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- 2010年12月10日 00:00
「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」 -- 10代の子供に読ませたい本
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ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である
何と言ってもこのタイトルが素晴しいと感じて、一刻も早く読みたいと思った。ありがたいことに、私はこの本の材料となったブロガーへのアンケートの回答者に選んでいただいていたので、すぐに、著者のいしたにさんから「献本をさしあげますので、送付先をメールしてください」というお知らせが来た。
しかし、それが、どういうわけか、そのメールを送るのが億劫で仕方なかった。翌日回し、翌々日回しにしているうちに出しそびれてしまった。
そのうちにいくつかレビューが出はじめたので、本屋に行って買おうとしたら、発売は少し先になると言われた。「しまった!献本を受け取れば発売前に早く読めたのに!」と思い、メールで連絡の遅れをおわびしてやっぱり献本で読ませてもらおうと思った。
しかし、これがまた、どういうわけか、またもや、そのメールを送るのが億劫で仕方なかった。翌日回し、翌々日回しにしているうちに、またもや出しそびれてしまった。
ただ、住所を書いてメールを出すだけのことなのに、どうしても身体が動かないのだ。
意味がわからないまま、あきらめて発売を待って本屋で買って読んだ。
読んで謎が解けた。読んでいるうちに「これは自分の子供にプレゼントしたい」と思ったのだ。プレゼントにするなら、もらったものより自腹で買ったものの方が、重みがあってちょっといい。つじつまが合ったし、献本で読まなくて良かったと思った。
私は、自分の子供にコンピュータやネットのことはあまり教えない。教えようと思えば教えられると思うのだが、あまり積極的には教えない。良い本を知っていたり持っていたりして、聞かれたら「これがいいよ」と言うことはあるが、聞かれなければ、こちらから読ませることはない。
理由は、一般的なものと個人的なものと二つある。
一般的なものとしては、ネットでは「今現在のまとめ」が役に立つ期間は限られているからだ。
たとえば、数年前の「ネットのまとめ」があったとしたら、そこにはiPhoneやiPadやtwitterのことはほとんど書いてないだろう。今の時点では、有用性は限られる。本人が動き出したタイミングなら、その時点でのよいまとめがあれば使えるけど、あらかじめ押し売りしておくほどのものではない。
個人的なもう一つの理由としては、やはり血は争えないもので、どうやら私の二人の子供たちは、どちらも親に似て、ある種の偏りを糧にして食っていくしかないように思えるからだ。バランスの良い食事を与えて、偏食を直すことが本人にとって良いのか非常に微妙だ。それが必要な場面もあるだろうが、これも、本人が希望したタイミングでないと、逆効果になりそうな気がする。
そういうわけで、どんな良書を目にしても、ブログには書くけど子供たちには教えない。
ところが、この「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」という本は違う。これは、ぜひ子供たちにプレゼントして読ませたいと思った。
それくらい、スパンの長い、ネットの本質的なことが書いてある。ネットで目立つのは、どこか変な人が多いのは何故かが書いてある。変に見えない人でも実は結構変なんだということが書いてある。その「変」な部分を、体感を失わずに掘り下げ、時代を超えた教訓としてまとめあげている。
やっぱりネットって、変だと思う。みんなもそう思うでしょ?従来の常識がひっくりかえっているのは過渡期の一時的なもので、いずれ普通に戻ると思っているが、なかなか「変」が直る気配がない。というより永続化しそうな気配が濃厚だ。その「変」を掘り下げずに何がネット論なのか。しかし、とは言っても「変」を変のまま放置しておくのでは説明にならないので、書いている意味がない。
ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である
何と言ってもこのタイトルが素晴しいと感じて、一刻も早く読みたいと思った。ありがたいことに、私はこの本の材料となったブロガーへのアンケートの回答者に選んでいただいていたので、すぐに、著者のいしたにさんから「献本をさしあげますので、送付先をメールしてください」というお知らせが来た。
しかし、それが、どういうわけか、そのメールを送るのが億劫で仕方なかった。翌日回し、翌々日回しにしているうちに出しそびれてしまった。
そのうちにいくつかレビューが出はじめたので、本屋に行って買おうとしたら、発売は少し先になると言われた。「しまった!献本を受け取れば発売前に早く読めたのに!」と思い、メールで連絡の遅れをおわびしてやっぱり献本で読ませてもらおうと思った。
しかし、これがまた、どういうわけか、またもや、そのメールを送るのが億劫で仕方なかった。翌日回し、翌々日回しにしているうちに、またもや出しそびれてしまった。
ただ、住所を書いてメールを出すだけのことなのに、どうしても身体が動かないのだ。
意味がわからないまま、あきらめて発売を待って本屋で買って読んだ。
読んで謎が解けた。読んでいるうちに「これは自分の子供にプレゼントしたい」と思ったのだ。プレゼントにするなら、もらったものより自腹で買ったものの方が、重みがあってちょっといい。つじつまが合ったし、献本で読まなくて良かったと思った。
私は、自分の子供にコンピュータやネットのことはあまり教えない。教えようと思えば教えられると思うのだが、あまり積極的には教えない。良い本を知っていたり持っていたりして、聞かれたら「これがいいよ」と言うことはあるが、聞かれなければ、こちらから読ませることはない。
理由は、一般的なものと個人的なものと二つある。
一般的なものとしては、ネットでは「今現在のまとめ」が役に立つ期間は限られているからだ。
たとえば、数年前の「ネットのまとめ」があったとしたら、そこにはiPhoneやiPadやtwitterのことはほとんど書いてないだろう。今の時点では、有用性は限られる。本人が動き出したタイミングなら、その時点でのよいまとめがあれば使えるけど、あらかじめ押し売りしておくほどのものではない。
個人的なもう一つの理由としては、やはり血は争えないもので、どうやら私の二人の子供たちは、どちらも親に似て、ある種の偏りを糧にして食っていくしかないように思えるからだ。バランスの良い食事を与えて、偏食を直すことが本人にとって良いのか非常に微妙だ。それが必要な場面もあるだろうが、これも、本人が希望したタイミングでないと、逆効果になりそうな気がする。
そういうわけで、どんな良書を目にしても、ブログには書くけど子供たちには教えない。
ところが、この「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」という本は違う。これは、ぜひ子供たちにプレゼントして読ませたいと思った。
それくらい、スパンの長い、ネットの本質的なことが書いてある。ネットで目立つのは、どこか変な人が多いのは何故かが書いてある。変に見えない人でも実は結構変なんだということが書いてある。その「変」な部分を、体感を失わずに掘り下げ、時代を超えた教訓としてまとめあげている。
やっぱりネットって、変だと思う。みんなもそう思うでしょ?従来の常識がひっくりかえっているのは過渡期の一時的なもので、いずれ普通に戻ると思っているが、なかなか「変」が直る気配がない。というより永続化しそうな気配が濃厚だ。その「変」を掘り下げずに何がネット論なのか。しかし、とは言っても「変」を変のまま放置しておくのでは説明にならないので、書いている意味がない。



