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ネット選挙の勝者は山本太郎~ネット選挙が生むマタイ効果

ネット選挙は選挙への関心を高めることはなかった

今回の参議院選挙で注目されたのは、ご存知のようにネット選挙だ。もちろん「ネット選挙」と言っても、インターネットによる投票が可能になったわけではなく、選挙期間中、インターネットを利用した選挙運動が可能になっただけに過ぎないのだけれど。基本的に期待されたのは、ネットによって候補者の主張を有権者が入手しやすくなり、それが選挙への関心へと繋がる、とりわけネットに親和性の高い若年層の投票率が伸びるというものだった。

しかしながら、フタを開けてみればそんなことは全くなかった。いや、それどころかむしろ投票率は低下した。もちろん、その原因にネット選挙があるとはいうことではないだろうが、少なくともネット選挙が投票率、選挙への関心を惹起する作用がなかったこと。これだけははっきりしたといえるだろう。

ネット選挙への、この過剰な期待はメディア論的にはまったくもって的外れなことは選挙前に本ブログで指摘しておいた(「ネット選挙で投票率は上がりません!」http://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/archive/2013/7/19)。また、この時点で僕は投票率が下がること、それによって自民党と公明党、共産党が躍進し、民主党が大敗することも指摘しておいた。そして、これは完全に正解だった。……ただし、だからといって僕の予測が優れていたとは決して言わない。投票率が低ければ必ず投票に行く層、つまり組織票を持つ党が勝利するのは当然だからだ(今回メディアの当落予想がほとんど当たったのも、こういった事情によるのではなかろうか。つまり、誰でもちょっと冷静に考えれば当てられるほど予測がきわめて簡単だった)。いいかえれば、ネット選挙には選挙への関心を掘り起こす効果がまったくといってよいほどなかったのだ。

山本太郎のプッシュ&プル戦術は「鬼に金棒」

ただし、ネット選挙が変革を起こしていないかと言えば、必ずしもそうではないだろう。多少なりとも地殻変動を起こしていると考えることも可能だ。ただし、それは政治に関心のない層=投票に行かない層を掘り起こすというのではなく、既存の投票に行く層の投票行動変化を起こさせたという点で。そして、そのうちの無党派層を取りこむというかたちで。いいかえればネット選挙は「椅子取りゲームの秘策」としての機能を果たしたのだ。

その典型例として、ここで取り上げたいのは東京選挙区の山本太郎だ。そこで山本の例をを同選挙区で落選した鈴木寛との比較で考えてみよう。二人とも積極的にネット選挙を展開したが、前者は当選、後者は落選した。じゃあ、なぜ山本は当選し鈴木は落選したのか。前者は政治経験ナシのズブの素人、後者は文部科学副大臣という経歴、高校無償化、原発問題への迅速な対応といった業績があるというのに。一般的には、当然ながら鈴木が勝ちのはずなのだが。

その理由は意外と単純なところにあると、僕は考えている。まず山本はタレントとして抜群の知名度を誇ったこと。それゆえネット選挙をやった場合、その知名度ゆえに有権者が容易に関心を持ち山本のサイトにアクセスするというプル要因が発生する。また反原発という、ほとんど一つの主張で選挙を展開したことも有権者のイメージを明確化させ関心を惹きつけることに成功している。だが、これらはさしあたりネット選挙とは関係がない。むしろ、どちらかといえばマスメディアを通じて認知されたプッシュ的な要因だ(※メディアの「プッシュ機能」と「プル機能」の詳細については前述した「ネット選挙で投票率は上がりません!」で展開しているのでそちらをご参照願いたい)。

これに山本の場合、ネットを上手く活用するという要因が働いた。つまりオフィシャルサイトで訴え、ツイートし、リツイートされ、YouTubeに動画がアップされ(これは山本ではなく有権者が勝手にアップした)というかたちで、前述のプッシュ要因に触発された有権者たちが勝手にアクセスし、また拡散した。ようするに「祭り」を展開したのだ。これで、無党派層が煽られた。あるいは選挙に関心がない層も多少なりとも関心を寄せたかもしれない。

一方、鈴木はそうではない。まずプッシュ要因がない。政治に関心がない層にとっては、鈴木の実績など見向きもしないというか知らないので、これらの層にはリーチしない。そこにネット戦術をかける。するとどうなるのか……いうまでもなく、プッシュされていないのだから、そもそもネット戦術に関心を寄せるきっかけすらない。また実績があっても争点がハッキリしない。厳密に言えば、ハッキリしていたとしてもプルされず、やっぱりリーチしない。当然、ネット戦術はひたすら空回り状態になる。鈴木はとっておきのプッシュ手段として楽天の三木谷浩史を応援団に担ぎ出したが、これ自体はネット選挙とは関係ないベタな選挙戦術の一つでしかないので、新味がない。やはり有権者の関心を煽ることはなかったのだ。

