記事

「計算も論理もない数学」のすすめ(2)―養老孟司(解剖学者)×森田真生(独立研究者)

完全な他者とコミュニケートする道具


森田:今年5月に文部科学省が1000億円の予算を投入し、スーパーコンピュータ「京」の次世代機の開発に乗り出す、と報じられました。スパコンは天気予報といった自然現象を「計算」する用途があって、歴史上、本質的に「わからないもの」である自然を少しでも理解しようと、人類は数学的な働きかけを行なってきました。本来、計算は「人間と自然をつなぐ媒介」だと思うんです。ところがガリレオが「宇宙は数学の言葉で書かれている」として以来、われわれはあらゆる自然現象が計算に回収できるかのような気になってしまった。

養老:そのなかで面白い仕事をしたのは、生物学者のダーシー・トムソンです。デカルト座標(直交座標)内にカニなど動物の絵を描いて、座標全体の軸をゆがめると、別のカニになる。それを分析すれば、多様に見える動物の生態も、座標の体系から整理できると考えたのです。

私も大学院のゼミで、トラカミキリという虎模様のカミキリムシを使って、似たような実験をしました。数学式の係数を入れ替えて、トラカミキリの全模様のパターンが再現できないか、と試みました。もちろん、結果はそんなに簡単なものではありませんでした。実験の目的は「思いどおりにいかないこと」を確かめるためにあります。だって、そうしなければ何も新しい知見は生まれませんから。

森田:数学的な言語の本質は、決して計算できないものを計算することではなく、むしろ他者とコミュニケーションを取るという部分にあります。たとえば「パソコンの父」と呼ばれるアラン・ケイは、かつて子供たちにプログラミングを教えるプロジェクトに取り組みました。彼らの興味を引き付けるため、「カメのロボットに、正方形を書かせるためにはどうしたらいい?」という問題を出した。カメのロボットは完全な他者なので、言葉を使った伝達方法が通用しません。そこから「真っすぐ線を引くとはどのようなことなのか」を、厳密に考えなければならない。するとそのうちに、どんどん子供たちの言葉遣いが数学的になっていったんです。

いまでは「数学者」というと、コミュニケーションが苦手な人種のように思われるけど、ほんとうは逆なんです。いっさい常識が共有できない他者とでも、なんとかギリギリ、コミュニケートしようとするところから生まれてくるのが「数学」なんです。

養老:そうですね。数学とはミラーニューロンで直接伝わることができない情報をカバーするものだと考えることもできる。

森田:逆にいえば、アイコンタクトや以心伝心が通じる相手、たとえば恋人には数学的な言語は必要ない(笑)。目と目でお互いの言いたいことが伝わるほど、素晴らしいことはありませんから。

最近では顧客の購買行動など、大量のデータを収集して一定の傾向を見出そうとする「ビッグデータ」という言葉も花盛りになっています。これを極端に推し進めれば、世界そのものが最大のデータということになります。

1980年代にロボット研究者のロドニー・ブルックスが「The world is its own best model.(世界そのものが世界のいちばんいいモデルだ)」という言葉を残しました。「ボールを投げる」という動きについて、もっとも正確で簡単なシミュレーションは「実際にボールを投げること」です。掃除ロボットの「ルンバ」などもそうですが、世界の側に記憶や計算を押し付けてしまえば、ロボットそのものは大した計算をしなくても済んでしまうわけです。

養老:脳科学の分野でも、かつては情報工学やロボット工学で「脳のモデル」という言葉が使われていましたが、いちばんいいモデルは「脳そのもの」です。世界に60億個もあるものを、なんでいまさらつくる必要があるのか。その点でもブルックスの考え方は正鵠を射ています。

数学の「情緒」とは何か


養老:どうも最近の学問は「客観的な世界を扱うこと」を意識しすぎて、対象を観察する「主観」のことまで考えられなくなったのではないか、と思います。たとえば「擬態(ある生物がほかの生物・無生物にそっくりな形態や行動をもつこと)」という現象を考えると、両者を「似ている」と感じるのは人間ですよね。観察者自身を含めた三項を考えないと、ほんとうの意味で自然科学の問題は解けない。しかし対象が三つになると、人間の処理能力を超えてしまう。だからこの部分は積み残しになっているのです。それは学問が怠けていることだ、と私は思います。

森田:私はかつて工学部に所属していましたが、「三者」の問題には興味をもっていました。工学部では人間の身体の動きを計測器やモーションキャプチャーシステムを駆使して研究するのですが、観察される人間の周囲がどうなっているかは考慮されません。隣に「好きな人がいる場合」と「嫌いな人がいる場合」では、動きに違いが出てくるのは当然ですよね。しかし、そうした要素は計算できないから、付帯条件や実験環境を無視して、まずはわかるところから分析するほかありませんでした。

