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シリア「内戦」の見取り図 末近浩太 / 中東地域研究

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シリアで何が起こっているのか。それはいつから「内戦」と呼ばれるようになったのか。

シリアにおける今日の騒乱は、元をたどればいわゆる「アラブの春」の一環として、2011年3月に始まった。

手元の『朝日新聞』のデータベースを検索してみると、シリアに関する記事で「内戦」の語が頻出するようになったのは、それから約1年が経った2012年の春である。この頃から「内戦の恐れ」、「内戦の危機」、「内戦化の懸念」といった言葉が紙面を飾るようになり、国軍・治安部隊と反体制武装勢力の双方による暴力の連鎖はエスカレートしていった。その結果、同年6月、国連の幹部が停戦監視の失敗を事実上認めるかたちで、シリアで起こっていることを「内戦」と呼んだ。以来、シリア「内戦」の語は様々なメディアで用いられている。

確かに、シリア人どうしが戦い、シリアの街や村が文字通り瓦礫に変わっていく様は、一般的な「内戦」のイメージに符合する。だが、シリアで起こっていることを「内戦」と呼ぶことには、問題の本質を覆い隠してしまう危なさがある。なぜなら、以下に詳述するように、この戦いには国外の様々なアクター(主体)が参入しており、それにともない戦いを引き起こす争点も一様ではなくなっているからである。

つまり、シリアで起こっていることは、今や「箱庭のなかの戦い」としての「内戦」と呼ぶにはあまりにも広く、複雑な構図を抱えているのである。バッシャール・アサド大統領は、自国シリアが置かれた状況を「内戦」ではなく「真の戦争状態」と表現している。

本稿では、できるだけわかりやすく、シリア「内戦」の見取り図を描いてみたい。紛争はなぜ始まったのか、誰と誰が戦っているのか、紛争はなぜ終わらないのか。アクターと争点の2つに注目しながら、これらの問いに答えてみたい。

「アラブの春」の蹉跌

まず、事の発端を振り返ってみよう。「アラブの春」である。2011年1月から2月にかけて、チュニジアとエジプトで長年にわたった権威主義体制が、市民による抗議デモに屈するかたちで立て続けに崩壊した。この「革命」の熱狂は瞬く間に他のアラブ諸国にも伝播していったが、シリアも例外ではなかった。同年3月に南部の都市ダルアーで始まった抗議デモは、やがて地方都市を中心にシリアの各地に広がっていった。こうした非暴力を基調とした民主化運動の光景は、今日の武力をともなう紛争のそれとは大きく異なる。

重要なのは、この時点で、市民による抗議デモはアサド大統領の退陣を求めるものではなく、政府に対して政治や経済の改革を訴えるものであったことである。当時の抗議デモの映像を見ると、体制打倒を叫ぶものは皆無であり、生活の改善や汚職の追放などを要求していたことが確認できる。

むろん、アサド政権が非民主的な体制を築いていたことに疑いはない。定期的に選挙は実施されるものの、それはあくまでも名目的なものであり、権力の循環が起きることはない。アサド政権は、典型的な権威主義体制であった。それを象徴したのが、2000年にアサド大統領が事実上の世襲により権力の座に着いたことである。アサド親子二代にわたるシリアの権威主義体制は、1963年のアラブ社会主義バアス党(以下、バアス党)による革命にまでさかのぼる。革命によって政権を奪取したバアス党は、巧みな政治手腕で、「先代」のハーフィズ・アサドが大統領に就任した1971年までにシリアの支配政党としての地位を固めた。

では、バアス党による強権支配は、どのように正当化されてきたのだろうか。シリアは中東地域のなかでも特に多様な宗教や宗派を抱える国の1つである。こうした様々な差異を乗り越えるためにバアス党が掲げたイデオロギーが、アラブ・ナショナリズム(アラブ民族主義)であった。

このアラブ世界の統一を目指すイデオロギーにおいては、アラビア語を母語とする者は、どのような宗教や宗派を信じていようとも、あるいはどこに生まれ住んでいようとも、皆同じ「アラブ人」となる。バアス党は、アラブ・ナショナリズムの考え方に基づき宗教・宗派や出身地などの差異を乗り越えることでシリアを治めながら、他のアラブ諸国に対して統一アラブ国家建設の必要性を訴えた。

このアラブ・ナショナリズムにしたがえば、アラブ世界の一部であるパレスチナを「占領」しているイスラエルとの対決は不可避となる。実際にシリアは他のアラブ諸国とともに4度の中東戦争を戦い、現在に至るまでイスラエルとの戦時体制を敷いている。特に、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに奪われた自国領ゴラン高原の回復は悲願とされてきた。

