記事

ふなっしーグランプリ!変容するゆるキャラへの認識(2)~ゆるキャラのゆくえ

ゆるキャラブームはどうなる?

もはや「ナンデモアリ」のパンドラの箱が開いてしまったゆるきゃら。とにかく目立ちゃいいということで、不気味なキャラクターが次々と出現しているわけなのだけれど、では、今後はどうなっていくんだろう。

それを考えるにあたっては、先ず、現在、なぜゆるキャラに需要があるのかを考えてみる必要がある。ゆるキャラについては地域、メディア双方のニーズが合致したためにブレイクしているという事情があると考えていいだろう。

マスメディアを利用した地域アイデンティティ創造の手段としてのゆるキャラ

先ず、地域のニーズについて。地域は都市化によって、三浦展が言うところの「ファスト風土化」が進展している。コンビニ、ファミレス、大型電器店、紳士服店、巨大ショッピングモール、そして大型書籍などの全国展開によって、日本国内は津々浦々まで、あたかもデジャヴュのような均質化した消費生活空間が出現した。情報についても同様で、地域=地方にいてもネットを介してアクセスする情報は中央のそれ(あるいはきわめてトリビアなオタクのそれ)だ。そして、今や、ある意味、地方の方が都市的な生活をしている。

だが、これは自分が地域=地方に居住することに意義を見いだせないということでもある。どこも同じ空間、情報環境なのだからどこにいても同じという認識が一般化してしまうのだ。そして、こういった空間をそれぞれが各自の欲望に基づいて消費する。その結果、地域に住まう人々は原子化し、そこに住まうことの意味をほとんど感じられなくなってしまった。しかし、彼らは地域=地方という限定化された空間に定住している。それゆえ、自らがこの空間に住まうことの確証が欲しい。やっぱり「おらがふるさと」の証しを希求するのだ。

そんなとき、こういった地域における「心のスキマ」を補填するメディアの一つとして出現したのがゆるキャラだった。でも、なぜ地域イメージを象徴する記号として、ゆるキャラが脚光を浴びたのか?それは、ゆるキャラが全国的に名を馳せれば、全国のメディアを通して地域民は結果的に自らのアイデンティティを求心的に獲得できるという仕組みになっているからだ。

下りはこうなる。ゆるキャラを創る→ゆるキャラが全国メディアに取り上げられる→そのことを地域=地方の人々が認知する→地域民は全国的に知られているゆるキャラの背後に全国的に認知された「おらがふるさと」を見る→自らがそのふるさとの住民であることを自覚する→地域アイデンティティが生まれる、まあこんな展開になる。つまりマスメディアを介して地域イメージが再生、あるいは創造されるのである。ある意味、きわめて今日的な地域アイデンティティ形成の方法と考えていいだろう。ゆるキャラは希薄化する地域イメージを再生する救世主としてクローズアップされたのだ。

お手軽な視聴率稼ぎ手段としてのゆるキャラ

一方、メディア、とりわけテレビにとってもゆるキャラはビジネス戦略上、きわめて都合のいい、そしてお手軽な手段だった。

テレビは嗜好の多様化とインターネットの普及に押されて視聴率がジリ貧で、それに伴い番組制作費用も削減の一途をたどっている。だから低予算で体良く視聴率を稼げるものなら何にでも手を出す(若手お笑い芸人を使い回ししたり、YouTube上の映像を並べ立てて番組を作ってしまったりなんてのがその典型。いずれも低予算である点、そしてきわめてお手軽である点では共通している。まあ、それによってコンテンツの質がいっそう低下するのだけれど)。

