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「影踏み」論法と名づけてみる

小ネタ。「ダメな議論」のひとつに、「○○だとすれば問題」という論法がある。典型的には、「○○という状態がもし仮にあるのだとすれば、それは問題である」といったかたちで使われる。ここでのポイントは「だとすれば」という部分だ。批判する対象を具体的に指摘するのではなく、批判に都合がよいようなものを勝手に想定して、それに対して批判するわけだ。

当然、その批判を向けられた側は、それは実像ではない、認識の誤りがある、と反論したいところだろうが、ことはそう簡単ではない。批判が名目上向けられているのは、現実にある誰かや何かではなく、「だとすれば」という限定がついた、どこにもない虚像だからだ。しかも批判されてしかるべき悪いものに見えるようつくりあげられたイメージだから、正面きって反論しようとすれば、悪を擁護している、あるいは自身がその批判に該当する悪であると認めたかのようにみえてしまうおそれがある。

また、あくまで「もし〜だとすれば」という仮定の話になっているから、それがまったく的外れな批判であったとしても、批判者は恥をかかずにすむ。相手を直接批判していないから、ぎりぎりのところで角も立たない。しかし、批判されたという事実と、批判された対象に対する、「なんとなく問題がありそうな印象」は残る。はっきりとした実体がないから、こうして植え付けられた印象を打ち消すのはかえって難しい。初めからこれを狙っているわけで、巧みなやり方といえばその通りだが、やはり姑息という印象を免れない。

こうした手法を、仮に「影踏み論法」とでも名づけておく。本体ではなく影を踏んづけて、「踏んだぞ!」と叫ぶわけだ。これは特に政治家が得意のようで、国会やらテレビ番組やらで使っているのをよく見かける。もちろん、政治家に限られるものでもない。

まあ、やられた側も、「あれは自分のことじゃない」と言い逃れしようと思えばできるし、そうしてる人もいるように見受ける。「○○とすれば」の「○○」にはあたらない、というわけだ。結果としては、激論を交わしたとかそういう印象が形成されるんだろう。もし批判する側される側が互いにそこまで見切って暗黙の了解の下にやってるのだとしたら、さらに「悪質」だ。八百長、とまではいわないが、ガチ勝負で互いに深手を負うのを避ける「知恵」、というにはちょっとずるすぎるように思う。

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