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スポーツに暴力は必要か - 山口香 / 体育学

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スポーツの価値と意味の理解が体罰撲滅につながる

私が生まれたのは1964年(昭和39年)、東京オリンピックが開催された年である。当時のスポーツアニメ、ドラマを思い起こせば、『巨人の星』や『アタックナンバーワン』といったいわゆる根性ものが全盛の時代だった。苦しくても辛くても耐えて栄光をつかむという物語が多くの人の共感を得た。なぜなら、その時代は日本全体が我慢して骨身を惜しまず働けば、豊かさを手に入れられると信じて突き進んでいた時代だったからだ。豊かさの定義も、テレビや冷蔵庫、車など物質的なものにあり、目に見える、わかりやすいものだった。その後、時代は進み、日本は世界有数の経済大国となり、物が溢れ、何が豊かさなのかも判断できなくなっていった。人々の求めるものや価値観は多様化し、思い描く豊かさや夢は昔のように単純なものではなくなった。

時代が変化したにもかかわらず、スポーツだけは当時の根性主義をどこかに引きずってきてしまったようだ。おそらくそれは、古き良き時代への人々の郷愁なのだろう。“スポーツには変わってほしくない”といった日本人の思いのようなものがあるに違いない。

スポーツと体罰、暴力の問題が根深いのは、指導者や選手のみならず、このように日本の社会がこれらを容認している背景にある。自分たちが育ってきた時代を肯定し、“あの時代があったから今がある”“あの厳しさが今の時代にも必要だ”という思考がある。そのうえ、日本のスポーツは、学校体育、部活動が主体となってきたため、体育とスポーツの棲み分けができていない。確かに、スポーツと教育は重なる部分があり、どちらも厳しさが必要であることも否定しない。しかしながら、分けて考えるべき部分があることを認識する必要がある。スポーツに体罰が必要ないことを説明するには、スポーツの価値や意味を理解することが鍵となる。

現在行われているオリンピック競技は全て近代スポーツと言われるもので、特徴として世界共通の統一したルールや用具で行われる。この近代スポーツの誕生は、議会制民主主義が行われ、力で戦う方法ではなく話し合いやルールに基づいて物事を決めていくようになったイギリスで産業革命が起きた時代にさかのぼる。様々な用具や物が工場で大量生産できるようになり、規格を揃えることが可能となって、スポーツの対抗戦を行える範囲がどんどん広がった。

一方で、新興貴族のブルジョワジーは子弟の教育にスポーツが有益であると考えるようになり、多くのエリートスクールでスポーツが取り入れられるようになった。彼らはいったい何をスポーツに求めたのか。それはゴルフ、ラグビー、テニス等、ヨーロッパ発祥のスポーツを見ればよくわかる。

例えば、ゴルフ。やったことがある人はわかるだろうが、基本的にセルフジャッジである。OBを叩いてコースを外れたら、自分で行ってショットを打つ。そこでの空振りやチョロを打数として申告するかどうかは本人次第である。ここから、エリートに求められるのは“誰かが見ているから”“誰かに言われたから”起こした行動や抑制ではなく、自らを律する力なのだという考え方が読み取れる。ラグビーはなぜボールを前に投げてはいけないのか。どうして、あのように投げにくいボールにしたのか。簡単には前に進めず、手順を踏んで、皆で力を合わせながら一歩一歩前に進んでいく。組織の勝利のための犠牲的な精神も重要だ。おそらく、ラグビーは社会の縮図なのだ。

そして、どちらのスポーツに共通するのは、試合場にコーチが入れないこと。試合になれば自ら判断し、決断する自立がなければならない。つまり、スポーツには『自律』と『自立』を求められ、学ぶことができるのである。これらは社会で生きていく上で必須であり、それらを学ぶことのできるスポーツが青少年には重要だという論理となる。

自ら考える力をつけさせることが指導者の役割

体罰を行う指導者の多くは「なぜ体罰をしたのか」という問いに「何度言っても言うことを聞かなかったから」「強くするためには必要なこと」などと回答する。確かに危険な行為を行った場合には厳しく叱責することも必要だとは思う。しかしながら、その場合、その生徒をその場から退場させれば済むことである。

サッカーにレッドカードがあるように、行ったことに対して責任、罰則が課せられることを学ぶのもスポーツである。殴って言うことを聞かせていると、次第にそれが習慣となって、殴られなければ言うことを聞かない人間が育っていってしまう。スポーツ現場には殴って軌道修正してくれる人がいるかもしれないが、社会に出たらそんな人はいない。自ら事の善し悪しを判断して行動をしなければならない。

