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全国学力テストの結果は公表すべきか

静岡県知事が、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)において県内上位86の小学校の校長名を発表した。また、文部科学省が来年度以降、学校別の結果公表を自治体の判断に委ねるとしたことから、学力テストの結果を公表すべきかどうかが、全国的に争点となっている(時事通信の報道)。
現在のところ、学校別の結果を公表する事に関しては、立場によって意見が分かれているようだ。都道府県知事は、44%が公表に賛成、24%が反対と、賛成が上回っているのに対し、市町村の教育委員会では賛成17%、反対79%、市町村長では賛成34%、反対62%と反対が大きく上回っている。また、都道府県の教育委員会では、賛成40%、反対43%、保護者に関しては賛成45%、反対52%と意見が割れている(出所:毎日新聞)。

日本社会全体にとって、公表する事は望ましいのだろうか。学校別の学力テスト結果の詳細が公表されている米国に住む者の視点から、この問題について考えてみたい。

1.教育の機会平等と住宅市場

米国においては、州毎に低学年を除く全学年全生徒学力検査が実施されており、学校毎、学年毎、科目毎に、受験者数、平均点、標準偏差などが詳細に公表されている。筆者の住むミシガン州においては、4段階の到達レベル毎の生徒数や、各学年の男女別、人種別構成、人種別平均点までもが公表されており、結果公表後は誰もが、州教育省のページから直接全てのデータをスプレッドシート形式でダウンロードして閲覧することができる。

米国においてこのような情報が最も大きな影響を与えているのは、授業や学校運営に対してよりも、住居の選択や不動産市場に対してだろう。つまり、教育内容が学力テストの結果に影響を与えているというよりは、学力テストの結果が不動産市場を通じて住民の特性に影響を与えて、学力差が維持されていくという面が強い。こうした地域間格差には、住居の選択に関する情報が増えるというプラス面と、格差が固定化されるというマイナスの面があるだろう。それでは全体としてどちらの面が大きいかと言えば、米国においては、プラス面が勝っていると言ってよい。というのは、米国において、こうした学校間の学力格差を気にする層はそれほど多くないため、必ずしも、経済格差によって保護者の選択肢が狭まるという状況にはなっていないからだ。例えば、ミシガン州において、貧困層の多いデトロイト市は、裕福な北部郊外の都市に比べて大幅に学力テストの結果が悪いが、大半のデトロイト市民にとって郊外に住むのが経済的に不可能かと言えば、必ずしもそうではない。例えば、我が家はボロくて格安だけれども良い学区の中にある家に住んでいるのだが、近所の住民には裕福ではないけれど、子供の教育のためにわざわざ引っ越して来た人が多い。一般的には富裕層は貧困層が近所に引っ越してくるのを嫌がるが、良い学区にボロいアパートがあれば、そんなところにわざわざ引っ越してくるのは、教育熱心な層だから、教育水準の高い富裕層にとっても、それほど問題にはならないというわけだ。

また、中古住宅の流動性が高いことも選択肢を広げるのに役立っている。中古住宅市場の大きな米国では、子供が小中高校に通っている間だけ学区を選んで住むというようなことも大して難しくない。極端な例を挙げれば、近所に住む中国人の家庭は、子供が高校生の間だけ米国の良い学区の高校に通わせるために、コンドを買って母子だけで引っ越して来た(学区内にアパートはない)。3〜4年もすれば、物件を売ってどこかに行ってしまうのだろう。

このように、米国においては、学力テスト結果の公表は住居の選択肢を広げるという点でポジティブに働いている面が強いが、日本でも同様の事が実現するかどうかは明らかではない。ほとんどの国民が良い学区に殺到して、そこの住宅価格が急騰するようなことがあれば、教育機会の平等を妨げかねないことは事実である。情報の公表が社会的にプラスになるかどうかは、価値観が十分に多様化しているかどうかが重要であるということだろう。また日本では、住宅の流動性が低いことも考慮しなければならないだろう。現状の日本の住宅市場を所与とすれば、子供のために引越まで考えることのできる保護者は稀で、学校間格差を受動的に受け入れなければいけない保護者には不満がたまる可能性も否定できない。


2.授業や学校運営に対する影響

日本の学力テストの結果公表に反対する意見として大きいのは、結果の公表が過度な競争を招き、授業が学力テスト対策に偏ってしまうという悪影響を懸念するものである。確かに、教育の本来の目的は、将来直面する未解決の問題に取り組む思考力をつけることであり、そうした目的を、解法や対策が固定化している学力試験によって測るということには無理がある。米国の学力テストにおいては、毎年、問題が似ている事から、各校が対策を施し、平均点は年々上昇の一途を辿るのが通例である。しかしこれは、必ずしも教育効果の改善を意味するものではなく、型にはまった試験対策のために、代わりに失われた何かがあると考える方が自然であろう。

