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「あまちゃん」の魅力を構成する物語の重層性~半沢直樹とあまちゃんが示す、テレビドラマのあり方(3)

「半沢直樹」と「あまちゃん」の高視聴率について考えている。「ちゃんと作れば視聴率はとれる」と言う前提で、二つが「ちゃんと作った」から視聴率が稼げたのだと結論した。そして、これからもこの二作品のように「ちゃんと作れ」ば視聴率は稼げる、そして、それがテレビドラマの未来、ひいてはテレビの未来を開く。だから、この二作品の「ちゃんとしたところ」について考えてみよう。と言うことで議論を進めてきた。で、第一回は「共通」のちゃんとしたところについて考えてみた。そして「”情報圧”と”テンポ”が視聴者に快適な”めまい”を起こさせる」ところに、これら作品の魅力があると結論づけた。第二回は二つの「異なった」ちゃんとしところ、つまり「めまいを起こさせるメカニズム」「めまいの質」の違いに立ち入り、先ずは「半沢直樹」について言及した。最終回の今回は「あまちゃん」ついて考えてみたい。

前回も述べたように「半沢直樹」の魅力はベタな図式を徹底した「楷書」「ウルトラモダン」な展開にある。つまり半沢の目的(復讐)に向けて、あらゆるものが一直線に向かっていくという展開だ。いいかえれば全ては半沢の活躍に回収されるという「求心」的展開を、膨大な情報量と徐々に加速する爽快感で進めたわけで、それが視聴者を魅了したわけだ。

マルチストーリー

一方、あまちゃんは「草書」「ポストモダン」という言い方がぴったりだろう。とにかくベタな文法をどんどん壊し、ストーリーを拡散させていくという展開だ。そしてあまちゃん=天野アキの役割は、こういったマルチストーリー、そしてそれを演ずる脇役たちに役割を割り振っていく。そうすることで作品は「遠心」的な展開となる。

具体的にアキが割り振るストーリーを示してみよう。1.母・天野春子のアイドルルサンチマン克服の物語、2.足立ユイのアイドルを夢見る物語、3.鈴鹿ひろ美の女優としての自分さがしの物語、4.荒巻太一の春子と鈴鹿への贖罪の物語、5.水口琢磨の「モノ・ヒトを育てたい願望」成就の物語、5.大向大吉の春子と安部をめぐる恋の物語、6.天野夏と春子の母子確執解消の物語と、実にたくさんの物語が同時進行する。そして、これら物語をキャスティングするのが主人公・アキの役割なのだ。

これだけのマルチストーリーを一挙に展開するのだから、さすがにそのテンポは「半沢直樹」にはかなわない。というか、明らかにテンポはよろしくない。むしろ、一見、分裂したかたちでドラマは進行する。だから、これらの複数の物語を、それぞれ回収し、それぞれ改めて整理し直す作業を視聴者は強いられる。で、これがなかなかややこしいので、半沢がベースにおいているような「ベタな展開」、つまりサスペンス劇場や、既存の朝ドラの「一本道」の展開に慣れている高齢者には見るのがかなりつらくなる。情報量でオーバーフローをおこし、それぞれをつなぎ合わすことが出来なくなって「理解不能」に陥るのだ。だから高齢者には最初の北三陸編(Wikipediaでは「故郷編」。朝ドラの既存の展開である「アキの成長」というビルドゥングス・ロマンが展開された)の後からの、マルチストーリーが派手に展開する流れにはついていけないということになった。

オタク世代のデータベース消費

ところが、これがポストモダン世代、というか「オタク消費」的な指向性を備えた50代前半以下の人間にはウケにウケることになる。彼らは哲学者の東浩紀的に表現すれば「データベース消費」を嗜好する世代。作品の中にギッシリと詰め込まれた情報を繰り返し視聴したり(ネット上では一日四回放送されるあまちゃんが「早あま、朝あま、昼あま、夜あま」と表現された)、ビデオで何度も視聴したり、ネット上のサイト(とりわけTwitterを中心としたソーシャル)をチェックしたりすることで、このマルチストーリーのそれぞれを解析していくことに熱狂したのだ。