あらためて山本と鈴木をまとめてみよう。山本の場合「鬼に金棒」という表現がピッタリだ。つまり、知名度、反原発のみのスローガンというプッシュ=鬼に、巧みなネット戦術(こちらも争点が結局、反原発に収斂した)というプル=金棒がセットになって投票意欲のある無党派層を獲得した。一方、鈴木の場合は「鬼に金棒」ならぬ「人間に竹刀」程度。まず、知名度が圧倒的に低いゆえプッシュ要因が弱い。さらに民主党内の公認をめぐってのゴタゴタというネガティブなプッシュ要因もあった。そして焦点が山本ほどハッキリしておらず(これは鈴木自身がハッキリしていないというのではなく、山本の一本調子に比べると見劣りするという意味だ)、比較的普通な展開でこちらもプッシュ力が弱い。こうなると、たとえ山本と同様のネット選挙を展開したところで、それは「金棒」ではなく、ようするにせいぜい「竹刀」程度の効果しか期待できない。そして、その竹刀には前述したようにプッシュ機能がないためにひたすら空振りとなったのである。

ネット選挙が示したマタイ効果

今回のネット選挙における山本太郎と鈴木寛のコントラスト。実は現状でのネット選挙の特性を如実に示したものと僕は考える。それは一言で表現すれば「マタイ効果」、つまり「富めるものはより富み、貧しいものはより貧困に」という事態だ。要するに現在のネット選挙それ自体は有権者の関心を煽る効果がきわめて薄い。そのことは、今回の投票率の低さがある意味証明したといえいる。ただし、プッシュを持っている側、そしてネットを操作する術に長ける側にとっては強力なアドバンテージになる。山本は知名度、そして反原発というミニマリズム的なプッシュを持ったお陰で、多くの投票意志のある無党派層をプルさせる、つまりネットにアクセスすることを可能にした。いいかえれば山本は選挙におけるメディア利用のエキスパートだったのだ(ちなみに同様の資質、つまりタレントという有名性を備えていたにもかかわらずダメだったのは、やはり同選挙区だった桐島ローランドだった。知名度が山本より低く、ワンフレーズの主張もなく、そしてネット選挙にも長けていなかった)。

ようするに、ネット自体は現状では客寄せのための必要条件となる機能がきわめて弱いことになる。だが、山本のように必要条件を備えている候補者がネット戦術を十分条件として利用したとき、これは強力なツールとなると言うことなのだ。だから必要条件を揃えていない鈴木のネット戦術は機能しなかった(桐島は弱い必要条件しかなく、かつ十分条件はまったくダメだった)。

だが、よく考えてみればネットのこういった特性は選挙という項目だけにとどまらないだろう。例えばブログ。多くのアクセスを確保できるのは有名人に限られ、一般人がそれを可能とする場合には、それ相当のメディアリテラシー=ブログリテラシーを備えていなければならない。これはSNSや一般のウェブサイトについてもまったく同様だ。いいかえればネットの効果はあくまで十分条件として、つまりプル的な要因としてしか、現状では機能することが難しいのである。

新しいメディアが出現する際に繰り返される「同じこと」

こういった、今回のネット選挙をめぐる「空騒ぎ」。メディア論的視点から見れば「あいかわらず」という言葉がしっくりとくる。

新しいメディアが出現する際、必ず発生する議論。それは「技術決定論」に基づく二つの見解だ。技術決定論とは「技術が社会を規定する」という考え方。つまり、新しい技術が出現すると、その技術の特性に基づいて人間の行動様式が変容し、社会も変化していくという考え方だ。その際、その変化の有り様について最初に想定されるのが、きわめて肯定的なものか否定的なもののどちらかになる。肯定的なものは、いわば「カーゴ信仰」的なとらえ方。新しい技術がわれわれの生活を快適な方向に導いてくれるというものだ。一方、否定的なそれは、新しい技術によって人心が乱れ社会がおかしくなっていくというものだ。例えば60年代のテレビの普及時、テレビは当初床の間に置かれていた。床の間に置かれるものは我が家の「お宝」、つまり「すばらしいもの」「何かを実現してくれるもの」だ。その一方で、テレビのブラウン管に装着するフィルターもバカ売れした。これは「そこから発せられるものが目に危険」、つまり「アブナイもの」だ。だが次第にテレビは床の間から外され、フィルターも売れなくなった。技術決定論的な呪縛が外れ、テレビというメディアを等身大で相対化してみることができるようなったからだ。そして、テレビは最終的にこういった当初とはまったく異なる認識で現在認知されるようになっている。

現在、ネット選挙についての議論は、まさに新しいメディアが導入された際に沸き起こるこの技術決定論的な文脈にある。しかもその多くが肯定的なもの、つまりカーゴ信仰的なものとしてネット選挙を捉えている。

しかし、最終的にメディアは様々な要素が折り重なって、当初の技術が想定したものとは異なるかたちで定着、浸透する。だから肯定的な議論も否定的な議論も、それ自体では間違っている。ということは、今後ネット選挙が普及し、その機能が相対化、定着した際には、まったく異なった認識のされ方、利用のされ方がなされていると考えるのが妥当だろう。

ということは、現在のネット選挙をめぐる議論、数年後には「ああ、あんなふうにしか当時は考えられなかったんだなぁ」、そして「今回のネット選挙で、その機能を最もクリアカットに示した出来事が山本太郎の当選だったんだなぁ」と考えるようになっているのではなかろうか。僕はそう考えている。

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