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- 2011年04月06日 05:15
「本当の言葉」って何なのさ
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2011年4月5日付朝日新聞夕刊「文芸批評」欄に文芸批評家の大澤信亮氏が「欲しかったのは本当の言葉 「秋葉原事件」とは何か」と題した文章を載せている。不勉強にしてこの方を知らないんだが、おそらくは有名な方なんだろう。「ロスジェネ」という雑誌の編集委員を務めていた、とある。1976年生まれというのは、まさにその世代、なのかな。ともあれ、少なくとも私より頭のいい方ではあると推察する。いや別に根拠はないがなんとかくそんな印象。
要するに、読んだのだが、読んでも読んでもわからないので困っているわけ。
いや、実のところそんなに困っているわけじゃない。そもそも文芸批評家という職業自体よくわかってなくて、「文芸」って文学作品とかのことじゃないの?とか、事件の判決について書くって、法律学や社会学でないとしたら、いってみりゃ時事評論とか社会評論とかだよね?判決って文芸なの?時事評論って文芸批評の範疇に入るの?とか、いろいろわからないことだらけなんだが、別にわからなくても損はないし、正直それほど興味もないし。
とはいえ、せっかく読んだんだからちょっとはわかりたいじゃんか。というわけで、何がわからないか、できるだけ手短に書いてみる。あらかじめことわっておくが、批判とかじゃなくて、本当にわからないのだ。わかってる方いたらぜひご教示いただきたく。誰かいないかね、文芸批評界の池上彰的な人は。いや実際、文芸方面の方の書く文章って難しくて、本気でわからないことがよくある。同じ思いの人、けっこういるんじゃないかと思うがどうだろうか。
この文章は、タイトルからもわかるが、2008年の秋葉原連続殺傷事件の判決がちょっと前に出たことを受けて書かれたものだ。もちろん、ここに書かれていることの基本的な流れはわかる。確か、この事件の被告は大澤氏より少し年齢が下だったと思うが、大澤氏、とにかくこの被告に共感してるらしい。犯行に至ってしまったことはもちろん非難されるべきだが、被告が直面した困難や感じたであろう絶望のようなものは、この世代の人には広く共感できる、ということなんだろうか。「あまりに人間的」だったと評してるぐらいだし。そこらへんは、世代はちがうが私にもある程度わかる。少なくともわかる気がする。
そこまではいい。でもその先がもうだめだ。こんなふうに書いていらっしゃる。
この欄のタイトルにもあったから、これがキーワードであろうことは疑いない。でも「本当の」って何?私のように「科学」サイドの人間としては(いや別に私が科学を代表する立場とかいうつもりは全然ないし大澤氏が「魔術」サイドの人間というつもりもないのだが)、「本当の」とさらっと書かれてしまうと「ちょっと待て」となるのはむしろ自然な反応であろうと思う。「定義しろ定義」とかごねるつもりはないが、そんな簡単に「本当の」とか書かないでよ、ぐらいはいいたい。
ここでいう「本当の言葉」は、何か特定の表現というよりは、あるカテゴリの言説を総称したものだろう。誰の? 上の文章では、被告が日々接する仕事場の、あるいは、ネットを通してコミュニケーションする匿名の相手の、ということになる。でも、「本当の」かどうか、誰が決めるの?たぶんこの場合は被告自身なんだろう。ではなぜ被告は日々交わすことばを「本当の言葉」と思えなかったんだろう?とうかどうして被告がそう思ってたってわかるの?聞いたの?聞かなくても資料を読めばわかるってことかもしれないけど、被告が判断する「本当」が他の人にとっても「本当」である保証とかってあるの?