つまり、バアス党による強権支配は、アラブ世界の統一とイスラエルとの戦争という2つの「未完のプロジェクト」によって正当化されてきたのである。

アサド大統領は、自らが掲げてきたこうした「大義」への自負を見せてきた。そのため、2011年初頭にチュニジアとエジプトで政変が起こったとき、「アラブの春」がシリアへ飛び火することはないと考えていたふしがある。だが、半世紀近くにわたる権威主義体制下での生活を強いられてきたシリア市民が、「アラブの春」に変化の風を感じたのは道理であった。自由が制限され腐敗が横行する政治だけではなく、貧富の格差が開き続ける経済に対する不満や危機感が高まっていた。かくして、アサド政権に改革を求める声が上がるようになった。

こうした市民の声にアサド大統領はどのように対応したのだろうか。それは、一言で言えば、「アメとムチ」であった。まず、抗議デモの発生からまもなくして、「包括的改革プログラム」と呼ばれる一連の政治改革が実施された。アサド政権は、内閣の総辞職(2011年4月)、政党法の整備、地方分権化の促進、言論と報道の自由化の推進(以上、同年8月)、さらには憲法の改正(2012年5月)までをも行い、国民対話を呼びかけながら抗議デモの沈静化に努めた。

だが、その一方で、抗議デモの拡大を阻止するための過酷な弾圧も行った。アサド大統領の実弟マーヒル・アサド大佐率いる第四機甲師団や大統領直轄の共和国防衛隊を中心に、ダルアー、バーニヤース、ヒムス(ホムス)などで武装・非武装の市民に対する激しい弾圧を行った。過酷な弾圧は、シリア市民の心をアサド政権から引き離していった。

その結果、抗議デモの発生から2ヶ月が経った2011年5月には、アサド政権の打倒を叫ぶ声がシリア国内で高まることとなった。それにともない、抗議デモの側にも治安部隊や政権支持者に対する暴力の行使が見られるようになった。その結果、国軍・治安部隊と反体制武装勢力との暴力の応酬が始まり、「血のラマダーン」と呼ばれた2011年8月には激しい弾圧が敢行された。

もし、シリアで起こっていることを「アラブの春」の枠組み、すなわち「非暴力の市民による民主化運動」の枠組みで捉えるならば、2011年夏、抗議デモが始まってから5ヶ月たらずの時点で、その物語は終わったと言っても過言ではない。それが「非暴力」でなくなったからだけではない。それが「市民による」ものでもなく、「民主化運動」でもなくなったからである。冒頭の言い回しを用いるならば、これを機にアクターも争点も変化してしまったのである。

以下では、この変化を、軍事化と国際化という相互に関わり合う2つの問題から読み解いてみたい。順に見てみよう。

軍事化が変えたアクターと争点

軍事化とは、武器を用いた暴力的手段の蔓延・拡大のことである。体制打倒を掲げる社会運動にとって、武器を取る戦いがもたらす効果は両義的である。すなわち、運動の外部に対して武力の行使をも厭わないという強い意志を示すことができる一方で、運動の内部に対しては参加者・支持者に命を賭した大きな覚悟と犠牲を強いることになる。争点が当初の改革要求から政権との全面対決へと移行したことで、市民の多くが運動からの脱落を余儀なくされ、その結果、アクターは一部の血気盛んな若者や離叛兵士に限定されていった。

こうした争点とアクターの変化を象徴したのが、2011年9月の反体制勢力の武装集団「自由シリア軍」の結成であった。自由シリア軍は、国軍・治安部隊から離叛した上級士官や兵士を中心に様々な背景を有する人びとの寄り合い所帯であった。

国軍・治安部隊と自由シリア軍の武力衝突が頻発するようになった2011年末頃から、マスメディアだけではなく各国の政策決定者からも「なぜアサド政権は倒れないのか」という疑問が上がるようになった。だが、こうした疑問は、アサド政権のような「独裁政権」が倒れること、あるいは倒れるべきだとする認識を意識的ないしは無意識的に前提していたものであり、実際の戦局を正確に捉えていなかったと言える。むろん、エジプトやチュニジアで政権の懐刀であった国軍が命令に背き、市民による抗議デモに対する弾圧を拒否した記憶がまだ新しかったこともある。

だが、シリアの国軍(正式には「シリア国軍武装部隊」と呼ぶ)、とりわけ先に触れた重装備の精鋭部隊は、アサド大統領の親族や側近に率いられた「家産的な軍」であり、軍組織内部での政敵の排除と忠実な士官の登用を通して徐々に築き上げられてきたものであった。そのため、国軍、少なくともアサド大統領旗下の精鋭部隊は、自由シリア軍との戦闘を忠実に実行した。これに対して、離叛兵士は2011年末までに15,000人に上ったとも伝えられたが、そのほとんどが抗議デモの激化している地方都市の出身者であり、拳銃や小銃などの小火器を有するに過ぎなかった。

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