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大衆写真文化の変容〜デジカメとスマホがもたらすもの(1)

カメラは戦後、そのスタイルを大きく変容させてきた。70年代にはオートフォーカスカメラ、80年代後半には使い捨てカメラ、90年代にはケータイのカメラ機能、プリクラが出現。現在では「カメラ女子」という言葉が生まれるほど(かつてカメラはきわめて男性ジェンダーに振られているメディアだった)カメラは大衆化を進めていったのだが、おそらくそのメディア性の変容に最も大きな影響を及ぼしたのは21世紀に入ってからの二つの出来事だろう。デジタルカメラ(ケータイのカメラ機能含む)、そしてスマートフォンの普及だ(ご存知のようにスマホにはカメラ機能が標準搭載されている)。今回は1.デジカメ以前、2.デジカメの出現、3.スマートフォンと三つの次元からカメラ・カルチャーの変容について考えてみたい。

さて1と2を考えるにあたり、僕が2008年8月にアップしたブログの記事を転載させていただく。この時点は、実質的にはまだスマホそしてSNS出現以前。だから僕の論考にはこれらについての記述がない。だから、ちょっとピンぼけのところもあるかもしれないが、五年前に書かれている割には、カメラの現在をよく照射している。なので、先ずこちらを読んでいただき、その後にこの2008年の考察を省察、訂正するかたちで3のスマートフォンについて考えていきたいと思う。

どんどんつぶれる写真館(以下、2008年のブログ)

先日、久々に故郷の静岡へ墓参りに行った。母を連れてのドライブなのだが、ということは当然のことながら親戚回りというノルマがついてくる。今回の話は、その中の親戚の一件、叔父の家へ立ち寄ったときのことだ。ただし、これは僕個人の話というより「写真」というカルチャーの話になる(原則、このブログは分析を前提としており、個人的な思いを極力避けるという体裁を採っているので)。そしてメディアの変容プロセスを典型的に物語る話でもある。

その店は静岡の中堅都市にあった。叔父は写真館を四十数年に渡って営業している。とはいいうものの、情報感度の鋭い人物で、「田舎の写真館のオヤジ」という肩書きから来る一般的なイメージとは外れたキャラ。鋭い分析をきかせてくれる人物でもある。

で、僕は月並みに「最近、商売はどう?」と訊いてみた。もっとも、これは確かに月並みではあるものの、その文脈として「具合悪いんじゃない」という前提に基づくものだ。つまりデジタルカメラの普及で写真館(以下、カメラ屋)は経営的に苦しいのでは?という文脈。そして叔父の方もこの空気を完全に読み取って、僕に面白い話をしてくれたのだ。

「いや、客の減少はハンパじゃない。カメラがアナログからデジタルになって家庭で印刷できるようになったから、そりゃ始めから売り上げが落ちていくなんてのは予想してたんだけど、ここ二年くらいの落ち込みはすごいよ。ウチの町にはカメラ店が十店ほどあったんだけど、どんどんたたんでいるからね。で、たとえば十件で、かつて年間一億円の儲けがあって、これを取り合っていたとしたら、本来なら他の店がつぶれるというのはこちらにとっては都合がいい。だって、その分、こっちのパイが増えるわけだから。」

「ところが、そうじゃあない。市場としての一件分の規模がそのまま縮むんだよね。いや、厳密に言うともっと減っていく。わかりやすく言うと1億円市場が一件つぶれると9千万じゃなくて8千万台になるんだ。で、また次がつぶれるとこの割合に拍車がかかっていく。つまり、早めに店をたたんだ方がトクといってもいい状況なほど市場がどんどん縮小するんだ。」

どうやら写真店業界はとんでもないことになっているらしい。叔父のこの図式だと写真店という業界はいずれ崩壊すると言うことになるからだ。そして、叔父はそのことを肯定した。

「これは単に市場が縮小したという問題じゃない。じつはこれは「写真」って言う文化が終わろうとしていると言うことなんだ。」

かつて写真は文化だった

「写真文化の終焉」という表現を叔父は細かく説明してくれた。まとめると、だいたいこんな感じになる。

先ず「写真文化」とは、写真を撮るという行為からは派生する様々な行動様式全般のパラダイムを指している。具体的には「カメラで写真を撮影し、フィルムをカメラ屋に出し、現像してもらい、それをアルバムに入れて保存する」という一連の流れと、この流れの周辺に派生するコミュニケーションなどの一群の現象のことだ。で、こういった一連のスタイルが人口に膾炙、つまりポピュラーカルチャーとして我が国に本格的に定着し始めるのが戦後だったという。

ただし、写真を撮影することは、極めて記号的、そしてハレにあたる行為だった。つまり、写真を撮ろうと言うときには「写真を撮影する」という命題が先ずあり、それに併せて状況が設定されるというのが常だった。例えば子どもの入学式・卒業式や運動会、旅行での記念撮影などがこの典型。ヘタをするとこれらは写真を撮るために設定されていたという側面すらあるほどだったのだ。叔父の話によれば、かつては家族で「写真会議」というものがあったという。定期的に家族が集まり晴れ着を着て整列して撮影をするのだ。こうすることで、写真は家族が家族であるための重要なコミュニケーションメディアとして機能していた。家族であることが記録に残る、そして記録を残すために一同が会したのである。