そういった戦略のひとつとして、テレビメディアはゆるキャラに目をつけた。ゆるキャラはその「特異性」「記号性」で注目を浴びることが容易。つまり、その「ゆるさ」によって目をつけられやすい。しかもお手軽かつ低予算というメリットもある。テレビメディアはインターネットをブラウズし、ゆるキャラの中で盛り上がってそうなところをチョイスする。オフィシャルサイトはもちろん、あっちこっちの書き込みをのぞき込み、イケそうだとおもったらピックアップするわけだ(YouTubeの画面を集めて番組編成をするのと手法的にはほとんど同じだ)。で、勝手にプロモーション(この勝手なプロモーションは「テレビメディアの公共への寄与」という側面でも大義名分が立つ点も都合がいい)。これに火がつけば、あとは飽きられるまでメディアに露出させ続け、一儲けできる(ということは飽きられれば使い捨てられ、次のゆるキャラに乗り換えるわけなのだけれど〕。 一方、地域は前述した理由でゆるキャラを売り出したくてしかたがない。 だから、ギャラなんてあってないようなものだ。なんといっても、ゆるキャラをプロモートする側=地方は地域活性化のためにカネを払ってでもこれをメディアに露出させたいのだから。だからテレビメディアはきわめて低予算で番組を構成することが可能になる。これで地域とメディアのニーズはみごとに合致する。

個性化の過激化~ナンデモアリ状況の出現

ただし、地域とメディアの蜜月関係は次第に拍車がかかり、過激化していく。この手法、つまりゆるキャラを創って売り込むとマスメディア≒テレビが取り上げてくれ、お手軽な地域活性化が可能であることに気づいた地方が、次々とゆるキャラをデビューさせ始めたからだ。こうなるとゆるキャラのゆるさは群雄割拠状態となり、テレビの側としてもどれをチョイスしたらよいのかわからなくなる。また視聴者の側もゆるきゃらの「ゆるさ」に馴染んできて、ちょっとやそっとでは関心を寄せなくなる。「ゆるさ」の差異性が希薄化してしまったのだ。

そしてその結果、生じたのが現在の「ナンデモアリ」状況だったのだ。とにかく「目立ちゃいい」という発想で、これまで踏襲されてきたご当地キャラの文法(ただし暗黙の)を、ことごとく破るキャラクターが登場する。こういった状況を許容したのは、ようするに「ゆるキャラ」という存在がもともと文法から逸脱したところで初めて成立するもの、いいかえれば逸脱を許容することが前提されていたからに他ならない。つまり、もともと文法から外れている(だからゆるい)→そのゆるさが認知される→ゆるキャラが過当競争になる→ちょっとやそっと文法から外れた「ゆるさでは目立たなくなる→もっと過激な文法からの逸脱を行い差異化をおこなう→マスメディア≒テレビメディアが取り上げる、といった循環が生まれたのだ。それが現在の反則技ゆるきゃらの闊歩という事態だった。そしてその最たるものがふなっしーに他ならない。ふなっしーは、前回も指摘したように1.デザインが稚拙で壊れそう、2.にもかかわらずキレた動きをする、3.ゆるキャラでは一般的に禁止とされる会話をする、4.会話もまたエキセントリックな「キレた」ものになる(つまり「キレキレ」なキャラになる)、5.非公式キャラクターという逸脱者的存在であるといったように、ゆるいところについては五つも文法からの逸脱がある、まさにゆるキャラにおける個性化=差異化のワンダーランド的存在、だからこそ支持を獲得したのだった。

