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はじまりは兄との歪んだ関係 他者からの承認を求めて行き着いたのは・・・ 千穂の場合【生きづらさを感じる人々41】

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「父親と連絡を取るのも禁止」母親との関係も負担に

一方、親子関係も千穂にとっては安心できるものではなかった。父親とは、両親の離婚後、別々に暮らしている。

「父親は自営業でしたが、経済状況が変わって、母に家計の負担がかかりました。理由ははっきりとはわからないですが、物心ついたときから家庭内別居でした。母のことを憎んでいるようでした」

離婚後、母親と同居することになったが、千穂は好かれていないように感じている。

「一緒に寝ていると、柱を蹴ったり、威嚇されたりします。父親に対する不快感、憎しみが現れています。それでも母は、子ども3人をどうにか育てたい気持ちが強いんですね。3人ともに受験を頑張って私立の学校に行かせました。休みの日はどこかへ連れて行ってくれました。タフではあるんですが、毎日のように深夜まで飲酒していました。アルコール依存症ではないかと思うほどです」

父と会うことはあったが、母には内緒だったという。

「母からは会うのも、連絡を取るのも禁止されていましたが、両親が離婚した後でも父とは会っていました。知られるとナーバスになりますし、〝会ってないよね?〟と聞かれることもあります。母は、父のことが理解できないんです」

大学卒業後、ADHDの診断を受ける

両親の不仲はあったものの、千穂の自覚としては、兄からの暴力が最も苦痛だった。こうした経験を踏まえつつ、19年にADHD(注意欠陥・多動症)と診断された。

「学生時代は優等生で通っていましたし、何も問題がありませんでした。でも、大学で環境が変わりました。何もできなくなったんです。適応障害かなと思ったんですが、簡単なことができなくなったんです。指示が入ってこない。大学を卒業して、兄に〝病気なんじゃないの?〟と言われて、精神科に行ったんです。そこで心理検査をしたんです。すると、活動意欲は高いが、なかなかうまくいなないし、辛い思いをしたり、思い切ったことをするかもしれないとのことでした。自分自身を定義するものがなかったので、(診断結果は)よかったです。自分は何者かを知りたかったんで」

就職活動の中で、なかなか条件のあう仕事が見つからなかった。

「偏差値の高い大学に自己推薦で進学したんですが、発達障害の特性もあり、学業成績の低い問題児となったトラウマを引きずっています。留年し、就職にも失敗しました。それまでは優等生であることで周囲から信頼され、人間関係を結んでいたので、落差にショックを受けました。価値のない人間だと思う時があり、自意識や承認欲求の強さに振り回されて、人格や気持ちが安定しませんでした」

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