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認められない人たち

多少長くなりそうなので、久しぶりにブログで書く。まず特定秘密保護法案とその採決過程に関してtwitterで書いたところ、法華狼氏(はてなID:hokke-ookami)がHatena Diaryで「[ネット][トンデモ]「少数派の意見や権利を守る」「少数派に意見表明の機会を与えたら淡々と採決すればいい」どっちだよ」という文章を書かれたので、twitter上で以下のように言及した。

すると法華狼氏は同じく「[ネット][トンデモ]おちついて返答してほしいところ」という文章を書かれ(ともに11月28日)、さらに12月2日に「[ネット][トンデモ]「デモなどで「現在の国民の意思」を表明し、政策変更か早期の選挙を実現するように圧力をかけてもよい」「「絶叫デモ」に限定すればテロと似たところはあるかも」どっちだよ」という文章を書かれた。以下は、その内容を踏まえたものである。

さて我々の知っているリベラル・デモクラシーは、次の二つの原理でできている。

(1) いかなる個人も、基本的人権を奪われてはならない。(リベラリズム)
(2) 社会的意思決定は、人民の多数決によってなされる。(デモクラシー)

この両者については、(1)が(2)に対する辞書的な優先性を持っていると考えるのが標準的だろう。また一般的な間接民主政においては、(2)が次のように拡張される。

(2a) 人民が選挙で選んだ国会の議決を、人民の意思と考えてよい。
(2b) 選挙は、人民の代理となる人間を選ぶという形で行われる。

さてこの(2a)・(2b)は、民主政原理から見た場合には妥協的な性格を持っている。第一に、代理として選ばれた代表の意思が人民と乖離しないという保障がない。第二に、社会の状況が刻々と変わり、それに対する人民の評価も変化するにもかかわらず、代表の選び直しは次の選挙までできない。従って、代表が当人としては人民の付託に誠実に応えるべく行動したとしても、仮に決定が行われる瞬間に人民自身の意思を確認した場合に得られる内容と、代表が考える「人民の意思」が異なる可能性があるからだ。

さて上記(2a)より、議会多数の意思が十分に形成された場合に採決を行なうことは肯定されるべきである。だがこれには、(1)に反しない限りという点と、(2)から(2a)へと拡張することに問題がない限りという二つの限定が付されるだろう。

後者から考えよう。人民の側において議会の意思と人民の意思にズレがあると感じられたとして、何ができるだろうか。地方議会であれば住民の直接請求によって議会の解散を求めることができ、少なくとも代表の選び直しを強制することができるが国会に同種の制度はなく、解散権は内閣が独占している。従って、「人民の意思」を議員に誇示して議会内での行動を変えるように圧力をかけるにせよ、内閣に誇示して解散を迫るにせよ、非=制度的な行動によるしかないということになる。

その典型がデモである(他に電話等による議員個々(の事務所)に対する働きかけなども考えられるだろうが)。従って上記の通り私がそれを肯定することに矛盾はなく、しかしそれはあくまで一定の人民の意思を目に見える形で表明することによって議員の態度変化や選挙の実施を促すという目的だからデモクラシーの範囲内に留まるということになる。仮に「デモ」に集まった人々が議会の物理的な封鎖によって議決を不可能にすることを目的にしていたり、あるいは多数派議員に暴力を振るうことで恐怖状態に陥れ・少数派の実力行使に抵抗できない状態を実現しようとしているのであれば、それは少なくともデモクラシーに反する行為であるし、後者に至ってはテロルそのものだということになろう。その意味で、説得や意見表明を離れたデモにテロに似たところがあるという石破幹事長発言には一定の正当性があるということになる。

もちろん、デモによって人民が押しかけたからといって個々の議員や内閣が態度を変えるかどうかは約束されていない。デモの参加者こそが「人民」を代表しているのか、所詮それは僭称であって内閣なり多数派の側に本当の民意があるのかは、最終的には次の選挙によって判定されるよりない。デモによっても多数派の意思を変えることができなかった自称「人民」にデモクラシーの枠内で保障された制度はそれだけなのだから、そこで努力したらとしか言いようはないのである。

デモに訴えた人々がそこで多数派を獲得できなかったらどうするか。どうしようもないし、どうしようもないのが正しいということになるであろう。上記(2)に書いたように民主政の基礎は多数決である。選挙を通じて人民の意志を再確認しても敗れるのであれば、それは敗れるのが正しいとしなくてはならないのではないか。つまり法華狼氏は私のtweetについて、「「代議制なので国会多数派と国民の意思が乖離している可能性はある」と認めているのに、次の選挙に反映させられるという確信がどこからわいてくるのかわからない。」とお書きであるがそれは上記のような民主政の制約に関する無理解に起因しており、現時点で乖離があったものが選挙によって修正されるのであれば選挙後の反映が実現するだろうし、乖離の存在自体が思い過ごしであればそうならないであろう、ということに尽きる。

もちろん選挙がただちに行われるとは限らず、それまでに問題が風化してしまっていたりより緊急性の高い課題で覆い隠されてしまったりする可能性はあるだろう。「即座に解散総選挙した場合でも、それまでに堆積した別々の論点に埋もれかねないと予想するべきではないか。」という法華狼氏の意見は正しい。だが、(2b)において何を重視するかということ自体が個々の人民の自己決定に委ねられるべき問題である以上、「何を争点とすべきか」に関する民主的決定というメタレベルで上記の議論が繰り返されるに過ぎない。

もちろん法華狼氏はこの結論に不服であるかもしれず、デモに訴えている人々が問題だと思っていることを人民が問題だと思って選挙行動に反映させるべきだとか、デモに訴えている人々の意見が間違いなく政治的意思決定に反映するような保証を求めるのかもしれないが、前者は争点決定をめぐる人民の意思決定に制約を加えようとする点で反リベラリズムであり、後者はその意見を支持する人の多寡にかかわらず政策実現を要求する点で反デモクラシーである

他者の他者性、人々は私と異なる価値観と意見を持つであろうということを前提としながら一つの社会を共同で運営するための仕組みがリベラル・デモクラシーである。法華狼氏がその前提を受け入れられないのは自由だが、結局は反リベラリズム・反デモクラシーを支持することでテロリズムと同じ側に立つことを選んでしまっているし(もちろん実際の行動に移していない点で同一視することはできないが)、違う民主政観の存在を想定できないために政治勢力への支持の問題にとにかくすべてを還元してしまうことになるという意味で、議論の品質も低下させていることについては自覚されるべきであろうかと思う。


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