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とくダネ!の黄昏(2)〜全盛期の形式=システムはこうなっていた!

形式化は番組に対する親密性を形成する

ワイドショー「とくダネ!」の凋落について考えている。前回はワイドショーの魅力が「情報内容」よりも「情報を伝える形式」、すなわちWhatよりもHowにあること、そして「とくダネ!」は形式=Howを突き詰めたがゆえに人気を獲得可能になったこと、だがその形式が今やマクロレベルでもミクロレベルでも崩壊していることを指摘した。そこで今回は全盛期の「とくダネ!」の形式がどのようなものであったのかについて見てみたい。

前回の復習になるが、われわれがワイドショー、いや番組全般に関して魅力を抱くのはその内容よりもむしろ番組の形式=Howだ。そして、その形式=Howが安定した構造、つまり一定のパターンを確保したとき、視聴者にとって番組は親密なものになる。ちなみに、この時、そのパターンはどんなものであっても構わない。とっかかりの魅力に安定した構造が備わり、そして維持できれば、視聴者はこれに愛着を覚え、継続的に接するようになるのだ。

ワイドショーではないが、テレビ番組として安定した構造=形式を備えているものをあげてみよう。最も典型的なのはアニメ「ドラえもん」で、これは問題状況の出現(ex:ジャイアンに殴られた)→解決手段の提示(ex:ひみつ道具)→一旦解決(ex:道具を用いての問題解決)→悪用(ex:道具の応用)→因果応報というパターンで構成されているのだが、この構成が全ての作品の九割以上を占めるのだ(これは「水戸黄門」や「生活笑百科」「笑点」なども全く同じ)。視聴者は、この同じパターンを身体的に熟知するがゆえに、作品全体が了解可能なものとなる。そして、このパターン上で繰り広げられるアレンジ=バリエーションを楽しむのだ。



登場人物たちが繰り広げる役割に基づいたインタープレイ

この安定した構造=形式がミクロ、マクロ二つのレベルでがっちりと作られ、それによってさらに創発的な魅力を放っていたのが全盛期の「とくダネ!」だった。

はじめにミクロレベルの形式=登場人物の役割について。役割は司会者=小倉智昭、メインアシスタント=笠井信輔・佐々木恭子(二人の役割は全く違っている)、プレゼンター(アナウンサー、レポーター)、コメンテーターの四つ。そして、それぞれの役割は厳密に固定されていた。そしてそれぞれが自分の持ち分を堅持つつ、さながらジャズのようにインタープレイを繰り広げた(リーダーかつスターミュージシャンはもちろん小倉だ)。これがマクロの構造、つまり登場人物間でのコミュニケーション形式=互いの絡みだ。

その展開を見てみよう。先ず、番組の中でトピックの口火を切るのはプレゼンターだ。この役割が演じるのはきわめてベタなマスコミ的な語り、いわば「マスゴミ的語り」だ。メディアの常套句=クリーシェを並べるのがお約束。中にはこのクリーシェをやたらとデフォルメするキャラクターも存在した。これが説明をカリカチュアライズするにはわかりやすいので取り上げてみよう。典型例は当時リポーターだった大村雅樹だ。大村はサッカーのジャパンーコリアワールドカップの際には「安心理論」と称してもっぱら日本チームに都合のよい情報ばかりを集め、必ず日本が勝つという荒唐無稽な図式を一貫して展開し続けた(ちなみにデーブスペクターや、当時芸能レポートをやっていた芸能レポーターも全く同じ役所だった)。

大村のやり方は、まさに「マスゴミ」と揶揄される、独断と変更に満ちた、それでいてクリーシェ=定型からは外れないという報道のやり方を拡張したものだが、これを「爽やかモード」で展開していたので、いわばパロディ的なところにまで昇華されていた。こういったベタな語りが先ずは番組の「叩き台」になる。そして、これをまさに「叩く」かたちで番組は進行する。先鋒を切るのはいうまでもなぐ小倉だ。小倉は、大村のようなプレゼンターのそのベタなモノのイイに対して豪快にツッコミを入れる。その典型的な決め台詞が「みたんかっ!?」だった。芸能レポーターのように、伝える内容を強引な解釈と憶測で展開するプレゼンターに、見てきたような嘘をついていると”待った”をかけたのだ。つまり、小倉はマスゴミ的な嘘っぽい報道を、根拠なきものとして、笑いとともに相対化するまなざしを視聴者に向けさせたのだ。そしてメインアシスタントの笠井はいわば日和見の狂言回し(あるいは”うっかり八兵衛”)。ベタな図式と小倉のツッコミの間で右往左往する。言い換えれば笠井は状況が読めずにテレビを見ている視聴者の代表的存在だ。一方、コメンテーターたちは原則、小倉のツッコミ、そして見解に同意を示しながら、これを傍証したり、考え方のバリエーションを示したりする。援護射撃と議論の広がりを示すのがその役割だ。そして残りのメインアシスタントである佐々木恭子はいわば「ショックアブソーバー」。小倉の過激なパフォーマンスで毒気が番組内に充満してしまういそうになるところを、彼女がテキトーにあしらうような喋りをして全体のムードを和らげる。そして、こういった「ジャムセッション」に視聴者たちは熱狂したのだ。ということは、視聴者たちはこの形式、そしてそこから発せられるインタープレイ=アドリブの妙が楽しくて、ワクワクドキドキしながら「とくダネ!」にチャンネルを合わせていたということになる。いいかえればネタ=情報内容はなんでもよかったのだ。これこそ、まさに”形式の妙””メディアのメッセージ性”と呼ぶものに他ならない。