別にちゃぶ台返しをしたいわけじゃなくて、要するに、私がわからないのは、誰が何をどう言ってくれたら「本当の言葉」ってことになるのか、ということだ。そしてそれが「本当」かどうか誰が判断するのか、さらにいえば、「本当の言葉」が語られると誰にどんないいことがあるのか、ということもわからない。
一応、ヒントはまったくないわけじゃない。こうもある。
要するに、読んだのだが、読んでも読んでもわからないので困っているわけ。
いや、実のところそんなに困っているわけじゃない。そもそも文芸批評家という職業自体よくわかってなくて、「文芸」って文学作品とかのことじゃないの?とか、事件の判決について書くって、法律学や社会学でないとしたら、いってみりゃ時事評論とか社会評論とかだよね?判決って文芸なの?時事評論って文芸批評の範疇に入るの?とか、いろいろわからないことだらけなんだが、別にわからなくても損はないし、正直それほど興味もないし。
とはいえ、せっかく読んだんだからちょっとはわかりたいじゃんか。というわけで、何がわからないか、できるだけ手短に書いてみる。あらかじめことわっておくが、批判とかじゃなくて、本当にわからないのだ。わかってる方いたらぜひご教示いただきたく。誰かいないかね、文芸批評界の池上彰的な人は。いや実際、文芸方面の方の書く文章って難しくて、本気でわからないことがよくある。同じ思いの人、けっこういるんじゃないかと思うがどうだろうか。
この文章は、タイトルからもわかるが、2008年の秋葉原連続殺傷事件の判決がちょっと前に出たことを受けて書かれたものだ。もちろん、ここに書かれていることの基本的な流れはわかる。確か、この事件の被告は大澤氏より少し年齢が下だったと思うが、大澤氏、とにかくこの被告に共感してるらしい。犯行に至ってしまったことはもちろん非難されるべきだが、被告が直面した困難や感じたであろう絶望のようなものは、この世代の人には広く共感できる、ということなんだろうか。「あまりに人間的」だったと評してるぐらいだし。そこらへんは、世代はちがうが私にもある程度わかる。少なくともわかる気がする。
そこまではいい。でもその先がもうだめだ。こんなふうに書いていらっしゃる。
公判を記録した資料を通読して感じたのは、現実の生活よりも言葉を優先しようとする、彼のリアリティーの在り方だった。「本当の言葉」。
彼には会って話せる友人がいた。一定の収入を得られる仕事もあった。だがそれらすべてを虚しく感じていた。気を遣い合っているだけ。誰でもいい役割をこなしているだけ。「工場で部品を組み立る自分自身が部品みたいだ」。そんなふうな言葉も口にされた。
彼は本当の言葉が欲しかったのだ。この切実な気持ちは私の心を深く刺した。
この欄のタイトルにもあったから、これがキーワードであろうことは疑いない。でも「本当の」って何?私のように「科学」サイドの人間としては(いや別に私が科学を代表する立場とかいうつもりは全然ないし大澤氏が「魔術」サイドの人間というつもりもないのだが)、「本当の」とさらっと書かれてしまうと「ちょっと待て」となるのはむしろ自然な反応であろうと思う。「定義しろ定義」とかごねるつもりはないが、そんな簡単に「本当の」とか書かないでよ、ぐらいはいいたい。
ここでいう「本当の言葉」は、何か特定の表現というよりは、あるカテゴリの言説を総称したものだろう。誰の? 上の文章では、被告が日々接する仕事場の、あるいは、ネットを通してコミュニケーションする匿名の相手の、ということになる。でも、「本当の」かどうか、誰が決めるの?たぶんこの場合は被告自身なんだろう。ではなぜ被告は日々交わすことばを「本当の言葉」と思えなかったんだろう?とうかどうして被告がそう思ってたってわかるの?聞いたの?聞かなくても資料を読めばわかるってことかもしれないけど、被告が判断する「本当」が他の人にとっても「本当」である保証とかってあるの?
別にちゃぶ台返しをしたいわけじゃなくて、要するに、私がわからないのは、誰が何をどう言ってくれたら「本当の言葉」ってことになるのか、ということだ。そしてそれが「本当」かどうか誰が判断するのか、さらにいえば、「本当の言葉」が語られると誰にどんないいことがあるのか、ということもわからない。
一応、ヒントはまったくないわけじゃない。こうもある。
あれから3年になる。若年労働問題はもはや過ぎ去ったトピックとなった。言論メディアには君の願った「本心」は見当たらない。言葉以前のレベルで影響力を行使したり、自分だけは安全な場所に身を置きながら社会について偉そうに語ったりする、卑怯な世渡りが蔓延している。



