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  • Arisan
  • 2013年04月24日 09:00

『物語消費論改』

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http://japan.hani.co.kr/arti/politics/14547.html

http://jp.wsj.com/article/JJ12654974330373834182517348444972986615170.html

http://japanese.joins.com/article/789/170789.html

こうした政治家たちの行動や言動を見ていると、これは外交問題に限らないのだが、彼ら自身の政治上の目的があからさまになったということだけでなく、それを支持する有権者たちがファシズムと階級差別や侵略・植民地支配の時代の再来を熱望していて、政治家たちはそれに半ばひきずられるように、あからさまなファッショ化の身振りを嵩じさせることを止められずに居るという印象を受ける。

政治家たちに本気でファシズムや戦争の時代を引き受ける覚悟があるかどうかには関係なく、こうした身振りは最悪の現実を到来させてしまうだろうし、そのツケを払うことになるのは、無論彼らではない。

いま安倍政権の政治を支持したり容認したりしているわれわれの心の底にあるのは、原発事故やグローバル化に伴う社会の荒廃が突きつけてくる現実の悲惨を、今までどうり「見ないことにして」済ませられるための方途が、もはやファシズムの熱狂以外にはないという自覚だ。アベノミクスの幻想に、本当は誰も期待していない。望んでいるのは、現実から目を逸らし夢を見続けることを可能にしてくれる虚構の政治、つまりファシズムだけである。

大塚英志の近著『物語消費論改』は、80年代に著者が提示した「物語消費論」の枠組みを、「web以降」の文脈にあわせて整理することで、ファシズムに殺到していこうとするこの社会の現状を照射した重要な本である。

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物語消費論改 (アスキー新書)

著者の現状への見方は、わりとはじめの方に集約して示されている。

「大衆」を「動員」すること、そして「大衆」を「動員」し易いものに啓蒙することはファシズムの基本的な手法である。そしてその「大衆」が意に反した動きをした時、「ポピュリズム」と呼ばれる。しかし「3・11」以降の「ポピュリズム」は少し印象が異なる。つまり、「大衆」が「大衆」を「動員」する現象にぼくには見える。・・・・独裁者不在のファシズムだ。(p015~018)
それが従来のポピュリズムやファシズムと違うのは、「民意」の物語消費論的自己増殖によって、独裁者が不在の「大衆自身による自己動員」が合理的になされる事態にこの国があるからだということは本書序に記した通りだ。「バットマン」やぼくのまんがのパブリシティと同じ原理で「民意」や「公共」があたかも形成されているような錯誤の中にこの国があることを誰も批判できないでいる。はっきり言うが、たった今、進行しているこの事態は明らかな錯誤である。この国では今、物語消費論的現象として「日本」や「愛国」という「大きな物語」が、ポストモダンをとうに通過しながらひどく凡庸な形で復興しているのである。(p088)

「大きな物語」に回収されることを希求する「独裁者不在のファシズム」という捉え方によって、著者は、あからさまに「日本」や「愛国」を掲げる言説や運動(デモなど)ばかりでなく、反原発運動などに対しても否定的な眼差しを向ける。

その部分に対しては、僕の考え方と同じというわけにはいかないのだが、しかし、「反原発」にせよ「反レイシズム」にせよ、社会運動のかなりの部分が「動員」の思想を脱することが出来ず(それは、僕ら自身の力不足というしかないのだが)、「日本」とか「復興」という空虚な物語に回収され、その結果として改憲が行なわれつつあるという現実は、確かにいま眼の前にあるわけであるわけだから、その限りでは、著者のこの大枠の捉え方に、僕は異論をはさめない。

しかし、このような「錯誤」に満ちた「現状」が生じてしまっている原因は何か。

著者の見解がよく示されているのは、連続幼女殺害事件の被告、宮崎勤に関する、次のような感想である。

結局、宮崎勤という人間を十年間観察してわかったことは、一見、ポストモダン的に見える「私」をめぐる「リスト」や「誰かの語り」の中で自分を立ち上げようとするふるまいは、この国の近代が回避してきた「社会的な私」に対する回避の手段にすぎない、ということだ。そこでは「私」を立ち上げる手間暇や責任は忌避され、しかし他人に承認されたいという欲求だけは行使される。(p096)
著者は、「ポストモダン」が言われた80年代から90年代にかけての日本の文化状況を、日本の近代に特徴的である、「社会的な私」を回避する態度の、ひとつの現われとして捉えているのである。

歴史の中に置かれ、社会の中で他者と共に在るという、自己の生の重圧(手間暇や責任)を回避したままに、ただ他人からの承認だけを得たい、そのことによって自尊と安定を得たいという、いわば退行的な願望が、実は日本の近代を特徴づけるものであり、宮崎勤に象徴される「オタク」世代や、日本の「ポストモダン」の思想家たち(その代表は東浩紀だろう)の「錯誤」的で歴史修正主義的な心理、そしてその彼らを育み彼らによって育まれた8~90年代の文化と社会は、その一つのヴァージョンに他ならない。

著者の批判は、そのようなパースペクティブを持つものだと理解した。

本書の第三章では、太宰治の戦前の小説「女生徒」の一節が引かれ、近衛政権下で「強い力」を待望し、自分を支配してくれる「大きな物語」に吸収されることを密かに願望する若い女性の心理が語られているのだが、ファシズムを待望するこの心理のあいも変らぬ反復を、著者は80年代から現在への時代の流れのなかに見ていると言えるだろう。

ニーチェはキリスト教道徳の根底に、現実の生を否定する「弱者」(システムの中での強者)たちの「無への意志」を見出して非難したわけだが、著者が日本の近代に見出しているのも、やはり現実の生の困難でもある営みを否定して「無」と一体化しようとする、むしろ母胎のような生温かさを感じさせる「無」へと回帰しようとする意志であると思う。

そのことは、宮崎勤のような人物の心理のみならず、たとえば8~90年代にブームとなった「エコロジー」や「国際貢献」についても言えることだと、著者は言う。90年代の初めに書かれたエッセイの中では、次のように述べられている。

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