それだけではない、これらそれぞれのストーリーを任意につなぎ合わせるというメタ的な楽しみも見いだしていく。ただし、そのつなぎ合わせは完全に恣意的というわけではない。作品は三部構成になっているが、一部の北三陸編では天野アキの成長物語が、二部の東京編ではアキのアイドルへの道と春子のルサンチマンの修復が、三部の震災編(Wikipediaでは東京編)では鈴鹿ひろ美とユイの私さがしが通奏低音として用意され、その上でそれぞれのストーリーがこのシンフォニーを奏でるパートとして展開されるのだ。そう、クラッシックの曲のスタイルになぞらえば、「半沢直樹」が「協奏曲」であるのに対し、「あまちゃん」は「交響曲」的な構成(交響曲の多くは3~4楽章からなるが、「あまちゃん」は前述のように三部で構成されている)。そして、この時、「半沢直樹」では主人公の半沢はソリスト(ピアノ協奏曲ならピアニスト)として登場するが、「あまちゃん」ではアキは指揮者として登場している。そして、その都度、それぞれのパートを引き立てつつ、壮大なシンフォニーを奏でるのである。

視聴者は、これらのパートを繰り返し視聴する中で微分しながら楽しむということもやり始める。そして、さらにそれらをの物語をつなぎ合わせるという作業もまた楽しむのである。いわば個別で楽しみ、かつ全体で楽しむというやり方。なおかつ「自分だけのあまちゃん」を再構成するという楽しみ方。

アナグラムによるメタストーリー

さらに、この微分的な楽しみはアナグラム的手法でも可能なようになっている。アナグラムとは言葉の綴りを変えて別の意味をそこに含めてしまったり、主題を分解してちりばめてしまったりする手法のこと(言語学の父・F.ソシュールの言葉)。

たとえば、松本隆が作詞家としてデビューしはじめた頃、アグネスチャンに提供した曲「ポケットいっぱいの秘密」(1974)を例にとってみよう。この曲に次のような歌詞がある。

あなた、丘の上
ぐっすり、眠ってた
寝顔、かわいくて
「好きよ」とささやいたの

当時アイドルであったアグネス・チャンのイメージを踏襲した、いかにもかわいらしいテクストだが、この各行の最初の1文字を縦にならべると「あ・ぐ・寝・好」、つまり「アグネス」となり歌っている本人の名前が出現する。まあ、これはきわめて簡単なものだが、これが凝ってくるとアナグラムには一つのストーリーの中に別のストーリーが挿入され、それがメインとなるストーリーや設定とは異なるもう一つのストーリーや設定をつくりだすようになる。

そして、この手法が「あまちゃん」の中にはいくつか採用されている。大きなものは三つ。一つは80年代のアイドルシーンだ。当時のアイドルストリームに基づいて松田聖子、渋谷哲平などのエピソードがちりばめられ、これらを再編集することで80年代アイドルをめぐる物語が浮かび上がるようになっている。ただし、それはホンモノの80年代ではなく、その中から当時のアイドルである小泉今日子と薬師丸ひろ子が抜き取られらた「架空の80年代アイドルシーン」という物語。そして、このシーンを再現する役割を担っているのが春子=小泉と鈴鹿ひろ美=薬師丸なのだ。つまり、ドラマの中で架空の80年代アイドルシーンという別のドラマ=ストーリーを楽しむことが出来る。

