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すでに始まっている米中サイバー戦争〔2〕―宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)

〔1〕はこちらから→すでに始まっている米中サイバー戦争〔1〕―宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)

対日サイバー攻撃の実態


日本の政府機関や企業へのサイバー攻撃は、警察庁把握分だけでも、年間1000件以上あるという。また、情報通信研究機構(NICT)の調査では、2012年1年間だけで、この種の情報通信関連のサイバー攻撃が78億件もあったそうだ。

78億といわれてもピンとこないが、05年が約3億件だから、この7年間で25倍以上に増えたということ。さらに悩ましいのは、政府の機密情報や企業の先端技術情報のうち、どれが盗まれたかの確認がきわめて難しいことだろう。

筆者のところにも、この種のスパムメールが頻繁に送られてくる。典型例は13年3月26日 16:39:08受信の「取材依頼书」と題された以下のメールだ。取材依頼.doc なる文書が添付されていた。開けば間違いなくウイルスに感染するだろう。
 「突然のメールをお许しください。私、朝日新闻オピニオン编集グループの记者をしております杉井●●と申します。どうぞ宜しくお愿いいたします。この度、日中交流の现状に关して取材依頼をさせていただきたくご连络いたしました。详しくは添付の取材依頼书をご参照いただき、お返事をいただけましたら幸いです。お忙しい折に恐缩ですが、何卒 宜しくお愿いいたします。それでは、良いお返事をお待ちいたしております。

杉井 朝日新闻オピニオン编集グループ记者」

 送り主が中国語を解する者であることは明白だ。そもそも多くの漢字が中国語簡体字ではないか。このメールでは素人も騙せないだろう。しかし、最近のスパムメールは格段にレベルアップしている。たとえばこんな具合だ。

 表題は「【防衛省資料送付】防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画について」、差出人は防衛省参事官、送信日時は2013年5月31日 16:19:12。添付資料は「防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画について.zip」である。

「各位 メールで大変恐縮です。お世話になっております。※別添につき、転送禁止でお願いします※ 今泉●●拝 防衛省安全保障戦略推進事務局(以下略)」

実在しない部署であることはプロならわかるだろうが、表題の付け方はなかなか凝っている。疲れていたら、筆者もうっかり開いてしまったかもしれない。この種のメールが日本全国で毎日大量に送られているかと思うと愕然とする。

正直なところ、日本におけるサイバー攻撃被害の実態は不明だ。企業にせよ、政府にせよ、攻撃遭遇自体を不名誉なことと考えるのか、詳細公表を躊躇するからだそうだ。なかには盗取されたことさえ気付かないケースも少なくないという。

問題はこれだけではない。日本における「サイバー戦」認識の最大の問題は、「サイバー攻撃」を経済的損失の観点からしか捉えず、国家安全保障上の重要問題という戦略的視点が決定的に欠落していることだろう。

中国がサイバー攻撃を通じて米国などの最先端「知的所有権」を漁っていることは事実だ。しかし、その究極的目的は、経済的利益ではなく、軍事的、戦略的利益の獲得である。日本の官民は、このことを決して忘れてはならない。

典型例は「台湾解放」時の米中戦だ。中国が台湾侵攻を考える場合、最大の障害は米空海軍の圧倒的機動力である。されば、米軍が台湾に来援する前に、可能であれば開戦後数日間のうちに、台湾占領を既成事実化することが望ましい。

そのためには、米本土・日本を含む同盟国軍事施設の初動対処能力を破壊する必要がある。最も効果的な方法は、軍を含む政府組織だけでなく、民間の重要インフラ(通信、電気、水、交通など)を麻痺させることだろう。

台湾侵攻の際にサイバー攻撃で米国の兵站部門を麻痺させる計画があるとすれば、万一中国が尖閣諸島に軍事侵攻する際も、基本的戦術は同じはずだ。当然、その際の攻撃対象は日米の軍事基地、日本政府・民間の基本インフラとなる。

繰り返しになるが、現代戦ではC4ISR(指揮、統制、通信、コンピュータ、インテリジェンス、監視、偵察)と兵站活動が鍵だ。この分野は米軍の最大の強みであると同時に、最も脆弱なアキレス腱でもある。サイバー攻撃の真の対象はこれだ。

C4ISRで劣る中国は、軍事作戦開始後の初動段階に情報面で圧倒的優位に立ちつつ、日米の最も脆弱な部分を最小限の力で麻痺させようとするだろう。なにもシステム全体を破壊する必要はない。緒戦で時間さえ稼げればよいのだから。

2011年6月4日、当時のゲーツ米国防長官は「サイバー攻撃を『戦争行為』と見なす」と発言し、一部の関係者を驚かせた。当時米国防総省が「サイバー攻撃に対処する戦略の見直しを始めたらしい」との噂話が現実になったからだ。

米側のロジックは単純である。サイバー攻撃からの防御は技術的に難しい。他方、外国のサイバー攻撃能力は向上しており、米国の原子力発電所や送電網などの重要インフラにも重大な脅威をもたらす恐れが現実となりつつある。

この種のサイバー攻撃は防御だけでは抑止できない。されば、サイバー戦に関する法的整理を変更し、サイバー攻撃を国際法上の「戦争行為」と捉え、これに物理的に反撃することを合法化して、サイバー攻撃を抑止しようというのだろう。

