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最先端を行く「リフレ・レジーム」〔2〕―若田部昌澄(早稲田大学政治経済学術院教授)

リフレ・レジームの後退リスク

前編からの続き)バトル・オブ・ブリテンのときの英国首相ウィンストン・チャーチルの言葉をもじれば、リフレ・レジームへの転換はごく少数の人によって担われてきた。このレジームが後退することがあれば、アベノミクスは終焉を迎える。これまでのところ黒田日銀体制はうまくやっている。しかし、レジームという観点からすれば大事なのは個々の人々の力量や理解に依存することではない。むしろ制度的にこのレジームを持続させる工夫が必要である。具体的には、現在の日銀法を改正し、インフレ目標あるいはそれをさらに進化させた仕組みを明示的に導入すべきである。

より直近の課題は、2014年4月にも予定されている消費増税である。現状では、安倍首相は消費増税については曖昧戦略に徹していて、明確な方針を打ち出していない。ポイントは、この消費増税がリフレ・レジームからの転換と受け止められるかどうかである。仮に転換と受け止められるならば、アベノミクスは大打撃を受ける。そうでないならば、リフレ・レジームは生き残るだろう。

事実の問題として、第一に今回の消費増税は1997年のときよりも影響力が大きい。97年のときは先行する減税があり、名目上は増減税同額であった。今回は復興増税が先行し、増税だけがやってくる。第二に、97年当時はまだ本格的なデフレが進行していなかった。第三に、内閣府の短期日本経済計量モデルによると、3%の増税は実質GDPを0.9%減少させることになる。

安倍首相は参議院選挙後の10月ごろに判断するという。そのときは消費増税法附則第18条にある、名目経済成長率3%、実質経済成長率2%が一つの判断基準になる。私自身は、リフレ・レジームが始動してまだ時間がたっておらず、消費増税については慎重であるべきだと思う。上記の判断基準が安定的に達成されるまでは、たとえば消費増税の延期が最も望ましいと考える。あるいは、百歩譲っても法人税・研究開発投資減税による緩和措置を設けるなり、日銀法改正やインフレ目標後の目標を設定するなど、リフレ・レジームを強化する案を考えるべきである。

再分配についてもアベノミクスには大いなる懸念がある。安倍政権は5月17日に生活保護法改正案を閣議決定した。この改正案によると、申請については書類の追加提出を求め、ほかの扶養家族調査を拡充するなど、生活保護を受けにくくさせる方向が打ち出されている。不正受給が問題なのはいうまでもないが、それは全体の増加額にとっては3%程度にすぎない。生活保護受給者数がここまで増えたのは何といっても不況の影響が大きい。ということは、誰もがそういう状況に陥りやすくなっているということである。

より大きな問題は、これまで違法行為とされてきた水際での申請拒否を役所の裁量に任せてしまうという点だ。アベノミクスは貧困者の数を減らすだろうし、生活保護受給者数を減らすだろう。しかし金融政策については、せっかくインフレ目標によってルール重視に移行しながら、役人の裁量を強化するのは望ましくない。

成長戦略の何が大事なのか

この、ルールか裁量かという対立は、今後を考える点でより大きな意味をもつ。アベノミクスで本当に重要なのは「第三の矢」だという声はよく聞く。デフレ脱却をアベノミクスの目的とするならば、これは正しくない。デフレ脱却に必要なのは「第一の矢」に代表されるリフレ政策である。しかし、長期的に日本経済の成長余力を上げていくことが目的であるならば、当然「第三の矢」は重要になる。もっとも、政治的妥協の産物としてのアベノミクスがよくできているのは、「第三の矢」を強調することで、いわゆる構造改革派にとっても心地よい政策パッケージになっているところである。

それだけではない。これは官僚にとっても心地よい政策パッケージである。本原稿執筆時点では成長戦略の全貌は明らかではないものの、これまで提案されているものをまとめると、表1のようになる。


見事なまでに玉石混交である。大きく分けて、特定産業分野をターゲットとした補助金政策、各種機構・官民ファンドの新規設立といった官の側の関与を強化する動きと、規制緩和、減税、女性の支援などの動きがみられることである。農業対策がとくに手厚いのは成長戦略という名前での選挙対策であると考えるべきだろうが、他方で国家戦略特区、働く女性の支援のように大都市圏住民を対象とした政策もみられる。

