きに失したのかもしれない。このままこの流れで進んでいけばいったいどうなるのだろうか。いまは原発避難者特例法によって、地域から避難した住民たちが元の自治体構成員であることを維持しているために、人々は「ふるさとを最終処分場にするな」という論理でこの地を原子力の魔手から守りつづけている。しかしながら今後、一方で国による買い取りが行われ、その地が汚染物質の貯蔵地になることが決定した上で、他方でその周りの地域の住民には「賠償は終わりだ、帰れ」という形で帰還を迫れば、多くの人は帰るにも帰れず、かといって生活再建もできずに路頭に迷うだろう。そしてその際に、多くの人々が今の自治体を離れて避難先の自治体の住民になってしまったら、いったいこの地のことを誰が決定していくようになるのだろうか。
ある意味で、曖昧にすることでバランスを保っている状態のところに、何かを決定させる(帰る、帰らない)ようなことをすれば、いかなる方向へと避難自治体が動いているのかは計り知れない。そしてそれを十分に計算して政治が動いているようには思えないのである。
むしろこうなっていくのではないかという疑いをもつ。この先このまま帰還政策と一部買い取りという形で議論を進めて、長期避難者を支える制度を整えずにいれば、事故被害者であることを「断ち切る」人と、逃げることのできない弱者とに避難者は分離する。そして逃げることのできない弱者で作る自治体に今の自治体が転換すれば、場合によっては「ふるさとを最終処分場にするな」という論理は容易に転換し、逆に、「危険でもお金になるのなら何でも引き受けたい」という方向になるのではないか。
そしてそうしたプロセスを進めている根幹のところに、国民の不理解があるような気がするのだ。たしかに原発事故は見たいものではないし、放射性物質に関わるのは嫌だ。できれば我々の前からこれを排除したいという感情は誰にだってある。筆者自身にすらある。しかし、そうして排除を進めても、それは消えてなくなるわけではないから、汚いものを排除したつもりが、排除したものがある場所に集まり、凝縮して、原発の最後のパズル=最終処分場の結実になり得るかもしれない。さらには第二原発の再稼働も含めて、ここには原発を新たに誘致することもあり得ないことではない。しかもそれが今の日本の自治のルールがもたらす帰結だとしたら。筆者らは思う。それならばルールを変えてリスク回避を試みるべきだ。リスク回避に失敗して事故は起きた。さらなるリスク回避には慎重であって悪いはずがない。それが本当の政治のやるべき事なのではないか。
「人間なき復興」が進む根幹には、しっかりとした政策立案の過程の不在があるように思う。政策立案過程には本来、十分に練り上げられた専門家集団による総合的な知見の提出と、そうした知見を有効に活用した、適切な政治的決定が不可欠だ。だが日本の政策はいつも縦割りで、場当たりで、断片的だ。そこに活用される科学も専門的知識も、その場その場で都合よく取り上げられた、本当の意味で科学の総意とはいえないものではなかったか。そしてそうした危うい科学の政策への活用こそが、この原発事故を引き起こした根源的原因なのではないか。
今後、こうした事態が二度と起きないようにするためには、政府のうちの限られた情報だけで政策を形成するのではなく、あるいは一部の科学者や専門家の意見だけで政策を整えるのでなく、開かれた場で、当時者の声を積み上げ、理系文系に開かれた総合的な科学の知見をふまえた政策形成のプロセス・場を用意することが必要不可欠だろう。そしてそれこそが今政府の行うべきことなのだと思う。
そもそも、政府と一部の官僚組織、事業者と一部の研究者とで作り上げたものが、十分な情報公開、議論・討論の場もないままに、一方的に政策を推し進め失敗した結果が、この福島第一原発事故だった。今の復興庁で、あるいは経産省でこの問題を解決できるのか。避難者の生活再建、自治体維持を含めた地域再生、被曝者たちの健康不安を本当の意味で解消できるような政策形成主体は、この日本のどこにもないようである。
そしてそれは結局、政府だけでできるのかといえば、そういうことでも決してないだろう。できないはずだ。多くの国民の理解と協力と、専門家の知恵の結集と、各省庁と自治体の十分な連携とが不可欠なはずだ。それが本当の、この事故からのこの国の再建だと思う。
それを今後さらに秘密保護法で隠してしまって、本当に政府だけでこの国が直面している問題に立ち向かえるのか。この国の能力そのものの本質について問いたい。そしてもしかすると、「国民の知る権利」の前に、むしろ「政府の知る権利」を強めた方が――より正確には、知る能力、創る能力の向上を求める方が――この国のあり方にとっては筋が通っているはずだ。今後、国民も政府も隠す権利だけ強めてしまえば、背後に何が起きているのか本当に分からず、適切な政策など絶対にできなくなる。
本書の最後には「じゃあどうすればいい」の議論を示している。そこに本書出版後の2013年11月以降の現実をふまえて付け加えるとすれば、このような議論になる。この数ヶ月、ますますこの国の政策形成能力が悪化しつつあるように感じるのは筆者だけだろうか。この国の分岐点を考えるためにも、ぜひ原発避難の現実には多くの人にしっかりと向き合ってもらいたいのである。(2013年12月13日)
サムネイル「DSC_5592」OKAMOTOAtusi
http://www.flickr.com/photos/okamotoatusi/5758250997/
画像を見る人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって
著者/訳者:山下 祐介 市村 高志 佐藤 彰彦
出版社:明石書店( 2013-11-19 )
定価:¥ 2,310
Amazon価格:¥ 2,310
単行本(ソフトカバー) ( 336 ページ )
ISBN-10 : 4750339180
ISBN-13 : 9784750339184
山下祐介(やました・ゆうすけ)
社会学
1969年生まれ。九州大学助手、弘前大学准教授を経て首都大学東京准教授。著書に、『限界集落の真実』(ちくま新書、生協総研賞)、『東北発の震災論』(ちくま新書)、共編著に『「原発避難」論』(明石書店、地域社会学会特別賞)、『白神学』第1巻~第3巻(ブナの里白神公社)などがある。