個性化の果てにあるものは~60年代ジャズの世界が陥った隘路

もちろんこういった「個性・差異の過激化」はどこまでも続くものではないだろう。

かつてジャズの世界では独自性を求めてビバップ、モードとその演奏の自由度を高めていったことがあった。そしてさらに自由度を究極まで高めたのが60年代後半に始まったフリーという手法だった。だが、これはもはやコードも和声もインタープレイも理論なく、もっぱらインプロビゼーションに基づくメチャクチャな「スタイルなきスタイル」だった、楽器の本来演奏する部分以外を利用する(ピアノなら本体を叩く、内部の弦をひっかく、さらには楽器をたたき壊す、燃やすなど)といった、まさにナンデモアリのスタイルだったのだが、これは長く続くことなく終焉を迎える。というのも、結局これは「自由度を確保するためには理論は不要」というドグマ=メタ理論に拘泥されたきわめて理屈っぽいものでしかなく、音楽からは遠くかけ離れてしまったからだ(もちろん現代のジャズがフリージャズから受けた恩恵がかなりあることも認めなければならいことはお断りしておく)。当然のことながら、一部のマニアックなファンを除き、多くのリスナーがこのスタイルから、そしてジャズから離れていった。なんのことはない「わけがわからなかった」のだ。そして70年代の半ばに代わって登場したのが、これとは正反対とも言えるメロディアスで電気楽器満載のクロスオーバー(のちにフュージョン)だった。

ゆるキャラがわけがナンデモアリのわからないものになった後に

こんな例をあげてみたのは、ゆるキャラがそろそろ、このモダンジャズにおける「フリー」の段階、「隘路」に入りつつあるのではないかと感じたからだ。つまり、もはや「文法からの過度の逸脱」の域に達しようとしている、と。もしそうであるとするならば、ゆるキャラは上記のモダンジャズ・ムーブメントとまったく同じことになる。つまり、ゆるキャラブームはナンデモアリを突き詰めた結果、やり過ぎになり、最終的にわけがわからなくなって客が引いてしまい、ムーブメントそれ自体が終息してしまう。具体的には、過当競争によってどんどん差異化要素が失われ、新奇性をなくすキャラが多数出現する一方で、極度にコードを逸脱したゆるキャラが登場する(こちらはきわめてキモいうえに、そしてマニアックなものになる)。そして、ゆるキャラはこの両極化の果てに、どちらも支持を得られず、結果として人気全体が縮小していく。もちろん、その間、サバイバルを目論んで、ゆるキャラ間のネットワーク、コラボといったものがテレビメディアによって頻繁に組まれ「新奇性の合わせ技一本」的な戦略がとられるだろうが、これも一過性(バーゲンセール、在庫一掃フェアみたいな投げ売り状態になる)のもので早晩飽きられる。気がつけば「そういえば、ゆるキャラブームってのがあったよね」ってなことに。

じゃあ、ゆるキャラはなくなるのか?といえば、必ずしもそうではないだろう。こういったブーム終焉の後に、これらのゆるキャラの逸脱コードの内、より洗練され受け入れられたものだけが既存のゆるキャラ=ご当地キャラに付加され、最終的には現在のような過激なキャラに変わって「ちょっとヘンだけど受容可能」なキャラクターが安定供給される時代がやってくるのではないか。ジャズがフュージョンを生んだように。ただし、それはしたたかな普及システムを持ったものでなければならないという留保がつくけれど。

そして、実はそのプロトタイプは、おそらくくまモンによって示されているのでは?僕はそう考える。

あわせて読みたい

「ゆるキャラ」の記事一覧へ

トピックス

ランキング

  1. 1

    小池知事 カギは卒業証書の現物

    郷原信郎

  2. 2

    都知事がアラビア語拒否した顛末

    上田令子(東京都議会議員江戸川区選出)

  3. 3

    報ステの富川アナが嫌われるワケ

    渡邉裕二

  4. 4

    倉持由香 誹謗中傷で弁護士依頼

    倉持由香

  5. 5

    米の「韓国切り」で文政権ピンチ

    PRESIDENT Online

  6. 6

    コロナで航空優待券が驚きの価格

    PRESIDENT Online

  7. 7

    楽天「1円スマホ」は本当に買い?

    文春オンライン

  8. 8

    米スーパーで合法的万引き状態か

    後藤文俊

  9. 9

    GoTo中止 国民の声気にする政府

    早川忠孝

  10. 10

    コロナ感染と減収 苦難抱えるCA

    小林ゆうこ

ランキング一覧

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。