養老:その意味でいえば、いまの社会や科学は、解きやすい問題から解いていき、わからないところは積み残してきた結果、生じたものではないでしょうか。だから、積み残しになっているところにこそ、人間の本質が表れている可能性が高い。

森田:私が敬愛する数学者の岡潔は逆で、試験のときでも必ず解きにくい問題から解いた(笑)。岡は一時期大学に所属せず、故郷にこもって研究を続けました。「計算や論理ではなく、心が『わかった』と喜びを感じることが数学の本質だ」と考え、「数学は情緒の表現だ」という言葉を残しました。養老さんとお会いする直前、ちょうど岡の故郷である和歌山県紀見村(現・橋本市)を訪れていたんです。一週間、お墓参りをしながら、あらためて岡の言葉を噛み締めていました。

養老:「情緒」とは面白い表現ですね。

森田:西洋の学問では研究を行なう人間と研究される対象はまったく別物と考えられてきた。そういう伝統のなかでは「情緒」ということがなかなかわからない。外国人に説明するときには苦労します。英語の“mind(心)”という単語は自他対立が前提ですから、環境との交雑がない。岡の言葉でいうと「彩りに欠ける」わけです。一方、情緒は環境と心が混ざり合っている。日本人が和歌を詠むときに、情景の描写がそのまま心情の描写になっているような感覚が基底にあります。これはアンディ・クラークという哲学者の言葉ですが、「心が環境に漏れ出している」状態ですね。

対象を「わかる」ことを目的としたとき、「理論的に自分の頭を使ってわかる」のではなく、「環境を変えた結果『わかる』という状態に心境が変化する」というアプローチがあってもいいのではないか、と思うんです。

養老:同感ですね。

森田:哲学者のウィトゲンシュタインが晩年に庭師になったように、じつは僕も毎朝、庭掃除をしています。風景を整えることは心を整えることだから、しゃにむに働いたり、金儲けの計算をしなくても、心が満ち足りた状態に変化していく。「計算も論理もない数学がしたい」という岡の言葉が、少しだけわかる気がするんですね。

養老:いまはアベノミクスと円安に世間が沸き立っていますが、実体経済が何も変化していないうちから、為替差益で投資家のジョージ・ソロス氏は960億円も儲けたそうです。私はこのニュースを聞いて、「経済とはこれほど阿呆らしいものか」と思いました。それならば庭の手入れをしていたほうが、よほど心は満たされます。

森田:庭掃除は「自分の心を嬉しい状態にする」という目的のために、環境を利用しているという意味合いもあります。面白い例が、MITが1995年に行なったマグロの研究です。マグロは時速80㎞で泳ぎますが、力学の視点からいえば、あの大きさと筋肉量では、そこまで速く泳げるはずがないという。実際には、まず尾ひれを使って周囲の水の流れを変え、泳ぎやすい環境をつくったうえで、流れに乗って泳いでいることがわかった。

ここからいえるのは、40億年も進化を重ねてきた生き物は、環境を「解決すべき課題」なんて考えていない。むしろ環境を一つのリソースとして、自分の行為に生かしてしまっているということです。

養老:私はよく「環境は問題ではなく、答えだ」という言い方をします。環境をみて「汚い」と思えば、それは自分が汚いことを意味する。日本の自然林をみると、新緑も紅葉もものすごく綺麗です。しかし少しでも人が住んでいた形跡のある山間部に行くと、廃墟が残っていたり、杉の木にツタが絡み付いていたりして、非常に汚い。国土の荒廃は、日本人の荒廃そのものだということです。

自然を「制御する」という発想の限界


森田:たとえば環境について、原子力発電所というものを考えると、もともと原子力は、1940年代に世界初のコンピュータを開発したプリンストン高等研究所のフォン・ノイマンが中心となって「予測できるものは予測し、予測できないものは制御する」という考えのもと開発されたものです。人間が計算という暴力的なまでに巨大な力を手に入れて、その結果生まれたものだともいえる。そのようにしてできた原子力が、取り返しのつかない事故を引き起こすのは、ある意味で象徴的な出来事かもしれません。

養老:原発事故で立ち入り禁止になっている区域では、生き物が自由自在に動き回っているから、それはそれで悪くない気もします。むしろ私が思うのは、なぜ誰も「あれはくだらない事故だった」といえないのか、ということです。原子核物理学の理論ミスなら「高級な事故」といえるかもしれませんが、実際には非常用電源が低い位置にあったので津波の水をかぶった、という子供のような想定ミスが原因です。