また、米国においては、悪名高い「落ちこぼれゼロ法(NCLB法)」が学力検査においても大きな悪影響を及ぼしている。例えば、ミシガンの学力検査結果の公表にあたっては、NCLB法の精神に基づき、合格点に達した生徒が何%いたか、という点が重視されてきた。その結果、教育水準の高い小学校などでは、おおむね全生徒の90%以上が合格点を取るといった状態になっている。そうした学校では下位10%の生徒の学力を底上げをすることが、更なる評価の改善につながる事になるため、授業を大多数の生徒に適した水準よりも大幅に低くすることになるという弊害が生まれるというわけだ。ごく最近になって、ミシガン州もこうした問題に気付き合格基準を引き上げたが、依然としてカリキュラムは易しすぎる状態に留まっている。米国では科学技術分野の人材不足が叫ばれて久しいが、下位10%の学力水準を引き上げたところで、科学技術分野の人材不足は全く改善しないだろう。

話はそれるが、OECDなど国際的な学習到達度テスト結果を考える際にも、同様の注意が必要だ。このテストで日本の国別順位を上げたいなら、教育内容をこのテストの範囲に絞って落ちこぼれを減らす事が有益だが、より高度な人材を育てたいならば、落ちこぼれが増えるのを覚悟でより多くの内容を教育課程に盛り込まなければならない。

こうした事を踏まえると、学力テスト結果の公表にあたっては、毎年の学力テストの問題に変化をつけ、問題の予測可能性を小さくすることが、いわゆる教育の「連作障害」を避ける上でより重要になってくる。また、優秀な生徒を増やしたいのか、落ちこぼれを減らしたいのか、さらには、一部の科目に秀でた生徒をたくさん育てたいのか、平均的にできる生徒を育てたいのか、についても真剣に議論をし、目的に沿った評価基準を公表する必要があるように思われる。

教育内容を決めるのは、国であり、市区町村であり、学校であり、教員である。本来、当事者が信念に基づいて教育を行えば、付け焼き刃で試験の対策だけするということにはならないだろう。しかしもし保護者が、学力テストの学区別成績に拘るあまりに、近視眼的な対策を強力に求めるようになれば、教育の根幹部分を揺るがすようになる。結局のところ、学力テストの結果公表を有用なものにするためには、結果を真剣に受け止めつつ、長期的な視野に立って物事を眺めるという余裕が社会全体に行き渡っていることが前提となるだろう。


3.どのように公表すべきか

それでは、日本の学力テストの結果はどのように公表すべきだろうか。

第一に必要なのは、社会的な問題に対処しながら、積極的かつ漸進的に公表を進めるのが望ましい、ということである。現在でも、都道府県別の順位は公表されているが、その社会的な影響はそれほど大きくない。それは、都道府県毎の差があるからと言って、沖縄県の人が、いきなり秋田県に引っ越そうとは普通は思わないからである。しかし、学校毎の結果が全て公表されるということになれば、住宅市場や生徒数の動向に大きな影響を与えることになる。大田区から世田谷区に引っ越す事はそれほど難しくないからだ。実際、米国ではテストの成績が上がった学校では、生徒数の増加して、一クラスの人数が増えるということが珍しくない。日本では、一気に学校毎の結果公表するのではなく、例えばまずは市区町村毎の結果を公表し、さらには、より小さなブロック毎、学校毎、と段階的に進めるのが一案ではないかと思う。そうすることによって、生徒数の激変を避けることができるし、過渡期には市区町村内で、生徒の割り振りを調整するということも考えられるだろう。

第二に、公表の形態は過度に格差を煽らないものにすることが望ましい。学校別の順位を全面に出すというのは恐らく最悪の方法だろう。入試で選抜する私立の学校と違い、公立の生徒の学力の幅は大きい。例えば、米国ミシガン州のテスト結果では標準偏差(ばらつきの大きさ)も公表されているが、この結果から逆算するとトップに近い学区の生徒の平均学力偏差値は60程度である。大雑把に言えば、平均的な学校の生徒の8割あまりが偏差値35〜65に収まっているのに対し、トップの学校ではそれが45〜75に収まっていると言う事になる。そのように結果を示せば、オーバーラップが大きい事も分かり、より実態を表した統計になるだろう。各種統計で日本人の学力格差が米国人より小さいことを踏まえれば、学校間格差は更に小さくなるのではないかと予想される。幅の大きさも学校によって違うことを踏まえれば、必ずしも2校の優劣はつけられないため、明確な序列化を避けることもできる。そもそも、数十人から百数十人規模の学年別テスト結果は年による変動も大きいので、厳密に順位を付ける意味はあまりない。


まとめ

学力テストの公表は、国民の知る権利を満たす上で避けては通れない道だろう。そして長い目で見れば、より多くの情報が公表されることは、国民にとって有益なことであると思う。しかし、全ての人が同じ方向を向きやすい日本の国民性を踏まえると、教育の機会均等を確保するためには、米国のような国に比べより多くの注意が必要となるだろう。

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