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全国学力調査は、子どもたちのためにやめた方がいいのではないか。

 いやあ。驚いたのなんの。今回の静岡県知事が引き起こした、全国学力調査をめぐっての一連の騒動だ。

 静岡新聞が社説で、「全国学力テスト、最下位とはショックだ」と書いたらしい。しかし、わたしに言わせれば、「静岡県知事が学力調査で下位の学校の校長名を公表....」と報じられたニュースの方が、よほどショックだった。

 だって、最上位があれば最下位があるのは、当たり前のこと。しかしそれで校長名公表となるのは、あまりにも異常だ。ふつうみられる姿ではない。ショックの度合いもまるっきり違う。

 このニュースをわたしが知ったのは、このブログの三つ前の記事に寄せられた、ももぱぱさんのコメント(1番)だった。今、その部分を再掲させていただこう。

 ~。ところで不躾ではありますが 元校長先生として意見を伺いたい事があります。 本日、報道で「静●県知事が学力調査で下位の学校の校長を公表....」ご存知でしょうか?

こんな事を言う輩、出てくると思っておりました。それでも学力調査をやる意味あるんでしょうか? こんなとんでもない勘違い「恐喝経営者」は先の高校生にも劣ります。

私には単なる「地方自治体財源を大枚かけているんだから、結果を出せないなら罰だ」 と、大阪の誰かの二番煎じとしか思えません!

 まったく同感だ。それにしても、さびしいニュースだった。《元校長先生として、~》とのお尋ねだが、さびしいとしか言いようがない。

 校長として、日々学校経営に努力するのはもちろんだが、一番成果が上がったとするなら、それは何だろう。喜びと言ってもいいかもしれない。

 それはやはり、《子どもたちが日々充実した思いで登校し、満足感をいだいて下校する。》その姿に表れるのではないか。そのなかには、分からないことが分かるようになったりできなかったことができるようになったりする、達成感も当然含まれる。

 そして、それは、地域・保護者の方なら、日々感じ取ってくださっているだろう。

 それこそが大切で、学力調査など、そのわずかな一断面にすぎない。

 それにしても、日本の学校教育を取り巻く環境は変わってしまった。

 わたしが現職のときとは、大きく変わってしまった。

 それも、今回の事件は、皮肉なことに拙ブログにおいて、心なごむ、温かな話題をとり上げているさなかの出来事だった。

・東京オリンピックプレゼンでの、日本の伝統文化である《おもてなし》の精神。それは、
 他を心からいつくしみ、互いに想いやり、心配りをする。~。安全な街、親切な街。
 滝川さんによって、そのように語られた。

・また、高校生による、実証的に問題追求し、解決をはかろうとする、それこそ、テストなどでは測れない、生涯にわたって生き抜く力を養っている日本の教育、

 そういう日本の伝統、日本の教育のまだまだ捨てられていない良さ、そういったものを根絶やしにする言動。わたしにはそのようにうつった。
 これはまた、古くからの日本の良さに対しやいばを向ける、人間のみにくい部分をまさに行政府の首長が示してしまう行為だった。上に立つものがこれではね。

 憎しみの心には憎しみの心しか返ってこない。肝に銘ずべきだろう。

 今、地域にもよるが、学校現場は大変だ。目先のことに追われっぱなし。短兵急に成果を求められる。そこには、『人間性豊かな』とか、『個性を大切に』とか、『自主的・主体的な学びを』とかいった、悠久な精神は忘れ去られてしまったかのようだ。

 悠久な精神は、『得体が知れないもの。』『どうにでも言いのがれできるもの。』として排斥される。そして、『テストの点数』『子どもが読んだ本の冊数。』『家庭学習の定着の度合い。』などといった目先の数値目標によって、教員の指導力が決められてしまうようになった。

 いきおい、教員も余裕はなくなり、子どもを追い込み、苦しめていく。そんな地域も多い。

 ああ。今回の騒動は、それに拍車をかけるものではないか。

 テストの点数。それがそんなに大切か。教育にはそれしかないのか。テストの点数の上位校が、すばらしい教育をしているというのか。

〇今回、騒動を引き起こした知事は、《県民の皆様、特に先生方に》なる文書を公表した。わたしにとっては他県のこととはいえ、一地域にとどまる話題でもないので、熟読させていただいた。

 どうにもならないくらいの矛盾を感じ、またまたさびしさを感じてしまった。

・知事は今回の騒動に関して、同文書で、
《当初、成績下位校の校長のみを公表するといったのは、それらの学校の先生方に集中的に県の助力を傾注するためです。弱いところを支え、強くすることが、私の仕事です。》と述べている。

 しかし、弱いところを支え、強くするのが仕事なら、どうして下位校の校長名公表となるのか。いくら考えたって理解不能である。そこにはぬぐいようのない矛盾があろう。
 公表などしなくても、いくらも集中的に県の助力を傾注することはできる。いや。しないでそっと支えた方が、地域・保護者も喜び、児童の意欲的な学びにつながるというものだろう。

 むしろ以下のように見た方がすっきりする。
 
 同文書では、《これまでの経緯》と題し、県教委の閉鎖的体質をるる述べている。そこからは、積年の憤まんやるかたない思いをうかがい知ることができる。自分の思い通りにならない教育委員会に対して、常日頃、はらわたの煮えくり返る思いでいたことが推察できる。つまりそのうっ憤晴らしではなかったかということだ。

