- 2013年07月29日 09:45
義務や強制のない、自治会費ゼロの自治会をつくったよ
2/2ぼくの地域で始まった「役務強制ゼロ・自治会費ゼロ・寄附とボランティアのみの自治会」
ぼくは自治会長であるが、さまざまな行政の末端の仕事や、校区行事への強制参加を押しつけてくる校区を事実上抜けた。脱退が事実上不可能な規約になっているので、脱退ができない。ではどうしたか。ぼくが会長をやめて、後継が出ないことで自然に自治会を休止させたのである。休止した自治会に何が「要請」されようとも、がらんどうの廃墟に向かって届くだけなのだ。
うちの地域では休止した自治会にかわり、新しい自治会が立ち上がった。ぼくはそこの代表に選出された。
新しい自治会は、強制的に輪番で役を回すのを一切やめた。というか役っぽいものをやめた。出てきても出てこなくても自由の「世話人」というものを10人ほど手をあげてもらった。完全に自発的なものだ。
また、「住民が自治会への加入の意思を表明し、その加入者から自治会費を徴収する」というしくみも一切やめた。つまり自治会費はゼロ円となり、逆に「対象」は地域の住民すべてになった。だれでも参加できる権利を持ち(参加しない権利も持つ)、だれでも恩恵にあずかれる。「フリーライダー」は原理的に消滅する。
すべてボランティア。文字通り「自発的」なもの。合言葉は「『今回は参加できません』とハッキリ・気軽に断れる自治会」。
財源は寄附と事業収入のみとした。つまり夏祭りで少しもうけるとか、バザーでちょっともうけるとか。まあ、もともと自治会費ってカンパみたいなもんだろ。払わない人は払わないわけだし。
そして、やれること・やりたいことしかやらない。「もっとこうすべきだ」という意見があれば、その人が同志を募ってやる。義務は一切なし。会計や広報もできる範囲でいい。
みんなでやる、つまり共同の労働力支出として、いまやっていることは「夏祭り」と「もちつき」だけ。あとは、せいぜい「放置自転車の撤去」くらいだろうか。
それもやりたい人が準備し、やりたい人のみがスタッフになる。強制は一切ない。会費も頼りではないので、事業として少しは収入を出そうとみんなが気構える。ボランティアのスタッフの結束は前よりもはるかによくなった。
それ以外に、行政や団地の運営主体に対して、団地を代表してモノを言う。また、代表としての仕事をおこなう。いわば地域代表性の機能をもっている。実際にアンケートにもとづいて、これまでも行政などへ要請をおこなってきた。放置自転車の撤去だの防災倉庫や来客用駐車場の設置だの、である。それは代表であるぼくと、若干名くらいがやっている。
いずれにしても、それらは義務ではない。決定された事業計画にしばられたものでさえない。しいて言えば、代表であるぼくや他の世話人が「やりたいからやっている」というほどのいい加減な「事業計画」である。
ここでは民主性は次のように担保されている(または担保されていない)。
10人ほどの世話人が合議で自治会を運営する。
加わりたい人は手をあげれば基本的に誰でも世話人になれるし、世話人にならなくてもこの合議には誰でも参加できる。いちおう事前の議題と結果は貼り出している。貼り出すかどうかも義務ではないのだが。実際、来たり来なかったりするメンバーもいるし、毎回の会合で全然知らない人が1人か2人くらい来たりした。
もっとしっかりした自治会全体の総意を集めてモノゴトを決定したい場合は、その決定したい人が、コストを払う。つまり委任状を集めたり、総員に呼びかけたりする「民主主義のコスト」を、その人とその賛同者がおこなえばいいというわけである。
中田らが押し出す自治会像、そこにはらまれた矛盾
くり返し紹介してきた中田実・山崎丈夫・小木曽洋司といったこの分野の研究者は、むしろぼくが代表を務めている自治会のようなあり方に疑問を覚えるだろう。
一番の批判は、ぼくの自治会イメージが任意団体という強調が強すぎるという点だろう。
中田らは、同著において「町内会は加入・脱退自由の『任意団体』か」という問いをたて、先に紹介した最高裁判決をあげながらこう書いている。
その判決〔…中略…〕の意味するところは、町内会に加入することを義務付ける法令がないということであって、直ちに他の任意団体と同じものということではありません。〔…中略…〕M・クレンソンがいうように、地縁団体は「ミニ公共」的な性格のものであって、「私的団体」とは異なるものです。(同p.91)
そして、この「ミニ公共」性を、自治会・町内会の地域代表性から導こうとする。
地域がそこに居住するすべての住民にかかわる共同生活の場であることを認めるならば、地域自治による何らかの意思決定が不可欠であることも承認されなければなりません。したがって、地縁組織からの脱退・非加入は、こうした意思決定に参加する権利を放棄することを意味することに他ならないのです。(同p.93)