経済学的には、成長戦略にはそれこそ「打ち出の小槌」はなく、試行錯誤が必要だ。もう少し具体的には、(1)民間部門に残るおカネを増やし、(2)そのおカネの使い方についてはできるだけ自由にすることくらいであり、(1)の代表としては減税、(2)の代表としては競争政策、規制緩和、民営化、貿易自由化くらいしかやりようがない。産業政策にはほとんど成功の実例がない。しかも、規制緩和、民営化の経験も、各国で蓄積されているように成功例一辺倒ではない。ただし、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加は、成長戦略の観点からして、いまのところいちばんよい政策イニシアティブである(若田部昌澄『解剖アベノミクス』日本経済新聞出版社、2013年)。

デフレ脱却後の「国のかたち」を求めて

かくも「第三の矢」は玉石混交であるが、これは次のレジームを占うシグナルともなる。リフレ・レジームはいずれにせよ、一時的である。そもそもリフレーションが、デフレからの脱却をめざし、緩やかなインフレを実現することだからだ。インフレ目標の目標値が実現した暁には、リフレ政策の歴史的使命は終わる。問題は将来のレジームである。

何よりもデフレ・レジームに後退しないことが必要であり、インフレ目標あるいはその進化した仕組みは維持されなければならない。それ以外の分野では、「第三の矢」と再分配政策が国のかたちを決めていくだろう。来るべきレジームの特徴を2つの方向でまとめてみよう(表2)。


2つのレジームの違いは、その政策哲学・思想にある。一方のオープン・レジームはルール・枠組みを重視し、そのもとで新規参入を促進しようとする。政府がおカネを使うよりは民間がおカネを使うことを重視する。再分配についても、ルールを定めて裁量が働かないようにする。他方のクローズド・レジームは、政府の裁量・計画を重視し、特定産業の利害を重視する。もちろん、来るべきレジームは、必ずしもくっきりとどちらかに分かれるものではないかもしれない。分野によって混合体になる可能性はある。

これまでの「第三の矢」には、二つのレジームのどちらの要素も含まれている。ところで安倍首相は、これまで成長戦略を発表するのに自ら講演を行なうという手法をとってきた。その第一弾(4月19日)、第二弾(5月17日)での講演で、それぞれ下村治、池田勇人について言及していることは興味深い。どちらも高度成長期の立役者であり「国民所得倍増計画」で知られている。けれども、彼らはどちらも計画を嫌っていたという。池田は「私は統制経済や計画経済論者ではないから、10年という期間を限定して、計画的に月給を2倍にするとは、いいもせず、考えてもいない」(藤井信幸『池田勇人』ミネルヴァ書房、2011年)と。

歴史は陥穽に満ちている。かつて昭和恐慌という大デフレ不況から脱出したときの日本でも、高橋是清によってリフレ・レジームへの転換が起きた。けれども高橋暗殺と前後して軍部を含む官僚の力が増大していった。日本が無謀な戦争に向かっていったのは、軍という官僚組織が自らの利権を拡大していったからである(安達誠司『脱デフレの歴史分析』藤原書店、2006年がきわめて示唆に富む)。安倍首相は、そして今後の日本は、どちらの道を選ぶのだろうか。

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■若田部昌澄(わかたべ・まさずみ)早稲田大学政治経済学術院教授
1965年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業、同大学院経済学研究科修了、トロント大学経済学大学院博士課程単位取得退学。早稲田大学助手、助教授を経て、現職。専門は経済学史。 著書に、『解剖 アベノミクス』(日本経済新聞出版社)、『日本の危機管理力』(PHP研究所、共著)などがある。

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■Voice 2013年7月号
<今月号の読みどころ> 7月号では安倍総理ご本人への45分間ものインタビューが実現し、ほぼそのすべてを誌面に反映させました。なかでも飯島勲氏の訪朝でにわかに高まった拉致問題、喫緊の尖閣問題、靖国参拝、景気回復、消費増税、日台関係などをテーマに、さまざまな角度から切り込んでいます。 総力特集では、領土問題や歴史問題で緊迫する東アジア情勢を背景に、日本の置かれている立場を有識者の方々が分析。特集では、上向く方向にある実体経済を「リフレ景気」と名づけ今後の課題と行く末を紹介しました。 本屋大賞を受賞した百田尚樹氏の新連載「覚醒するクラシック」も、ぜひ読んでいただきたい企画です。

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