2.5次元のパーソナリティ、小倉智昭

さらに、こういった「とくダネ!システム」は、視聴者を啓蒙することも可能にしていた。レポーターやアナウンサーがマスゴミ的報道に徹し、それに対して小倉がツッコミを入れるとき、小倉はテレビのディスプレイの向こうからこちら=茶の間に飛び出してくる。つまり、茶の間の側の視聴者の側にまわってテレビにツッコミを入れているのだ。もちろん、実際には小倉はディスプレイの向こうにいるのだけれど、こうやって二次元的なベタな報道に異を唱えることで、報道のもう一つの視点を提供することに成功していたのだ。これはメディア論=マスコミ論で行くところの「オピニオン・リーダー」という役割になる。つまり、小倉はマスメディアの情報をかみ砕いて一般大衆に伝えるとともに、その読み方を提示する(これは「コミュニケーションの二段の流れ」と呼ばれている)ディズプレイ内の「公衆」を演じていたのだ。僕はこういった小倉の役割を「2.5次元のオピニオン・リーダー」と名付けておいた。ディスプレイ上の向こう=二次元に身を置きながら、さながら茶の間=三次元にいるかのような立ち位置で語ったからだ。もちろん、これを可能にするのが他のメンバーの役割で、言い換えれば小倉の2.5次元性は、こういった「とくダネ!システム=形式」によって可能になっていたのである。

視聴者のメディア・リテラシーを涵養していた

そして、この形式が視聴者に与えた啓蒙とはメディアリテラシーの涵養に他ならない。具体的には、ひとつは前述したように、先ずそれは情報ソースを相対化する視線を提供するというものだった。マスコミ的なベタなクリーシェとしての情報提供を、ただ単に「マスゴミ」といって片付けるのではなく、これにツッコミを入れ、別の視点を提示することで情報のオルタネティブな見方を提供したのだ。

ただし「とくダネ!システム=形式」によるメディアリテラシーの涵養はこれだけにとどまらなかった。というのも、さらに一歩進んで小倉のオルタネティブな見方が相対化されるような構造も出来上がっていたからだ。この時、重要な役割を演じていたのが、実は佐々木だ。佐々木は一応は小倉の意見に相づちをうっているようにみえるのだが、その一方で、前述したように小倉の意見を流してしまうような役割も演じていた。実際に流していたかどうかはともかく、世間にそのように思わせるのを可能にしていたのは、要するに彼女が「東大卒」という学歴だったからだろう。つまり、小倉のことをハイハイと聞いているように見え、何も抵抗しないが小倉よりも学歴が上(小倉は獨協大学卒)、しかも最高学歴であるということから、実は何でも知っているけれど黙っているだけ、といったような印象を与えることに成功していたのだ(実際に佐々木が知っているかそうでないかは、この際どうでもいい。要は「そのように見える」ことが重要なのだ)。こうなると小倉は佐々木恭子というお釈迦様の手のひらで暴れている孫悟空ということになる。

だから、結果として情報は二重に相対化(情報の相対化+小倉の相対化)されることになる。そうすることで視聴者は情報の多面性を理解し、そこから主体的に判断する、あるいは自分もとくダネ!のメンバーとなって自分なりの視点で考えなければならないというような姿勢をとることが啓蒙されていたのである。

これを傍証する最も典型的な形式が、小倉の各コーナーでの最後の決め台詞だった。

それは

「私はこのように思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?」

つまり、自分の意見を明確に主張した後、自らそれをあまたある意見の一つとして相対化し、決定権を視聴者に委ねたのである。

こういった「相対化を促すシステム」の中にあったからこそ小倉は自由に振る舞うことができたといっていいだろう。つまり、どれだけ自説を過激に説いたところで、佐々木が、そしてこのシステム全体がしっかりとショックアブソーバーとして作用し、その結果、これによって小倉の毒気が抜かれるとともに、その一方で小倉はこういった「安全弁」があることで、一層自由に振る舞うことが可能となっていたのだ。そして、このようなメンバーのやりとりの形式=インタープレイは視聴者にとってはきわめて知的な刺激であった。

だが、このシステムが壊れるときがやって来た。それは、菊川怜が登場したとか、小倉の賞味期限が切れたからとかという矮小化された原因によってではない。それは、長い時間をかけてじわじわと進行していったのだ。次回は、このシステム=形式の崩壊過程についてみていく。(続く)

※前回、「とくダネ!」の表記を間違えて、ひらがなとカタカナを逆にし「トクだね!」としてしまいました。お詫びして訂正します。

【関連記事】
「トクだね!」の黄昏(1)〜ワイドショーシステム=形式の崩壊
とくダネ!の黄昏(3)〜システムはこうして崩壊した!

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