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伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない

 最近、ネットでも「四十歳になった」「健康が気になるようになった」的な文章を目にするようになった。私自身がそういう話題を気にするようになっただけなのか、それとも、黎明期からネットをやっている連中がだいたいそれぐらいの年齢層なのか。

 そういえば、ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法の著者・天真爛漫なキャラが売り物のphaさんまで、『病気と健康の話ばかりする中年にはなりたくなかった』という記事をアップロードしていた。そこに群がるはてなブックマークのコメントが、これまた歳を感じさせる。

 平均余命まで健康を保ちたいなら、三十代〜四十代からの健康維持は必須条件だろうし、これぐらいの歳になると身体の衰えが気になってくる。集中力や記憶力に陰りがみられるようになり、徹夜なんてやろうものなら体調を戻すのに数日かかる。親が病院の世話になりはじめる。だから、三十代の途中から健康不安が首をもたげるのは自然なことだと思う。「今、倒れるわけにはいかない」――そう思って、たいていの人は身体に気をつけはじめる頃だ。

思春期が終わったら、いきなり人生の後半戦が始まっていた

 健康管理を話題にしはじめるのは、人生のフェーズが切り替わった証かもしれない。

 身体の衰えを感じるのは、生物としての盛りを過ぎているということだ。人生を一日に喩えるなら、もう、太陽は正午を過ぎた。まだまだ午後二時ぐらいの太陽で、仕事によっては、これからが一番脂の乗った季節かもしれない。しかし生物としては下り坂にさしかかっている。

 そして「今、倒れるわけにはいかない」という思いは、既になんらかの立場や責任を背負っていることを示唆している。「今、倒れるわけにはいかない」人は、もう、何かを引き受けている人だ。取り組んでいるプロジェクト、養っている家族、参加しているコミュニティ……埋め合わせの可否には差はあるにせよ、なにかしら、今、倒れたら迷惑をかける人がいるような“事情”がある。

 ニートキャラのphaさんだって、実質的には幾つものプロジェクトに取り組み、新しいライフスタイルの提案に取り組んでおられるわけで、「今、倒れるわけにはいかない」。ニートというと“アイデンティティの定まらないモラトリアムの権化”みたいに思うかもしれないが、ことphaさんに関する限り、彼は「ニートキャラで売る人」としてアイデンティティを決め撃ちしている人であり、「新しいライフスタイルを提案する人」という立場からお仕事しているのである。

 ともあれ、不惑が迫ってくるにつれて、冗談抜きで人生の後半戦っぽさが感じられるようになってきた。同世代諸氏もきっと同じだろう。思春期の延長がいわれ、平均余命も伸び、若作りアイテムが町には溢れている。でも、そんなの関係ねぇ。思春期が延びた伸びたと言うけれど、人生の後半戦が先送りされたわけでも、生物としての加齢が伸びたわけでもない。老いているのだ。立場や責任を負わずにいられないのだ。自分自身のためにも周囲の人達のためにも、綱渡りのように、そろそろと生きていく必要がある。

 思春期の自己実現狙いのような「攻勢」に打って出る余地はほとんど無くて、手持ちのリソースを駆使した「守勢」や「後退戦」がいつまでも続いていく。念のため断っておくと、「守勢」や「後退戦」が悪いわけではない。守るべき陣地があるのはそう悪いことじゃないし、後退戦で掬われるもの・養われるものだってあると思う*1。第一、歳を弁えない無茶な「攻勢」なんてやったら、たちまち身体が故障する。だから「守勢」や「後退戦」を恥じてもしようがない。仮にもし、「守勢」や「後退戦」を恥じるべき時機があるとするなら、人生のもっと早い段階だと思う。

やっぱり「人生の正午は30歳」じゃないか

 もともと私は「人生の正午は30歳」仮説をずっと信じ続けてきた。生理学で習った知識、古典作品で語られる老い、そして若作りうつ病のような事例を見ている限り、若さとは、とても儚いものだと思わずにいられなかったからだ。

 で、実際に不惑に手が届きそうな歳になってみると、「人生の正午は30歳」仮説は確信に変わり、自分の命が陰っていくのを意識するようにもなった。繰り返すが、命が陰りゆくこと自体はいけないとは思わない。自然の摂理だし、その陰りゆく命を使って、残った時間をどう生きるのかが問題だ。

 ただ、メディアで語られているほどには若さは延長できないし、「四十代女子」なんて狂気の沙汰に近いとは思う。六十歳を人生の区切りに設定した昔の人は正しかった。三十歳は人生の1/2、四十歳は人生の2/3と勘定すべきであって、四十歳になったら、人生の砂時計は残り二十年程度と覚悟すべきなんだろう。

 そもそも、還暦まで生きていられる保証すらない。学友や趣味仲間が、一人また一人と死んでいく。今日、生きていることを喜ぼう。命の蝋燭がいつ消えても悔いが無いよう、毎日を誠実に生きよう。自分だって、明日の朝には冷たくなっているかもしれないから。

 平均余命という、味気ない統計データに惑わされてはいけない。平均余命80年とは、「人間としての正規のコンディションが80歳まで延長した」という意味ではなく「60歳になってからの余生が20年増えた」と捉えるべき数字だ。身体が衰え始める時期も、脳が保守化していく時期も、実際にはたいして延長していない。三十歳になれば白髪が目立ち始めるし、やがて男女ともに生殖能力が衰えてゆくのが定めだ――ここのところを勘違いしたまま年を取って困っている人が、今日日は多すぎる。

 “いつまでも あると思うな親と金 そして若さ。”

 生物としての人間の加齢は、社会的加齢を引き延ばしたがる個人の欲望を待ってはくれない。「個人としての正午は30歳」。この定理を踏まえたライフスタイルを、もう一度、21世紀風に、再設計すべき時期が来ていると思う。

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