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「#教師のバトン」の、その先へ――教師がものを言える存在となるために必要なこと/『#教師のバトン とはなんだったのか』著者福嶋尚子氏インタビュー - SYNODOS

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ものを言うのは教師の権利であり義務

――何を優先するか、の意見の中でも、「職員会議が長すぎる」「会議の分子どもと向き合ったほうがいい」といった、職員会議に否定的な投稿も見られますよね。

実際、先生たちが職員会議を敬遠したがるのもよく分かるのです。さきほど説明したように、いまや職員会議は「このような指針ですのでこうしてください」といった校長の決定の報告の場で、教師は賛成反対について挙手による意思表示すらできません。だからものを言っても無駄、別のことをしていたほうがよっぽどいい、ということになってしまう。

これは先生たちにとっても不幸ですが、校長先生にとっても不幸なことです。なにか判断するとき、学校現場の最前線にいる先生たちの意見を参考にすることすらできない。そして言うまでもなく、そうした学校で教育を受ける子どもたちにとっても不幸です。本来、その学校独自の教育実践をどのようにつくっていくか、各教師が参加してつくっていく話し合いの場が職員会議だったのです。それが骨抜きにされ、教育の学校自治は弱められてしまいました。

職員室は先生たちが長く過ごす場です。そこでものを言えなければ、他では言えるはずもありません。2014年以前の職員会議とは異なり、手を挙げる、一言何かを言うことが一票になる、そうした感覚は、いまや学校現場から失われてきています。

ですが、こうした「ものを言う」、つまり教師自身が自分の意思や判断を示していくことなしに、教師の働き方をめぐる問題のよりよい進展は難しいと思います。先の保護者対応や採点の例で、もし先生たちの判断や意思の主張なしに業務の切り分けや外部化が進むとします。それが、「教育委員会から言われたから」「校長に命じられたから」という理由だけで行われるとしたら、繰り返すように教師の職業の根幹が揺らぎかねません。そして、日本の教師たちが保護者や子どもたち、社会とつくってきた信頼が失われかねないのではないか、そのような危険性さえ感じています。だからこそ、働き方改革の中、そして教育実践や政策全般について、教師がものを言っていくことが非常に重要なのです。このことを、私は本書で「ものを言うのは教師の権利であり義務」として論じています。

教師がすべて背負うのではなく、条件整備の訴え手に

――ここまでのお話で、突破口としての「#教師のバトン」に一定の評価をしつつ、そこからの動きの危うさについても触れてきました。ご懸念を踏まえつつ、今後どのような動きを考えていくべきなのでしょうか?

まず、「#教師のバトン」を通じて味方を増やしていくことです。現在主流である学校の過酷な実態の訴えは社会的に大きな効果がありましたが、今後を考えるとさらなる賛同を得ていくには、現在のままでは困難もあるように思います。

そうではなく、教師という職業は子どもの権利の保障主体であり、現在の自分たちの長時間労働が常態化した働き方では、子どもの教育によくない影響が出てしまう、ということをしっかり主張していくべきだと思います。教育を受ける権利は、憲法上誰も否定できないものです。そういう立場から自分たちの主張を捉え直し、訴えていくということは重要ですし、これからすぐにでもすべきでしょう。

――ただ、これまで学校が「子どものためにできることを最大限やっていこう」という指針だったがゆえに、様々な仕事がどんどん付け加えられていき、教師の長時間労働が進んでしまったという背景がありますよね。それに対して、「子どものために長時間労働をやめよう」という議論は、大きな転換です。これをどういう観点から考えるべきなのでしょうか?

そもそも、学校が教育という事業を自分たちだけで背負っていると思っている現状自体を鑑みることです。教育の環境を整えるのは行政の役割ですが、目下それが不十分な現状があり、学校がそれを必死にカバーしている。子どものために必要なことがあり、時間や人が足りないなら、学校・教師は自らを犠牲にして対応するのではなく、そのための条件整備要求を行っていくのが義務だ――そう考えていくべきです。

これまで教育法学の分野では、教育権の中身として教育条件整備の要求がなかなか具体化されてきませんでした。ですが現在のようにリソースが足りない中、子どもの公教育を受ける権利、子どもの必要性を充足するために、先生たちが頑張るだけでは破綻します。そうではなく、「こういう環境や設備・人員が必要」「こういった教育実践のためにこういう仕組みが必要で、現在こういう枷(かせ)がある」といったことを声をあげて主張し、それを国や自治体に要求していくことが必要です。

その上で、何を教師の業務として担うべきか、また外部化すべきかという議論がでてきます。その時、忙しいからという観点だけで人に渡すのではなく、「ここは任せたほうが合理的であり子どものためにもなる」ということも同時に見極め、選択していくことが必要です。先程は採点の例を挙げましたが、「選択問題で誰が採点しても変わらないなら外注する」と判断するのは合理的でしょう。他方、記述問題や作文の採点といった子ども理解や学級経営・授業等に幅広く関わる事項はそう簡単に任せるべきではない、という考えも出てきます。そうすると、採点の時間が確保できないなら、その他の業務をどうするか、そうした取捨選択の判断が行われることになります。

――その取捨選択を行うのは、先生たちなのでしょうか?

はい、そうあるべきです。学校現場には、細分化された、名前もないような職務が山程あります。それを「これは必要/不要」「他のやり方をすれば楽になる」「これは任せてもいい」と判断するのは、現場にしかできません。その判断を理論立てして、後押ししていくことは教育学が担うべきことで、私たちもできるだけのことをしたいですが。

お話ししてきたように、今の学校現場で「ものを言う」というのは難しいことですし、制度上も声を封じる方向に進んできたことは確かです。ですがその結果、閉塞した学校の状況が生まれてしまっている。「#教師のバトン」はそれを打開する大きなきっかけと言えますが、そこからさらに、子どもの教育を受ける権利の保障主体としての教師のあり方を取り戻すため、教師が声をあげ、学校現場がより良い方向に進んでいくことを願っています。

プロフィール

福嶋尚子教育行政学・教育法学

千葉工業大学工学部教育センター准教授。専門は教育行政学・教育法学。著書に『占領期日本における学校評価政策に関する研究』(風間書房)、共著に『隠れ教育費』(太郎次郎社エディタス)など。

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