震災以降、左派の言論はボロボロと言っていい。
特に自民党の快勝以降は、左派が存在感を出したくて必死になって、原発関連などで中身の無い過激な言論を繰り出しては、周囲を呆れさせているというのが現状だ。
僕はこの嫌韓デモ規制に対する要請も、そうした左派的言論のボロの1つであると考えている。
僕は一切、嫌韓デモを擁護するつもりはない。デモとは言っても、彼らはなにか社会的な問題を提起するでもなく、デモ行進という表象的な部分のみを利用して、四方八方に悪意をまき散らしながらぶらぶらしているだけにすぎない。
ましてやコラムニストの小田嶋隆が批判(*2)している通り、嫌韓デモの目的は嫌がらせであり、日本の国益を毀損する反日的行為に他ならない。
だからこそ、有田議員やデモ規制に署名する人たちは、嫌韓デモを潰そうと動いているのだろう。
しかし、本当にそれでいいのだろうか?
数年前までの左派的言論の場であれば、こうした不快な言論を国家権力によって排除しようという人たちが現れた時には、必ずどこかの弁護士が言ったとされる「あなたの意見に私は全力で反対する。しかしあなたがそれを言う権利は全力で守る」という言葉が、テンプレのように流れてきたものである。
一方で今回の署名や要請はなんだ?
他人の言論が気に食わないからといって、公安という国家権力に対して言論の自由への介入を許そうというのか?
また、もし左派がそれを許したとして、公安が果たして嫌韓デモだけに権力行使を行い、左派のデモは見逃してくれるとでも思っているのだろうか?
嫌韓デモでアホタレが「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」などというクソのようなプラカードを掲げていたが、公安がデモに介入すれば「良いデモも 悪いデモも どちらも潰せ」になることは目に見えているではないか。
また「ヘイトスピーチだから排除しろ」と言っても、ヘイトとされる範囲は決して明白ではない。現代美術家である会田誠の展示会で、ある作品が女性へのヘイト表現だとして一部のフェミニストから排除させられかけたように、ヘイト排除をきっかけに多くの表現が巻き込まれて規制対象になっていく可能性がある。
国家権力に規制を許せば、恣意的に様々な表現を規制して文化を荒廃させていく可能性は極めて高い。デモ規制に署名している人たちは、よもや国家権力の恣意性という、私たちが自由であるために憂慮するべき事項の初歩の初歩すら、震災のショックで忘れてしまったのか?
ヘイトスピーチを排除するのは国家権力の仕事ではなく、国民の仕事である。
国民がそのまっとうな言論をもって、恥ずべきヘイトスピーチを口にする人たちを地道に根気よく批判し、力を失わせて行くしか無いのである。
自由を求める道に近道などないのだ。
*1:有田議員 署名集まり公安委員会に嫌韓デモ規制を要請(アメーバニュース)
*2:浮世の義理はヘイトデモより強し(日経ビジネスオンライン)
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プロフィール

1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。
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