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「半沢直樹」の魅力を分析する〜半沢直樹とあまちゃんが示す、テレビドラマのあり方(2)

「半沢直樹」と「あまちゃん」の高視聴率について考えている。「ちゃんと作れば視聴率はとれる」と言う前提で、二つが「ちゃんと作った」から視聴率が稼げたのだと結論した。そして、これからもこの二作品のように「ちゃんと作れ」ば視聴率は稼げる、そして、それがテレビドラマの未来、ひいてはテレビの未来を開く。だから、この二作品の「ちゃんとしたところ」について考えてみよう。と言うことで議論を進めてきた。で、前回は「共通」のちゃんとしたところについて考えてみた。そして「”情報圧”と”テンポ”が視聴者に快適な”めまい”を起こさせる」ところに、これら作品の魅力があると結論づけた。

今回は後半。では、二つの「異なった」ちゃんとしたところはどこに求められるのだろう。いいかえれば、二つの「めまいを起こさせるメカニズム」「めまいの質」の違いはどこにあるのだろう?

先に結論を述べれば「半沢直樹」は楷書を徹底させたところ、「あまちゃん」は草書を展開させたところに、その独自性(そしてめまいの原因)を求めることが出来る。哲学用語を用いれば、前者は「ウルトラモダン」、後者は「ポストモダン」といったところ。でも、これじゃあ、ちょっとわかりづらいので、もう少し砕いて言えば、前者は「徹底的にベタな手法を採用したところ」、後者は「ベタな手法を次から次へと破壊したところ」に魅力がある。つまり、同じ「めまい」効果であっても、その手法においてベクトルは逆を向いている。

半沢直樹は徹底したベタな展開、そしてデフォルメ

「半沢直樹」。これはとにかく本当にベタベタな展開だ。まず、展開としては勧善懲悪図式を徹底的に前面に押し出している(これについては慶応大学の中村伊知哉も指摘していた)。半沢は、実はピュアな善人であり「悪人を殲滅しようとする存在」。一方、大和田(香川照之)や浅野(石丸幹二)は悪人(大和田に至っては仇敵でもある)で、「殲滅されるべき存在」。そして、その取り巻きも半沢の周囲は善人(中野渡)や正義感の強い人間(中西、垣内、竹下)や、ちょっと気の弱い人のよい人物(近藤)、そして半沢の懐刀(角田)というふうに善玉で固められている。片や大和田や浅野の周囲は自己顕示欲の強い人間(羽根、東田)や保身に徹する人間(岸川 、江島)、姑息な人物(小木曽、灰田、小村)と、やっぱり悪玉。加えて善悪二つの対立を盛り上げる、二人の狂言回しが登場する。善は渡真利(及川光博)、そして悪は黒崎(片岡愛之助)(この二人は状況の解説役でもある)。さらに、これらをより明瞭化させるために、どの役者にも大仰な演技をやらせ、時には見得さえ切らせる(ご存知のように、半沢の決め台詞としての見得は「やられたらやりかえす、しかも倍返しだ!」だ)。香川の演技はいつもにまして大仰だし、片岡に至ってはオネエ系で声のキーを高くしてイヤミな感じをデフォルメし、エキセントリックなキャラとなっている(愛之助は歌舞伎の芸を見事に持ち込んでいる。お陰で現在、大ブレイク中だ)。

余分な要素は全て省略

こういったかたちで役柄の性格をはっきりと二分する一方で、それ以外の役割はバッサリ切り落としてしまう。だから、こういった善悪二分法の枠から外れた人間ついては、書き込みが実に浅い。その典型は半沢の妻・花(上戸彩)で、花はもっぱら半沢の、いわば「援護射撃」しかしない。この辺は「ジェンダーバイアスがかかりすぎ」、つまり男性中心のドラマであると批判を浴びているが、こういった批判は完全に的が外れている。ここでは前述したように善悪二元論をくっきりと浮き彫りにするために、どちらかに役割を二分し、それ以外はバッサリと切り落とすことが重要なのだから(言い換えれば「男のドラマ」にしてしまった方がわかりやすい。だからこのドラマでいちばん恩恵の少なかった俳優は上戸彩だろう)。こうすることで作品自体はミニマリズムを徹底させた、実にシンプルなものになるのだ。勧善懲悪の物語、シンプルな役割設定、シンプルな展開、そしてこれらが全て使い古されたお定まりの図式。ここまで単純なお約束の図式に話を持ち込めば、こりゃ、実にわかりやすい。年寄りでも十分楽しむことが可能だ。だから、視聴率はそれなりに十分見込める。

しかし、現れた結果は常軌を逸した想定外の視聴率。本来、こういったベタな図式だったら「サスペンス劇場」程度しか視聴率(まあ20%くらいが関の山か)がとれないはず。そして高年齢層がもっぱら顧客となる。ところが、ご存知のように「半沢直樹」は、これらをはるかに凌駕する数値をはじき出した。ということは「サスペンス劇場」の顧客層、つまりこれより下の層をゲットしたと理解しないと辻褄があわない。で、実際、この番組は、かなり広範囲な層に受け入れられている。なぜか?

ベタな図式を情報圧とテンポで引っかき回すことで生まれる疾走感

その理由は二つ。一つは、ここまで展開してきたように、ベタな図式を徹底したこと。つまり、徹底度合いがハンパなかった。きわめてクッキリとした展開を心掛けたから見やすかったのだ。 全ては半沢直樹を中心に物語は展開し、その他の役柄は半沢をポジティブかネガティブに盛り上げるだけ。いわば、他の要素でお茶を濁すと言うことが一切ない。だから、ものすごくわかりやすい。 いいかえれば既存=モダンな図式をそのままに、とことん突き詰めたウルトラモダン。とにかく半沢の話たった一本だけの電車道でストーリーがひたすら展開する。

だが、それ以上に、視聴率に拍車をかけたのが、前回、取り上げた作品の形式だ。つまり膨大な情報圧とテンポで、これらのベタ要素を使いまくった。しかも「半沢直樹」の場合、ストーリーは毎回、後になればなるほどそのテンポが加速する。しかも回を追うごとにもテンポが加速した(ただし大阪編(1~5話)と東京編(6~10 話)の二段ロケット方式で、それぞれ加速した)。そして、この疾走感=加速の爽快感こそが結果として「半沢直樹」のいちばんの魅力となる(ここが「あまちゃん」とはまったく異なるところだ)。こうすることで、このベタベタな図式は、ベタベタな図式なままベタベタな図式を超越する。つまりベタベタをものすごいエネルギーで突き通すことによってベタでも何でもなくなってしまう、きわめてクリエイティブなものになった。要するに量が質に転化したのである。そして、この骨太・高速な展開に、普段ならば「サスペンス劇場」的なベタな展開には目もくれない若年層が飛びついた(サラリーマンという設定も中年男性を呼び寄せるには効果的であったことを加えておくが)。つまり加速感にワクワクしてしまった。そう、こうして「半沢直樹」のウルトラモダン作戦は老若男女の幅広いそうを取りこむことに成功したのである。その結果が最終回の42.2%という視聴率だったのだ。

じゃあ、「あまちゃん」の方の「めまい」は、どう構成されているのだろうか?(続く)

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