- 2013年03月29日 12:00
アフリカと共産圏
先日、このエントリー を書いたら、とある有識者から「アフリカの国の中には、1970-80年代にソ連や中国と近かった国が結構あって、少し高齢の人と話しているとロシア語や中国語が上手い人がいる」という指摘がありました。その通りなのです。今となってはあまり振り返られることが少ないのですけど、アフリカを見ていく上ではとても重要なポイントです。以下は、比較的フランス語圏に偏った内容になりますけど、私の知り得ることを書いておきます。
アフリカには、社会主義政策を採用した国がありました。資本主義ではなく、集団や家族を中心とした管理型社会とでも呼ぶべきと言っていいと思います。有名なのは、タンザニアのユリウス・ニエレレの下でのウジャマー社会主義みたいなものです。タンザニアは、チリで学ぶタンザン鉄道の建設等に中国が深く関与し、中国とは緊密な関係を持っていました。
その他にも歴史的に宗主国フランスと対立的になってしまったため、共産圏に近寄らざるを得なかったギニアみたいな国もありますし、その他、色々な事情からマダガスカル、ブルキナ・ファソ、マリ、コンゴ共和国、ベナン等、かなり多くの国が共産圏と近い関係にありました。その他にもエジプト、アルジェリア、エチオピア、アンゴラ、モザンビークなんかも、歴史のいずれかのタイミングで社会主義政策を取り、共産圏との関係を強化していました。
逆に反共政権は欧米諸国から優遇されていました。ザイールのモブツ・セセセコなんてのは独裁政権の最たるものでしたが、反共の一点を以て欧米諸国の寵児だったこともありました。これはイランのパフレヴィー国王、フィリピンのマルコス政権なんかも同じですね。そういう親共、反共のオセロゲームが非常に活発に行われたのがアフリカだったと言っていいと思います。
かなりのアフリカ諸国が社会主義に傾いた理由としては、稚拙な見方になりますが、(1)西欧資本主義諸国への反発とアフリカの独立性を強く訴えるアンチテーゼとして共産圏があった、(2)いまだ発展段階が高くないアフリカにおいて、社会主義的な集団主義の考え方が馴染むように見えた、(3)政治体制として一党独裁の形態が心地よかった、というようなことがあると思います。(1)については例えばガーナのエンクルマ大統領の汎アフリカ主義なんかとも繋がるところがあるでしょう。(2)については、上手く説明できないのですが、農村型社会の中でむき出しの自由主義経済が非現実的に見えるというのは、昔住んでいた私にはよく分かります。(3)については、社会主義の原因というよりは結果なんでしょう。
その結果として、実は冷戦の終了の風がもっとも吹き荒れた地域の一つとしてアフリカがあります。1980年代後半から1990年代前半には、社会主義と一党独裁の政権がバタバタと倒れていっています。フランス語圏については、1990年にミッテラン大統領が表明した「ラ・ボール宣言」というのが決定的でした。アフリカに民主主義、自由主義の風を吹かせることを高らかに謳ったものでして、これがフランス語圏アフリカにおける転換期になっています。
ちなみに、そういう転換期の中で私が印象的なのが、ベナンのマティウ・ケレクー、コンゴ共のドゥニ・サスー・ンゲッソー、マダガスカルのディディエ・ラツィラカといった大統領です。これらの大統領は、冷戦終了の時期にすべて大統領選挙で負けてしまいます。ただ、そこで取って代わった大統領は経済、社会、政治において上手く回して行くことが出来なかったですね。結局、5年くらいの期間を経て、これらの元大統領はまた選挙に勝って大統領に復帰します。もうそこには社会主義の色はありませんでした。
ゴチャゴチャ書きましたけど、アフリカというのはかつて親共、反共のオセロゲームが激しく行われた地域であって、その中でソ連、中国との関係を作っていた国がかなりあります。その繋がりというのは、日本から見ているとなかなか分かりませんが、今でもその遺産というのは強く残っています。今は中国のアフリカ進出が目立ちますが、それは全くの白地に突撃していっているのではなく、かなり古くから培ってきたものの上に乗っているということなんですね。