スポーツに「・・たら、・・れば」はないと言われるが、現実はその連続である。柔道では技をかけるかどうか判断して決断、実行し、その技がうまく行かなかった場合は、なぜうまくいかなかったのか「・・・だったら、・・・れば」と検証、評価、反省して次の技につなげていくのだが、これらのことを瞬時に判断、決断することが求められる。試合時間は限られ、ときに勝敗は一瞬で決まるからである。柔道に限らず、こういった思考が早く適切に行えるのがトップアスリートに求められる資質の一部であろう。つまり、強くするため必要なのは、体罰ではない。「自ら考える力」であり、それを身につけさせるのが指導者の役割なのである。

そのために重要なのは、選手が考えなければいけない場面や、判断を迫られる場面で、どのように論理的な思考を展開すればよいのかを学べるよう、指導者が声かけをすることである。選手が行った一つのプレーの後に「なぜ?」と問いかけをする。このことによって選手は、多くのプレーの中で指導者がそのプレーに注目したのはなぜなのか、どこに問題であったのかを考え、気付きを得ていく。

この問答が積み重なっていくうちに、選手は指導者なしでも自問自答によって問題解決の糸口を見つけていけるように成長していくのである。その一方で、指導者は大きな大会を前に「私はこのプレッシャーのかかる舞台で戦い抜くだけの知恵と勇気を選手に授けることができたのだろうか。」という考えが頭をよぎる。手塩にかけた娘を嫁に出すような気持ちとでもいったらいいのだろうか。親であれ、指導者であれ、子どもを守ってあげたい気持ちがどんなに強くとも、どこかで独り立ちさせる時が必ず来る。そのときに自分の足でしっかり立って歩いていけるような手助けをしてあげるのが指導者の役目なのである。

体罰で育った選手は社会でも生き残れない

近年、スポーツはバブルとも言うべき盛り上がりを見せている。一般紙の一面をスポーツ記事が飾ったり、NHKのトップニュースにスポーツが報道されることも珍しくない。スポーツ選手の書いた本は、小説やビジネス本を凌ぐ勢いで売れている。その一方で、経営状態の悪化等を理由に歴史ある名門企業スポーツの休部や廃部が相次いでいる。

年間の運営費が負担になることも大きな理由だろうが、それ以上に企業の成長戦略の中でスポーツを支援していく明確な存在意義が示せないことに問題の核心がある。企業スポーツもかつてのスタイルとは大きく形を変えている。以前は社員として午前中は勤務し、午後を練習にあて、引退後は職場に戻って一般の社員と同様に終身雇用のケースが多かった。しかし、競技が高度化したことで選手はほぼフルタイムで強化に専念することが求められ、企業もその実態に合わせてなのか、選手活動期間中のみの契約社員として雇用するスタイルも増えている。選手を取り巻く環境は大きく変化しており、トップアスリートとして活躍した選手でも、引退後のセカンドキャリアを築くことが容易ではない時代になった。

このように、スポーツに熱狂する一方で、なぜ企業はアスリートを選手の間だけ雇用し、その後は放り出してしまうのだろうか。

少し前までは、「体育会出身者」というだけで就職が有利と言われた。今は、「体育会=勉強していない、即戦力にはならない」といったマイナスイメージもあるようだ。おそらく、前述したような以前の日本とは必要な人材に差が生じていることに要因はあるのだろう。我慢や献身的な労働が求められた時代には、厳しい訓練に耐えられる従順なスポーツ選手は有用であったが、現代社会ではそういった単純な人材は求められていないということなのだ。

スポーツの夢や目標は、金メダルのように明確で、物質的な豊かさを求めることに近い。しかしながら、社会に出れば金メダルという目標は消滅し、自らが目標設定をして誰に促されることも強要されることもなく、取り組んでいかなければならない。殴られても蹴られても、‘強くなる‘というたった一つの価値観に向かってひたすら進んできた人間が社会に出たとき、コーチも具体的な目標なしでやっていけるのか? 企業は利益を追求することに正直だ。トップアスリートが本当に有用で能力が高ければ引退後に手放すわけがないし、その会社が手放したとしても引く手数多のはずである。

IPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸也教授はなぜあのような研究に取り組み、成果をあげることができたのか。80歳にしてエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎さんの原動力は何なのだろうか。大きなことを成し遂げる人に共通しているのは、常識や慣習に囚われない自由でクリエイティブな発想と、「誰かにやらされて」やっているわけではないことだ。苦しいとき、辛いときこそ、自らの夢の実現であったり、未開の境地に達したいという、湧き出るような欲望があるから突き進んでいける。体罰に頼って作り出される人間は体罰によってしか動かない。そんな人間を社会は必要としていないことを指導者もスポーツ界も認識する時期にきている。

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