2012年10月、当時のパネッタ米国防長官はこうした考え方をもう一歩進めた。同長官は、インターネット空間が「新たな戦争地域」であり、米国の国家、経済、市民を害する「未来の戦場」であると明言したからである。

パネッタ長官は、サイバー攻撃には「防衛」だけでなく、「攻撃」の選択肢も必要であり、サイバー空間での「交戦規定を包括的に変更中」であるとも述べた。その直前にオバマ大統領は「破壊的攻撃を行なうサイバー兵器」の開発を命じている。

日本がもつべき7つの視点


 以上を踏まえ、今後日本に求められる視点を考えたい。もちろん、サイバー空間の実態を知ることは最低限必要だ。サイバー攻撃能力の高度化、マルウェア(悪質なソフトウェア)技術の進化、軍事応用の高度化といった最近の趨勢を理解することも不可欠だろう。

 さらに、ハッカーとは異なる、プロのサイバー攻撃請負業者が出現していること、サイバー防衛能力が低下しており、通常のウイルスソフトがおそらく役に立たなくなることなども知る必要がある。最後に、とくに注意すべきポイントを7点ご紹介したい。

1、攻撃側の身になって考えよう
サイバー攻撃から身を守るには、まず攻撃側がサイバー戦を重視する理由を知る必要がある。なぜ平時にも攻撃を仕掛けるのか。それは、自国のサイバー攻撃能力を誇示しつつも、各国の能力に関する偵察活動を兼ねているからだろう。

平時の情報収集が有事の際の敵の行動予測を可能とする。敵の制度的・技術的弱点を知り、敵がサイバー攻撃を「戦争行為」と認識する限界を試すことも重要だろう。平時の活動は、より高度な「本番」の際の攻撃の予行演習でもあるのだ。

2、隠さずに被害の報告を奨励しよう
防衛の基本は侵害された利益の特定から始まる。今時サイバー攻撃を受けない企業はないと思うが、実際には株価などへの悪影響を懸念し被害を報告しない企業が多いという。被害情報公表が企業評価を高めるような発想の転換が必要だ。

3、関係国間の国際的連携を強めよう
悪質なサイバー攻撃を仕掛ける国家・国民は限られている。こうした攻撃の対象となっている国々との連携を深め、日常的な情報交換とサイバー防衛手段の共同開発などを思い切って推進すべきである。

4、役人よりも、ハッカー・オタクを活用しよう
欧米企業はサイバー防衛のために能力のある「元ハッカー」を高給で雇うという。「毒をもって毒を制す」のだが、潔癖な日本政府・企業の倫理観ではこれが難しい。優秀なハッカーは「毒」にも「薬」にもなる。この面でも発想の転換が必要だろう。

5、守るだけでなく、戦うための準備をしよう
過去数年間、米国ではサイバー戦を「抑止」するための「サイバー攻撃」に関する準備が着々と進んでいる。日本でも、憲法上の制約があることを前提としつつ、サイバー戦「抑止」のための「サイバー攻撃能力」を研究する時期に来ている。

6、サイバー戦の法的整理を急ごう
安全保障専門家の最大関心事はサイバー戦の法的整理だ。サイバー攻撃は国際法上の「武力の行使」なのか、これに対し通常兵器・サイバー兵器による「自衛」攻撃は認められるのか。日本でもこの点について検討を開始する必要がある。

7、とにかく、先立つもの(予算)を増やそう
サイバー戦は長期の周到な準備がなければ抑止できない。サイバー戦はすでに日々戦われており、外部のサイバー攻撃根拠地・発生源に対し直ちに、かつ正確に反撃するための戦略確立、予算増額、人材育成を早急に進める必要がある。

(『Voice』2013年8月号より)

プロフィール


■宮家邦彦(みやけ・くにひこ)キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1953年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒。在学中に中国語を学び、77年、台湾師範大学語学留学。78年、外務省入省。日米安全保障 条約課長、中東アフリカ局参事官などを経て、2005年に退官。在北京大使館公使時代に広報文化を約3年半担当。現在、立命館大学客員教 授、外交政策研究所代表などを兼務。

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■Voice 2013年8月号
<総力特集>戦争と国防
<特集>自民大勝後の日本経済
株価と為替の乱高下に見舞われている日本経済を世界はどう見ているのか。ノーベル経済学賞受賞者であるクルーグマン教授と『国家は破綻する』の著者ロゴフ教授にインタビューを敢行、アベノミクスの評価についてうかがうことができました。ちなみに、前掲書はデータの取り方に一部不適切だった部分があるものの「研究の中心的なメッセージは依然として有効である」との立場のロゴフ氏。論争の真っ只中、世界中から取材依頼があったといいます。今回弊誌に特別にご登場いただいた貴重なインタビューといえます。ところで、米中首脳会談、中韓首脳会談と、外交が喧しいのですが、すでにサイバー戦争は勃発しているとの見方から、総力特集では「戦争と国防」について考えてみました。まさに隣国とは一触即発の状況にあるわが国が、正面から向き合うべきテーマだと思います。ま た、第二特集では参院選後の日本経済について、規制改革の行方、マクロ経済分析、農業改革、原子力規制行政をテーマに有識者の方々に論じていただきました。

さらに、参院選を控え、安倍政権に死角はないのか、選挙後の政界再編はあるのか、常に政局の中心にいる小沢一郎生活の党代表に話をうかがいました。今月号も時代の少し先を読み解く記事を多数掲載していますので、ぜひご一読ください。

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