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写真文化の変容~デジカメとスマホがもたらすもの(3)/消費文化としての写真

「永遠の記録」から「刹那的なネタ」としての画像 

写真文化の変容について考えている。前回までは写真文化(アナログカメラ・ベース)がカメラ・カルチャー(デジタルカメラ・ベース)に変化しつつあることを指摘しておいた。そしてデジカメによる撮影が、写真を現像してプリントとして残しておくという習慣を消滅させていったことを説明してきた。だが、その一方で「一回性のアウラ」を奪われたカメラ撮影という行為は、今度は「展示性」を前面に打ち出し、カジュアルななものとして私たちの習慣の中に再び立ち現れてくる。それはたとえばケータイのカメラ機能による撮影という行為に象徴的に現れるものだ。

その結果、今度は「とりあえず撮っておく」という習慣が定着する。町を歩いていて何か気になるものがあったら、とにかくメモ代わりに撮っておく行為が一般化するのだ。ただし、そのほとんどは結局顧みられることもなく、死蔵されるか、あるいは消去されてしまう。では、なぜ「とりあえず撮っておく」のか?それは、そこに「カメラ・カルチャー」が備える新しいコミュニケーション機能を、われわれが無意識のうちに感じ取っているからだ。

写真は人生のアーカイブだった

「写真文化」において、写真は互いを永続的につなぎ合わせるためのメディアとして機能していた。人間どうしが一つのフレイムに収まると言うことは、いわばそのフレイムに収まっている人間たちの関係性を保証する担保を獲得することを意味していた。だから、例えば恋人が別れれば、ツーショットで撮影したプリントを破いたり、焼いたりして破棄したのである。この時、写真を破棄するという行為は、いわば、写真がこの二人の関係を証明するには「空手形」であったことを自らに示すため、あるいは関係性を断ち切るためにおこなわれたのである。

家族写真も同様で、この時、写真撮影とは、この行為によって家族を確認するためのメディアだった。また息子、娘が家を出たときや、家族の一員が亡くなったりした場合には、今度は撮影された写真が「家族であったこと」、あるいは「心理的には家族であり続けること」を逆照射的に証明するメディアとなったのである。

つまり「写真文化」において、写真は人間をつながりのあるもの、直線的な文脈、つまり家族や恋人同士であるという物語の中に位置づけるものとして捉えられる、極めてアナログなコミュニケーション・メディアだったのだ。

カメラ・カルチャーにおける二つのコミュニケーション性

だが「カメラ・カルチャー」においては、前述したように、このような機能は薄れていく。その一方で「メモ機能」「必要なときだけに見るが、原則、印刷しないという習慣」を備えることで、カメラ・カルチャーは写真に「刹那的なコミュニケーション・ネタ」としての機能を付与することになる。その象徴的な行為がケータイのカメラ機能を使って「とりあえず撮っておく」という前述した習慣なのだ。 なぜ「とりあえず撮っておく」のか。二つほど例を挙げよう。

撮影という行為それ自体の目的化

ひとつは、若者たちがパーティ、飲み会でする記念撮影だ。とにかく盛り上がると、互いのケータイを用いて撮影をする。このとき、全員が整列してというパターンは稀。むしろツーショットというのが原則となる。だが、面白いのは、この撮影された映像が印刷されることがないこと、いや事後にこれを見るという行為すら少ないと言うことだ。「写真撮影」という行為は「写真文化」の時代であったならば、記録を残すという目的のためにおこなわれていた。だが、こういった記録を確認することが二義的なものとなっているということは手段が目的化している、言いかえれば「撮影する」という行為それ自体が目的となって顕在化していることを意味している。では、何のための撮影か?それは「ツーショットで撮影した」という事実をプリントとして記録するためではなく、撮影した行為を記憶=経験として残すためだ。そしてこの時、撮影されたデジタル・データはそのこと「証明する」という形式を維持するための担保でしかない。しかもこの担保に対してはほとんど顧みられることはない。平明に言いかえれば「いっしょに写真に収まった私たちは親密」という儀式でしかないのである。ただ、そういう形式のみが相互の親密性を保証することになるわけで、その親密性を維持するために執拗にツーショットの撮影が行われることになるのである(おそらく、われわれはカメラを向けられた時、かつて以上にピースサインをするようになっているのではないか?)。

セレブや事件を撮影することで、究極の消費ネタを仕入れる

もう一つは、僕の経験を取り上げてみたい。昨年十月(2008年10月)。僕は東国原宮崎県知事にインタビューを行うため宮崎から東京までフライトに同行した。宮崎でやるには時間がないので、東京・フジテレビまで行き、番組が始まる前の空いている時間を使ってインタビューということになったので、止む終えずこういうかたちをとったのだが、面白かったのは宮崎空港に到着したときのこと。ロビーに知事がやってくると、そこに居合わせた客たちが一斉に知事に向かってケータイで彼を撮影し始めたのだ。その人数は二~三人では収まらない。何十人もの数。そして乗り込むまで、知事の周囲にはひたすら撮影が続いたのである。

東国原知事にケータイを向けた人たちの理由は明らかだ。これは先ほどのパーティ撮影とは違い、明らかに記録することを目的としている。そしてこの映像は確実に友人などの第三者に閲覧させることを前提にしている。つまり、「宮崎空港に行ったら、たまたま東国原知事に遭遇した」という事実を伝えることで話題のネタづくりにするわけだ。とにかくこの映像を見せればその場は盛り上がるだろう。ちなみに、これと同様の事態は六月(2008年)に起きた秋葉原の無差別殺人事件でも発生した。刺された被害者の周辺に多くの人間が取り囲んだのだが、そのほとんどは行っていたのは介護ではなく、ケータイによるカメラ撮影だったのだ。これもまた格好のネタであるし、また、そこに自分が居合わせたことでちょっと優越感に浸れるという差異化にもなる。そして、この自慢話は第三者にまつわるものであるのでプライベートには関与せず、しかもメディアで報道されていることを前提としているので話題としても共有しやすい、格好のメディア=話題ネタなのだ。

現代人のコミュニケーションにおいて、こういったコミュニケーションの表出的、消費的機能を活性化するメディアとして最も大きな力を持っているのは言うまでもなくテレビだが、ここでケータイは、いわばプライベートテレビという機能を果たしている。しかも、テレビメディアとそのネタが大きく重複してもいる。ケータイを持てば、あなたも特ダネ記者になってしまうわけだ。で、盛り上がれるわけだ。(続く)

※本編は2008年8月の論考です。現在のカメラカルチャーをスマホとSNSの立場からあらためて考えるために(第六回以降)、五年前のデジタルカメラが完全に普及した際の議論を叩き台にするために再録しています。

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