要は、この事実をいうと、事故を起こした側も原発反対を訴える側にとっても都合が悪い。事故を起こした側は「なぜそんなくだらない事故を起こしたのだ」といわれ、原発反対側も「単純ミスなので再稼働できる」となってしまう。両者が黙った結果、「高級な事故」になっているんです。

森田:旧約聖書のなかで、ダビデ王がサタンにそそのかされ、徴税のために人口調査をする場面があります。当時は「人口を把握する」ことは神の領域で、タブーだった。それほど「計算」というものは神と自然を冒涜するものと見られていました。ダビデ王は迷った結果、人口調査を断行するのですが、神の怒りを買って7万の民が命を落とした。18世紀のイギリス議会でも、これを引用して人口調査に反対する議員たちがいたといいます。それがいまでは、計算によって自然を把握し、制御することが文明の基本原理になっている。しかしそれは、「制御するもの/されるもの」という非対称な構図を自然に押し付けることではないでしょうか。ほんとうは対称な両者の出合いから自然を捉え直す、という新しい思想から文明を作り直していかなければならないと思います。

養老:だから私はつねづね、日本には田舎と都会を往き来させる「参勤交代」が必要だと述べています。自然を捉え直すといっても、そもそも都会人は自然を知りません。冒頭に森田さんが話した「遊歴算家」のように、日本にはもともと数学や自然科学を許容しやすい土壌がありました。それを取り戻すために、まずは森田さんに倣って、故郷の墓参りと庭掃除をしたらどうかと思う。(笑)

関連記事
「計算も論理もない数学」のすすめ(1)―養老孟司(解剖学者)×森田真生(独立研究者)

養老孟司(ようろう・たけし)解剖学者
1937年、神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、ベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)ほか多数。

森田真生(もりた・まさお)独立研究者
1985年、東京都生まれ。東京大学工学部を経て、2010年、同理学部数学科を卒業、独立。現在は京都に拠点を構え、在野で研究活動を続ける傍ら、全国各地で「数学の演奏会」など多彩な講演活動を行なっている。主な関心は圏論、計算論。

リンク先を見る

■Voice 2013年7月号
<今月号の読みどころ> 7月号では安倍総理ご本人への45分間ものインタビューが実現し、ほぼそのすべてを誌面に反映させました。なかでも飯島勲氏の訪朝でにわかに高まった拉致問題、喫緊の尖閣問題、靖国参拝、景気回復、消費増税、日台関係などをテーマに、さまざまな角度から切り込んでいます。 総力特集では、領土問題や歴史問題で緊迫する東アジア情勢を背景に、日本の置かれている立場を有識者の方々が分析。特集では、上向く方向にある実体経済を「リフレ景気」と名づけ今後の課題と行く末を紹介しました。 本屋大賞を受賞した百田尚樹氏の新連載「覚醒するクラシック」も、ぜひ読んでいただきたい企画です。

あわせて読みたい

「スーパーコンピュータ」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    「FIREブーム」は昭和バブル期のフリーターブームに似ている

    内藤忍

    09月18日 14:15

  2. 2

    新型コロナの影響で「九九」の勉強がおろそかに 顕在化するコロナ禍の子どもへの影響

    石川奈津美

    09月17日 08:07

  3. 3

    先進国唯一の異常事態 「安値思考」から抜け出せない日本 - 渡辺 努 (東京大学大学院経済学研究科教授)

    WEDGE Infinity

    09月18日 10:45

  4. 4

    自民党総裁選 所見演説や記者会見等 候補者4名の中で「高市ピカイチ」

    赤池 まさあき

    09月18日 14:39

  5. 5

    堀江貴文「コロナ禍に資格の勉強を始める人が見落としている根本的な間違い」

    PRESIDENT Online

    09月18日 14:24

  6. 6

    東京都医師会の尾崎会長 自身の医院でなぜ陽性者を受け入れていないのか

    NEWSポストセブン

    09月18日 17:04

  7. 7

    9月にバラエティが続々終了 最終回を民放各局が注視する理由

    NEWSポストセブン

    09月18日 10:08

  8. 8

    男性パートナーの得意な家事「皿洗い」に女性は不満?意識のギャップを防ぐカギは【9月19日は育休を考える日】

    ふかぼりメメント

    09月18日 08:50

  9. 9

    自民党政権の危機管理の失敗【2】後悔のない対策

    山内康一

    09月18日 08:43

  10. 10

    「河野首相だけは絶対に阻止すべし」自民党の実力者4Aが密約を交わした残念すぎる理由

    PRESIDENT Online

    09月18日 10:48

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。