二つ目は北三陸をめぐる物語。ドラマの中心は「北三陸市」。もちろんこれは架空の都市で、実際には久慈市がロケ地になっている。だが、この北三陸市には久慈市がしっかりと背後に想定されている。先ず北三陸鉄道は実際には三陸鉄道北リアス線だが、このことが「わかるやつだけ、わかる」ような仕掛けになっている。北三陸駅は久慈駅で駅舎はそのままロケ地になっているが、それだけでなく駅舎内も入り口と改札が同じ位置に作られていて、実際のものを見るとちょっとセットを彷彿とさせる。ただし、大きく違うところがある。実際駅構内の向かって右はウニ丼を売る売店だがセットは切符売り場、そして左側も売店だが、セットにあるのは喫茶店件スナックだ。そしてこの名前が「リアス(梨明日)」。つまり、この駅が実際には北リアス線の久慈であることが示されている。また北三陸市については北三陸観光協会にジオラマが用意されているが、これは久慈の要所を一カ所にまとめた架空のジオラマだ。たとえば北三陸線袖ヶ浜駅は前に海があり、それが袖ヶ浜ということになっている(ユイがミス北鉄として列車に乗り、窓越しに袖ヶ浜にいるアキと手を振り合うシーンがある)が、この駅は実際には袖ヶ浜のロケ地である小袖が浜から20キロメートル近く離れた堀内駅で、駅の前に広がっている浜は小袖が浜ではない(また畑野駅も田野畑駅を利用している。名前は後ろの二文字をひっくり返したもの)。さらにアキの恋人となる種市浩一は北三陸高校でダイバーの訓練を受けているが、このロケ地となった訓練用のプールのある高校名は「種市高校」という。つまり、こちらの方はドラマの中でもう一つの久慈市である北三陸市=ハイパーリアルな久慈市を楽しむことが出来る。とりわけ久慈の市民にとってはこのリアルな架空都市を毎回追うことで、やはり別のストーリーを追体験できるようになっている。

そして三つ目は、いうまでもなく東京のアイドルユニット「アメ女」こと「アメ横女学園」だ。これがAKB48であること、そしてアキが所属したGMT5(当初はGMT47)がAKBから派生した各都市のユニットHKT48やNMB48がモチーフであることはあきらか。そしてプロデューサー“太巻”こと荒巻太一は言うまでもなく秋元康だ(黒いスーツという服装と四角い黒縁メガネが同じ。腕を組んでポーズをとるところも)。で、アメ女のアメ横は御徒町。こちらも言うまでもなくAKBがホームグラウンドとする秋葉原のとなり。つまり、こちらはもう一つのAKBワールドであり、視聴者は秋元プロデュースならぬ「太巻プロデュース」を、秋元の手法をなぞらえながら楽しむことが出来るようになっている。

物語の重層性

あらためてまとめてみよう。「あまちゃん」は三つのストーリーから構成されている。先ず1.全体を通した大きなストーリーが三部(北三陸編、東京編、震災編)から構成され、次に2.それぞれのキャラクターのそれぞれのストーリーが展開され、さらに3.アナグラムに基づくメタストーリーが展開される。いわば「物語の三重構造」からなり、しかもそれぞれが複数の物語を持つという、きわめて重層的な物語なのだ。そして、この多重構造が「半沢直樹」をはるかに凌駕するような情報圧をつくりだす。視聴者はこれらの情報を微分していこうとするが、もはや物語の数が多すぎて処理不能。だから、必然的に「めまい」を感じるようになる。ただし、それぞれの物語には親密性を抱いている。だから、それは快適なめまい。視聴者はさながらディズニーランドでミニーのカチューシャを購入して装着し、嬉々としているゲストのように、この膨大な情報に身を投げ、あまちゃんワールドと一体となり、ホリスティックな感覚に包まれるのだ。つまり、ディズニーオタクがディズニーランドに行って各テーマランドで遊び、ミッキー、ミニー、ドナルド、グーフィー、プルートといったキャラクターに囲まれる(さらに裏ネタや隠れミッキーを探すと行ったようなアナグラムを探したりもする)といったのとまったく同じ状況が、「あまちゃん」というドラマを視聴し、ネット等を利用して情報アクセスすることで作られるのだ。

「半沢直樹」「あまちゃん」はウルトラモダン、ポストモダンといった相反するベクトルによって、隘路に陥っているテレビ界に風穴を開けるきっかけを作ったのではないだろうか。これはテレビドラマに限った話でしかないが、それ以外のテレビコンテンツについても、そしてその他のマスメディアコンテンツについても、実はブレークスルーとなる手がかりはころがっているはず。この二つはそのことを示したのだと、僕は思っている。

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