 ねっ。憎しみには憎しみで、それを地でいった感が強い。誰が見たってこの公表騒動は、懲罰以外の何物でもない。上に立つものがこれでは、教育は荒廃せざるを得ない。

・また、県教委を《専制者の姿勢》とし、《知事は民の代表》とも述べる。
 ここには、逆立ちの論理が見られる。この、下位校校長名公表のニュースに接したとき、いったいどちらが専制者とうつるか。それはもう語るまでもないであろう。

 戦後一貫して続いてきた教育委員会制度、それは教育の政治的中立を守るためであった。時の権力者の影響が及ばないようにするためであった。教育委員会は、県の一部局ではないのである。
 そうしたことへの歴史的経過を忘れ、いったん選挙で勝利すれば、教育をも思い通りに牛耳ろうとする。

 いったいどちらが専制者なのだろう。

 今、教育委員会が閉鎖的体質というのは、多くの地域で語られる。いじめ問題などでは、その矛盾が露呈されたといえよう。しかし、知事ならば、枝葉末節のテストの点数などで怒るのではなく、日ごろから教委の体質をとり上げ、改善点を明確にして県民に語りかけるなど、地道な説得に努めるべきではないのか。それこそが理性ある対応といえよう。

・また、この文書は、テストの点数のみが学力であり、教育の成果であると言っているに等しい。
 
 知事には、学習指導要領から、しっかり勉強してほしいものだ。何が学力かということだ。そこには、前述の《生きる力》につながる言葉が数多く示されている。《人間としての調和》《主体的に学習に取り組む態度》など、テストではうかがい知れない学力も強調されている。

 これらにふれることなくして、単に学力調査の点数のみで、教育の成否を語る。

 こうした決めつけが、どれだけ教育現場を荒廃させるか。子どもを不幸にするか、知事にはそうした判断力はないようだ。

 あえて申し上げよう。テストの点数のみが学力ではない。
●学校は道徳教育も行っている。
●自ら主体的に生きる力を養うためには、特別活動もある。
●その他、人権教育だ、福祉教育だ、交流教育だ、・・・・・・。
 先の高校生の事例を上げるまでもなく、学校はいろいろな教育活動を行っているのだ。衷心より申し上げるが、そうした意味もこめて、総合的に学力というものをご判断願いたい。

・知事と教委とのいい関係の構築を目指してほしい。

 いきなり、憤まんをぶつけるのではなく、日ごろから懇話会など、理解し合える関係を築いたらどうか。意思の疎通を図る。

 教委は、教育のプロが多いだろう。それに対し、知事は、いわば教育の素人ではないか。素人には謙虚さが必要だ。また、プロには、閉鎖的体質などと言われないように、広く説明責任を負うといった態度がほしい。

 先に、おもてなしの心で、《他を心からいつくしみ、互いに想いやり、心配りをする。》と述べた。お互いに、自分の領分を守りながらも、他を思いやる心があれば、うまくいくはずなのだがね。

・再び、《県民の皆様、特に先生方に》なる文書に戻るが、

 《うまくいっているところは放っておいてもよいのです。》とのこと。

 これはいけない。冗談ではない。県として、ほおっておいていい教育現場などあるはずがない。うまくいっているところだってそれなりの教育的課題はあるはず。教育行政がこういう姿勢なら、さらに伸びるべき芽も枯れさせられてしまうだろう。

 この言葉にも、テストの点数至上主義を感じる。どの現場も、その現場なりの課題があるのであり、支援の手を差し伸べなければならない。知事であるなら〇☓思考ではなく、その地域・学校・児童に合った差し伸べ方を熟慮すべきだろう。

〇今後、静岡県に限らず、全国学力調査対策としての授業は全国的に横行するようになるだろう。
 そのほんの一例だが、今回同県では、無答が多かったとのこと。したがって、時間内にやりきる訓練をするようになるだろう。
 すでにそうした地域はあり、拙ブログにもそうしたなかで子どもの実情を訴えるコメントをいただいている。
・テストでパニックになった子ども
・テスト用紙を見ただけで、頭がくらくらする子ども
・できないことで泣き出す子ども
 大人の危機感が、子どもをそのような状況に追いやってしまう。

 一連の騒動で、学校はどうなってしまうのだろう。子どもは大丈夫か。 

〇わたしは、全国学力調査が始まって以来、この調査問題を前向きにとらえ、支持してきた。
 
 特にBの活用問題は、PISA調査の影響を受け、従来の日本の伝統的な問題にはなかったものだ。『学力観の黒船』と称したこともある。

 従来の日本は知識・理解を問う問題がほとんどだった。しかし、本調査はそれとはおもむきを異にし、子どもの生活場面をとり上げながら、資料活用力、思考・判断力などを問うたり文章記述問題をふやしたりするなど、良問が多い。世の中のグローバル化の方向を視野に入れているといえよう。
 したがって、さらに改善を図ってほしい点はあるものの、この問題を教員の授業力、指導力を高める方向で活用すれば、真の意味での学力が向上するに違いない。そう思って期待していた。

 しかし、為政者がこんなにも目先の点数にこだわり、学校に圧力を加え、落ち着いた授業改善、学級経営、学校経営の営みを妨害するなら、冒頭のももぱぱさんのコメントにあるように、わたしもこの調査に反対したい。子どもたちのために。

 それにしても、各学校におかれては、こうした点数アップにこだわる声に負けることなく、子どもたちの健やかな成長、全人格的発達を目指して、がんばってほしいものだ。

 本記事と同様の趣旨の記事は、すでに4年前に書いています。このときは、大阪が舞台でした。本記事より具体的、事例的ですので、お時間のある方はご覧いただければ幸いです。
 
この国の子どもたちの幸せのために、
 

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