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グローバル化する大学運営への学生参画

1. 大学運営に学生参加?

   大学運営に学生が参画する? 日本では聞きなれないことである。学生が関わるとすれば、せいぜい、授業アンケートくらいである。

 だが、先進諸国では、大学運営や大学評価に学生が一人の構成員として参画することが当たり前のことになり、グローバル・スタンダード化する勢いである。7月22日、大学運営や質保証への学生参画というテーマでフォーラムが開催された(大学評価・学位授与機構主催)。フィンランド、英国から3名のゲストスピーカーが講演を行った。いずれも、2-3年前まで学生代表として大学運営や評価に参画した経験を持ち、現在は、欧州大学の評価や学生参加の専門家として活躍している人々だ。

2. 学生参画のオリジンは60年代の学生運動

   欧州において、大学運営への学生参画が高等教育政策に組みかれ、本格的に施行されるようになったのは、この10年ほどのことだという。こうした仕組みが整うまでに、大学当局や教授のみならず学生の抵抗など、ひとつひとつ障害を乗り越えていった経緯があることを忘れてはならない。

 だが、それにも増して、興味深かったのは、学生参画のオリジンが1960年代の学生運動にあるという点である。当時、学生運動は対抗文化の象徴として起こり、日本のみならず、世界的なムーブメントであったことはよく知られている。しかし、その後、事態がどのように展開したのかはあまり知られていない。米国や欧州では、学生運動の結果、学生が大学運営により積極的に関与する方向に向かった。だが、日本ではまったく反対の方向に向かった。学生ができるだけ学内運営にかかわらぬよう、また、できるだけ”たむろわぬよう”運営されていったのだ。東大などの学生寮は取り壊され、未だに学生生協を設置しない大規模大学も複数存在する。

 こうした、日本と欧米の大学の対応の違いの背景には、政治、経済、社会、文化的な要因が複雑に絡み合っており、その理由を簡単に説明できるものではない。だが、あえてひとつ挙げるとすれば、日本の学生運動がより厳格に過激な方向に向かったために、大学のみならず社会全体が学生による各種の運動を抑圧するほうに作用していたことが挙げられる。そして、学生たちも、こうした運動に対して虚無感を抱くようになっていた。

 他方で、欧米の学生運動は社会民主的な信条をベースに展開され、日本のような過激な運動に向かうことは少なかった。そして前述のように、大学と学生の関係改善の方向に梶が切られた。米国大学での授業評価は、この時代に開始されたといわれている。

3. 21世紀の学生参画の意味

 しかし、昨今の学生参画には、大学の限界ともいえる新たな理由を見出すことができる。それは、「雇用可能性」と「学習成果」の問題である。英国の講演者は、「昔は、大学の卒業証書が仕事につけることを意味した。しかし、今の欧州では、大学卒業したというだけでは職に就けない。大学で単位を取得しただけでは十分ではなく、何を身に着けることができたのかが問われる。そこでは、学問的、専門的な知識だけでなく、市民性や課題解決力など社会人基礎力が問われることになる。だから、社会的な活動に積極的に参加しなければ、やっていけない社会になっている」と述べていた。それが彼らが言う「学習成果」が意味するものなのだ。

 これを学習成果というのならば、大学だけで、学習成果に責任を持つことはできないのは自明のことだ。「学習成果について学生自身も責任を持ってもらわねば困る」という、大学側の声なき声が聞こえてくるようだ。しかし、責任の押し付け合いにならないところが立派だ。
 講演者は、「教授たちはTeachingに関する専門家かもしれない。しかし、Learningについて、最もよく知っているのは学生だ。その意味で、学生はLearningの専門家である。そうであるのなら、学生は学びの方法についてより効果的なフィードバックができるはずだ」と力説していた。

4. 日本の聴衆の反応

 フォーラム会場には、大学教員、職員、学生、そして文科省など400人ほどの人々が集まった。そこでは、賛否両論、積極的な意見が出されたが、政府関係者からは、学生参画をどう高等教育政策に組み入れ、制度として設計していったらよいのかという質問が出された。

 英国の講演者の回答は明快で、「政府が制度を作って、細かくチェックするのは適当ではない。政府は、大学が学生参画について哲学を持ち、それをどう実行しているのかを確認すればよいのではないか」というものだった。学生参画はあくまでも自発的、任意に基づくものであり、それを制度に組み入れて義務化した途端に、自発性が失われてしまう可能性もある。

 本フォーラムにコメンテーターとして参加した物理学者の北原教授は、国際基督教大学に勤務していた際、学生寮の規則を学生自身が構築した例をあげながら、「学生参画というのは、民主的な社会を自らが構築するための練習の場である。大学というのは、学生たちが自らの考えを試し、失敗をも許容することのできるインキュベーターだと思う。ただ、そのためには教員は根気強く学生に向かいあう必要がある」と述べていたが、説得力のある言葉だった。

 学生の能力やモティベーションについて懸念するという意見もあったが、私は、学生についてはまったく心配していない。様々なポテンシャルのある学生たちは間違いなく存在しているからだ。むしろ問題の所在は教員にあるように思う。日本の大学教員の8割が、自らは教育者であるよりも、研究者であると認識しているというデータがある。これは、教育者としての自覚が希薄な教員が多いことを示唆するデータだ。この問題のほうが、はるかに困難な課題であろう。

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