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東アフリカの「怪談」?――ウガンダ東部アドラ民族の場合 - 梅屋潔

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アフリカの「怪談」?

東アフリカ、もっと特定すると私が1997年から毎年調査で滞在しているウガンダには、四季はない。気候的には大雨期と少雨期、その間に挟まれた2回の乾期があるだけである。「夏」という「季節」を考える考え方が、本来的には、ないのだ。

そして、日本のように、毎年きまった期間、お盆のような時期に死者の霊が子孫のもとに帰って来るという考え方も信仰も、それらにもとづく行事も本来はない。名前が特定できる死者、つまり最近死んだ死者の霊はルンベ儀礼という最終葬送儀礼がおわり、住んでいた小屋が破壊されるまでは、常に生者とともにいる、と考えられている。

すくなくとも私の知る限りにおいては、怖い話を聞くとぞっとする、とか、「冷や汗」をかく、という考え方もない。だから、暑い「夏」になると、涼をとるために「怪談」や「怖い話」の需要が増えるという現象もありえない。「語り部」のような立場の人々がいて、物語を語って聞かせる習慣は、この社会にもかつてはあったようであるが少なくなっている。総じていうと、今日の日本社会のいろいろな文脈に沿った「夏の風物詩」としての怪談は成立しない。

一般に「怪談」は、恐怖を感じさせるような、事実とも錯覚やつくりばなしとも判断しにくいような、ちょっと不思議な話のことをいう。幽霊や妖怪など、超自然的な存在や現象が語られる。死者と生者の狭間、人間と人間ではないもの、いわゆる異人やまれびとの交錯するような、不可知の領域が「怪」であり、それが語られたものが「怪談」である。

この広い意味に「怪談」をとれば、アフリカの「怪談」はじゅうぶんあり得ることになる。

まず、死霊の観念はある。また、死者とも生者とも区別がつかない神秘的存在について語ることも、よくある。ここでは、広い意味での「怪談」に含まれそうな話題を提供することにする。

呪い(人類学では妖術・邪術という用語を使うことが多い)、祟りなどをキーワードに文化を読み解こうとするのが私の研究の意図するところだからである。ちなみに妖術は『源氏物語』の六条の御休所の生霊のように、本人の意図しないまま誰かに神秘的な危害を加えることである。いっぽう邪術は丑の刻参りのように意図的に誰かに危害を加えようと何らかの技法に訴えることである。

この分野の研究の現在の基礎をつくったひとりが、イギリスの社会人類学者、エヴァンズ=プリチャードである。かつて彼が述べた以下の言葉が今も私の調査・研究を方向づけている。

「……アフリカのすべての民族において、有神的信仰、マニズム信仰[いわゆるマナイズム、マナへの信仰。あるいは祖先崇拝のこと:梅屋注]、妖術の諸観念、超自然的制裁を伴う禁忌、呪術行為などの諸観念が独自の結びつき方をしているがゆえに、各民族の哲学は独特な性格を示している。たとえば、一部の諸民族―バンツー諸族の大部分―では、祖先祭祀が支配的なモチーフとなっている。スーダン系諸族では、妖術が支配的モチーフとなっており、それに呪術や託宣の技術が加わっている。また他の諸民族、たとえばヌアー族では「霊」が中心に位置し、その周辺にマニズムや妖術の観念がみられる。そしてまた他の諸民族では他の概念が中心的位置を占めている、という具合である。何が支配的モチーフであるかは、ふつう、そしておそらくつねに、危険や病気やその他の不幸に際して人びとがそれらの原因を何に求め、それから逃れたりそれらを排除したりするためにいかなる手段をとっているかを調べることによってわかる……」[エヴァンズ=プリチャード 1982: 494-5]

要するに、ある民族の「哲学」を理解するためには、人間社会を不可避的に襲う病や死といった不幸の出来事の原因として、何が持ち出されて、それに対してどのような対処を行うのかが重要だ、と説いているわけだ。そういった観念と行為の集合体を「災因論」と人類学では言い習わしてきた。その「災因」のモチーフの多くは、広義の「怪談」のトピックと必然的に重なる。いくつか私がフィールドワークの最中に実際に体験したことを含めて紹介しよう。

死霊の観念

死霊の観念はある、と書いたが、私が調べているアドラという民族では、かつては死霊の観念に対する信仰は、それほど強くなかったと考えられている。彼らは言語学的・文化的には西ナイル系という区分に分類されている。本来的には牧畜民で、家畜(特に牛)に花嫁代償や財産としての高い価値を付与し、エチオピア高地原産のシコクビエを主食としている。

死霊の観念が希薄だったのはある意味では当然である。歴史上牧草と水、あるいは近隣民族との紛争を経て長い間移動を繰り返してきた民族だからだ。墓をつくったとしてもやがて遺棄して去らざるを得ない。日本の位牌に当たるような、祖先の霊を物質的に象徴する習慣もなかった。現在でも、構造的健忘症と呼ばれるほど、祖先の系譜を容易に忘却してしまう。

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巨大なことでこの地域ではもっとも有名な墓石。よほど祟りをおそれたのか。

南スーダンのバハル・アル・ガザル周辺にいたとされる母集団がアドラという伝説上のリーダーに率いられて、16世紀ごろまでに、何回にも分けて移住をし、キョガ湖のほとり、ウガンダ東部のトロロ県近辺に居住地がほぼさだまった。死霊や妖術の観念への信念と精緻な儀礼をもつニョレ、サミアなど近隣のバンツー諸民族に囲まれたアドラ民族は、その影響を受けて、死霊や邪術などの観念をしだいに発達させたとみられている。現在ではキリスト教の影響で、遺体埋葬の後セメントの墓をつくる。たまに見かける行き倒れなど素性のわからない人の墓は、土まんじゅうである。それが本来の姿であろう。