また、他者との差異化をはかるツールとしてもカメラは機能した。当時、カメラは高価。だからこれを撮影すると言うことは、極めて主体性を要求する行為であったと同時に、写真を撮るという行為自体が撮影する側にある種の優越感=記号性を与えたのである。また、撮影するためにはそれなりに技術が必要としたこと(70年代後半、オートフォカスカメラが登場するまでは、カメラは素人でも露出からピント合わせまで撮影者自らが行わなければならず、それなりに技量を必要とした。まあ、そのまえにもオートマチックカメラはあったけれど、これは単焦点のものだった)も、他者との差異化を明確することの手段として機能した。だから、お金持ちたちはやれコンタックスだ、ライカだ、ハッセルブラッドだと、より高額なカメラに食指を伸ばし、そしてカメラに対するうんちくを語ったのである。

また、現像料も高かった。70年頃、父親が撮影したフィルムをカメラ屋に現像に出したとき店の方から要求されたカラー写真の現像価格がサービス版で一枚百円だったのを記憶している。子供心に「高い!」と思ったが、その値段を父に告げたとき、父は逆に「カラーも安くなったなあ」と感慨深げに語ったことを覚えている。当時は、瓶のコーラが30円、かけそば一杯50円、少年マガジン一冊60円の時代。これを踏まえればこの現像料はバカ高である。しかし、父はこの時、こう語ったのだ。言いかえれば、そこまでしてまでも写真というのはボランタリーに撮影するものであるという、モチベーションが働いていたのである。

一回性のアウラとしての「写真を撮ること」

60~70年代。当時の経済事情からすれば極めて経費のかかるホビー、写真撮影。にもかかわらず多くと大人、男たちが「撮る」という行為を敢行していた。

それは言いかえれば、写真を撮ることに当時の父親がいかに入れ込んでいたかと言うことでもある。これだけ高価だとデジカメのように失敗はできない。だから慎重に慎重を期して映像をキメ、記録として残さなければならない。当然、撮る側は気合いが入る。撮る側からすれば、どうやったら良い写真が撮れるかについて探求し始めるなんてことが当然起きる。取扱説明書を読むだけじゃなくて、写真雑誌を読んでその技術を学習する。カメラもどこのどんな機種がいいのかを吟味する(だからライカやハッセルブラッドとかいいはじめるわけだ(国産ならNikonのFシリーズに代表される一眼レフ。ちなみにレンズならカール・ツアイスってとこだろうか)。またお宝のカメラを磨く、手入れするなんてことも当たり前のように行われていただろう。また撮られる側もキッチリキメのポーズを作る。これは大切な記録(とりわけ家族の)という認識が撮られる側には共有されていたのだ。

撮影が終わった後も、この記録は丁重に扱われる。カメラ屋にフィルム・ネガを預け、これをポジ、つまりプリントしてもらうのだが、今度はカメラ屋の技量にツッコミが入る。だから、「緑が強い風景を撮るならFUJIのフィルムを使ってAカメラ屋に現像に出す。遊園地での家族撮影なら黄色が強く出て派手なKodakでBカメラ屋、花見撮るならやっぱりピンクのきれいなSAKURAでCカメラ屋だな」と細かいうんちくが入っていく。しかも、ここでも仕上がってきたポジに悶着をつける。すると写真展の方も心得ていて、注文に応じて焼き直しをする(当時、「焼き直しあり」と「なし」では価格が異なっていた)。そして、できあがったポジはタイトルとキャプションが施され、アルバムに収納、さらにコレクションとしてライブラリー化された。これだけ、事細かに写真を撮るという行為には施行細目が施されていたなど。

写真が生んだもう一つのコミュニケーションの場がカメラ屋だった

そんなことをするうちに、写真を撮る側は家族や友人とのコミュニケーションのメディア以外にもう一つコミュニケーションの場を見つけることになる。それは言うまでもなく「カメラ屋」という空間だ。例えば前述した写真の仕上げ方や仕上がりのクレームについてカメラ屋のオヤジとやりとりするなんてことが現像に出す際には必ず発生するのだが、それがカメラ屋とカメラを撮影する側のコミュニケーションの地平を開いていくのだ。そして、このコミュニケーションの中で、カメラ屋のオヤジは撮影の技術を伝授したり、新しい製品の情報を提供したり。撮影する側としては、こういった情報のデータベース的な役割を果たすカメラ屋に足げに通うモチベーションが生まれてくる。そう、この時カメラ屋というのは「写真を撮影する」という行為をメディアとしたコミュニケーション空間と化していたのだ。カメラにハマっていた大人(ほとんど男)は、カメラ屋にある意味、ワクワクしながら出かけていったのではなかろうか。

これらの事実は、まさに「写真撮影」という文化が存在するということを証明する。しかも、かなりのビンボー人までこれをやっていたのだから、「高価な大衆文化」としてのその盛り上がりはハンパではなかったわけだ。

「写真を撮る」という行為の周辺には、W.ベンヤミンの言葉を借りれば「一回性」と「アウラ」が満載されていた。写真を撮るという行為それ自体の背後に、当時の人々は一様に、何か別のものを読み取り、それを消費することに血道を上げていたのである。

しかし、デジタルカメラの出現によって、こういった「写真文化」は終焉を迎えることになっていく。(続く)

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