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- 2013年05月19日 17:55
EUが成立したのは、東洋的国家観に学んだおかげ?
『環球時報』に掲載されていた「用东方智慧解决亚洲领土争端」という記事がいろいろ興味深かったので、これについて少し。
1 記事の紹介
最初にいつものとおり記事を翻訳したものを簡単に紹介させていただきます。最近、中国は領土紛争が絶えない。これは、20ヶ国と隣り合っている大国としては、仕方がないことだ。そのため、巨視的な歴史的思考からどのようにして、これを克服するかを考えてみたい。
中国は一貫して「神聖な領土が侵犯されることを許さない」「断固として国家の主権を守る」という原則で行動してきており、実際、他国も同じだ。もし私達がインドやフィリピンのメディアの報道を見るなら、(中国と)同じような正義論や民衆を奮い立たせる言葉、中国外交部のスポークスマンと似たような発言を聞くだろう。
どのように中国から不法に占有したかに関わらず、保有期間が長くなれば、自分のものだと思うようになり、大英博物館が保有する円明園の文化財のように、簡単には帰って来ない。そこに、歴史の重みが付け加わると領土問題は更に複雑性する。
もし2つの国家が領土が自分のものだと思うのなら、理論上で交渉を行って国境を定めることが可能だ。しかし領土は、移動の自由があり、通貨発行権や国防の対象となるなど、神聖とされているので、現実的には難しい。
斯様な特殊観念により、領土紛糾は感情的になり、妥協を難しくしている。中国が武力で領土を勝ち取ったとしても、恨みを持つ隣人ができることとなり、しかもこれから領土問題を心配しながら暮らしていかなければならないことを意味する。これは中国にとって望ましいことではない。
実際、これは歴史的な問題で、領土の概念は近代ヨーロッパで成立したもので、ヨーロッパの独特な封建体系、土地の財産関係や歴史と密接な関係があり、民族国家の出現となった。
古代中国には神聖な領土や固定的な(国)境の概念はなかった。中国は統一していようが、分裂してしようが、「国」の上には「天下」があった。国と国は争うが、奪うのは領土ではなく、天下だった。
しかし、19世紀にヨーロッパ列強が産業革命の力で、中国に来て以来、中国の伝統的な天下の体系は崩壊し、ヨーロッパの近代的な領土と主権の概念に取って代わられた。そして、中国は近代的な国際体系に参加し、(国を)外交の基礎とした。
今日、私達は殆ど当たり前にヨーロッパ領土の観念を使っているが、その限界にも気づくべきだ。ヨーロッパはこの概念により、数百年来戦争をし、多くの血が流れたが、領土問題は解決できなかった。
第二次世界大戦以降、ひどい目にあったヨーロッパ人は、東洋のはっきりしない領土の概念を取り入れて、EUをつくり、国境は名ばかりにして、平和と繁栄を迎えた。アジアも自分のやり方で歴史を乗り越え、「ポストモダン」の繁栄を目指すべきだ。そういう意味で、やはり「紛争は置いておいて、共同開発をする」という東洋の知恵が見直される。
2 個人的感想
この記事を書かれたのは、北京外国語大学公共外交センターの周鑫宇氏となっております。確かに今さらながらという主張はありますが、主権国家、民族国家の認識や自国だけの正当性を主張していないことは、これまでの中国の主張とは大分異なり、かなり好感が持てる記事となっております。実際、つい最近のインドとの国境紛争で、問題は中国に対する憎しみを殊更強調するインドマスコミにあるという主張を見た時は、本当どうしたものかと思ったものです(中印関係悪化は、中国軍の「侵入」でなく、インドマスコミが原因?)。
中国は人権問題などで欧米からかなり激しい批判を受けているので、「主権」を盾に、内政不干渉の立場をひたすら強調してきました(アメリカに対しては下手にでる反面、日本に対しては強気にでる中国)。
結果、まさにジャン・ボダンが提唱した様な他(敵)から自国を守る古い「主権」概念そのままのような、「近代国家」という概念を引きずることとなっております(経済力で他国に言うことを聞かせようとする中国)。
欧米は既に、いわゆるグローバル化の流れの中で、「国家」以外に多国籍企業、NPO団体など様々なチャンネルを通して、他国との結びつきを強めてきているわけで、そうした「国家」を過度に重要視しなくなった結果がEUなどと思っております。
つまり、「国家」という概念を作り上げた欧米は既に「国家」という概念を超克しようと努力しているわけで(しかし、欧州財政危機の解決時に、国家エゴが前面にでたことを見てもわかるとおり、国家の枠を越えるのは、かなり困難です)、別に東洋に学んだ訳でも何でもありません。
そもそも、国家概念は近代ヨーロッパ以外には存在しかなったので、同じ理屈で言えば、アフリカに学んでいるということも言えるわけです。
ま、そういうわけで、ツッコミどころが無いわけでもありませんが、かなり興味深い論考で、こうした中国が絶対正しいという主張から離れて、相対的に物事を見ることができる人が増えることはかなり望ましいことと思っております。