この考えは半分あたっているが、半分は外れている。
つまり、自治会・町内会が、その地域区画のなかで唯一の住民代表団体であることはそのとおりである。義務的でない身近な住民サービスを実行する部隊としての自治会・町内会は、それ以外に、地域の意思を代表する機能をもっている。たとえばその地域にごみの埋立場がやってくるとして、それが是か非かを住民の意思として表明する必要がある。あるいは、その地域の交差点に信号をつけてほしいということを、個々人の要望ではなく「地域の総意」として表明する必要がある。
そのさいに、当該地域の全住民を包括しておく団体でなければならない。
それこそが自治会・町内会である。
ところが、現在のように、会費納入とセットで自治会・町内会への加入・脱退を考えると、無理が生じる。全住民が包括される必要がありながら、全住民を強制的に包括するために会費を払わせ加入意思を確認させるとなると矛盾となってしまうからだ。そして、この「加入している・会費を納めている」「加入していない・会費を納めていない」問題は、つねに「加入している・会費を納めている」側による「フリーライダー」批判を引き起こさせる。会費を納めもせず役もしない人間がただ乗りしている、というわけである。
この問題を解決するには、
- その町内会・自治会が地域の代表であることを決めた上で、
- その地域の全住民はあらかじめ無条件にその町内会・自治会に参加する権利を有しているものとみなし(無条件の全員加入制)、
- 実際の参加・運営・費用負担は自発的に手を挙げた人のみのものとする
というふうにするしかない。
NPOと自治会を区別するのは、ただ一点。その地域の代表的性格を有する、というそれだけだろう。
ただ、ぼくの自治会がこうした思い切った措置ができたのは、加入率が低いからで、ある意味開き直ることができたのである。*3
逆に、ぼくが今会長をやっている認可保育園の保護者会は、100%の参加で運営しているが、これを「任意」だと強調すればガラガラと崩れることは間違いない。同じようにいま100%近い参加で成り立っている自治会・町内会では、とても「任意」だとは言い出せないだろう。
だから、その気持ちはすごくわかる。
しかし、原理的につきつめれば、やはり任意であるといわざるをえない。任意であるとともに、それはその地域の住民の代表者であるのだ。
補論――ごみ収集は税金でおこなうべきか、別料金でおこなうべきか
以下は、上記の本論とは関係のない話。「ごみ収集は税金でおこなうべきか、別料金でおこなうべきか」という論点だ。
読みたい人だけ読んで。
このケースの場合、自治会の強制加入問題を回避しようとして即効的な改善をほどこすなら、自治会の事業でもいいので、ごみ収集のためだけの費用会計を明示した別事業をつくり、そこへの拠出であることを明確にした料金入金のしくみをつくることだ。「まちのごみ収集事業/1家庭月100円の拠出でサービスが受けられます」――こういう看板を掲げることだ。
しかし、税金とは別に、ごみの収集にもう一度課金する方式については是非の論争がある。ごみ袋を有料化した自治体で論争になった。福岡市ではこんな感じ。*4
- 議員「廃棄物処理法の6条2で、ごみ収集は市町村の責任だって書いてあるじゃん。税金でやれよ。別料金とるなよ。二重取りだろ?」
- 市「地方自治法227条では『普通地方公共団体は、当該普通地方公共団体の事務で特定の者のためにするものにつき、手数料を徴収することができる』ってあるから大丈夫」
- 議員「住民は『特定の者』なの? それって基本的なものは税金でやるけど、それをこえた特別・特定のものは手数料を取れる、ってだけの話だろ。そんなことしたら二重取りOKってなっちゃうじゃん」
- 市「えーっと、環境省に確認したけど『問題ないよ』って言ってた。あと、金沢の地裁でOKって判決出ているし」
このやりとり、市側はかなり苦しい印象を受ける。
従量の料金体系を組み込むことで、ごみをより多くだす住民にペナルティ感を与えたいという意図が先にあって、法解釈は無理矢理だという気がする。
*1:団地の場合は少しややこしい。清掃に関しては共益費に含まれていることが多く、清掃サービスを買ったり、契約で清掃への参加が強制され、参加しない人はペナルティとして千円を拠出したりする。
*2:地方自治法に「地縁団体」として登場するがこれは法人化の方法について述べただけである。
*3:また、団地の自治会であるという点も特殊性であろう。地域によっては果たすべき仕事がもっと多くなる可能性が高い。
*4:2005年2月9日市議会第2委員会の議事録など参照し、それを要約・合体させたもの。