移動の過程で死霊を指す語彙を近隣言語から借用したり、意味や形態の変化が生じているようで、死霊などを指すときに系統を同じくする西ナイルのアルル、ランギなどの近隣諸民族と同じ語彙をもちいていても意味がすこし(あるいはかなり)違っていたり、バンツーの語彙を借用していることも多い。

言うまでもないことだが、本来無文字社会なので、基本的には口頭伝承によってのみ「怪談」は伝えられる。言語情報に依存して、ビジュアルのイメージが乏しいのが特徴である。数多くの妖怪・怪異絵巻がある日本の状況とは、そのあたりの事情はまったく異なっている。

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アドラの祖先崇拝の霊場。沖縄の御嶽(うたき)に雰囲気が似ている。

ジュオギ

人は、死ぬと、ジュオギ(死霊)になる。死霊は、われわれと同じように同じ時間・空間に生前と変わらず生活している、というのが一般的な認識である。日本のような「山上他界」「海上他界」のような他界に行くのではない。三途の川も渡らない。同じ世界にいるのだが、ふつうは不平・不満がない限り、生きている人間に干渉することはない。不平・不満とは、死者の魂の安寧を保証するための儀礼を滞りなく行うこと、そしてその後は、(これもおそらくは最近の傾向であろうが)死者の終の棲家である墓を保全することである。

だから、葬式を行わなかったり、不当に簡略化したりすると、ジュオギの祟りで病気になったり、不幸に見舞われることになる。実際には認識の順序は逆であることがほとんどだ。病気や不幸に見舞われ、なぜだろうとジャシエシ(民間宗教者)に相談に行ってはじめて託宣によってその結果を人びとは知ることになるのである。同じように占いの結果、特定の死者が自分の墓の状態に不満がある、との卦が出て、墓に行ってみるとセメントで塗り固めた墓の表面にひびが入っていたりする。なおせ、というわけだ。あるいは、同世代の死者の墓にはセメントが塗ってあるのに、自分の墓にはまだ塗られていない、などという直接的な要求がジャシエシを霊媒としてその口で語られることもある。

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儀礼小屋のまえでポーズをとるジャシエシの家族

ジャシエシは、ひょうたんのがらがらやタカラガイ、小石、ヒョウやヤマネコなど野生動物の毛皮やしっぽ、センザンコウの鱗などを巧みに使って占いや治療を行う。私が出会ったジャシエシのひとりは、3つの声を使い分けた。若い男性、若い女性、長老格の男性などの役割を必要に応じて演じていた。

死霊はけっこう人間的な性格で、その要求、メッセージのほとんどは人間のロジックで理解可能なものである。それだから、それほど理不尽な恐ろしさはない。古代日本のように祟る死者を祓ったり、調伏したり、供養したり、たんに祀りあげるのではなくて、その要求をひとつひとつ聞いてあげるのである。

要求のなかで最も一般的なもののひとつに「ルンベ儀礼をしてもらっていない」というものがある。ルンベ儀礼というのは、ちょうど日本でいう「弔い上げ」のようなもので、最終葬送儀礼である。埋葬後、数年、時には10年近くたってから、死者を忘れるために、死者の墓と小屋を会場にして盛大な宴会を開く。週末の二日間かけて、夜からはじめて一昼夜酒を飲み続ける。酒は、シコクビエを醸造してつくったコンゴという酒である。参加者は、親族、近隣の人びとはもちろんだが、参加できる者すべて。オケウォというクラン(氏族。ここでは父系を辿る出自を共有する人びとからなる集団)のなかで死者のオイに当たる男が宴会の責任者となり、酒を醸し、しかるべきかたちで供する。

「死者とともに飲む」この宴では尋常ではない量の酒が消費される。何年もあとに行われるのは、多くの場合経済的な理由からである。開発の専門家のなかには、このルンベ儀礼での浪費こそが、この地域がいまだ低開発であり、貧困から脱却できない大きな原因である、という者もいる。実際、彼らは支払いきれない花嫁代償と、支払いきれないルンベ儀礼の費用で首が回らなくなっているところがある。この後に、生前賞賛されるべき業績をあげた人物に対して行われるオケロ儀礼があるが、ここ数十年行われたことはないという。

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儀礼小屋の柱に霊を祀る。

拡大家族で、系譜も移住や内戦などによって不明確だから、「何世代か前の先祖がルンベ儀礼をやってもらっていない」といわれれば、「そういうこともあるかな」と思うようだ。クライアントの立場から見れば、かなりの蓋然性があり、いうならば「当たる」のである。だから多くのジャシエシも「災因」をここにもっていこうとする。説明が破綻しようがないからだ。

墓や位牌のありかたが激変した現代日本人も、「大昔の先祖の位牌が正しく祀られていない」とか「墓参りはきちんとしているか」とか「仏壇や神棚に毎朝お参りしているか」などと占い師にいわれたら、多くの人がぎくりと思い当たるのではないだろうか。卑近な例だが、実態はそれによく似ている。

死者の祟りを恐れて、アドラの人びとは瑕疵がないように、注意深くルンベ儀礼までの一連の葬送儀礼を遂行しようとする。

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ネコの毛皮をまとうジャシエシ

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ジャシエシの治療

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