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「#教師のバトン」の、その先へ――教師がものを言える存在となるために必要なこと/『#教師のバトン とはなんだったのか』著者福嶋尚子氏インタビュー - SYNODOS

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#教師のバトン とはなんだったのか: 教師の発信と学校の未来

内田良, 斉藤ひでみ, 嶋崎量, 福嶋尚子
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2021年3月26日、文部科学省が教員の仕事の魅力を現場から発信してほしいと呼びかけて始まった「#教師のバトン」プロジェクト。その当初から「現場の疲弊しきった姿が文科省にはみえていない」「こんなに厳しい状況にある」といった批判が相次ぎ、プロジェクトは炎上、厳しい学校現場を象徴するものとして幅広くメディアに取り上げられることになった。

それから一年、現在もこのハッシュタグを用いた投稿は続き、日々様々な事例や悲痛な声が拡がっている。こうした「#教師のバトン」というムーブメントをどう捉えるべきか、そして教師の働き方の今後をどのように考えるべきか、『#教師のバトン とはなんだったのか』著者のひとりである、教育行政学者の福嶋尚子氏にお話を伺った(聞き手・構成/大竹裕章(岩波書店))。

ものを言う突破口としての「#教師のバトン」

――文科省による官製ハッシュタグ「#教師のバトン」 プロジェクトから一年、このタグによる先生たちの発信は今も活発に続いています。このムーブメントそのものをどう評価していますか?

当初、「魅力を発信する」という趣旨は、文科省らしい手法だと思いました。他方、自由にものを言える状況からは程遠い学校現場から、これだけたくさんの声があがったことには率直に驚きました。

私の周囲には多くの先生たちがいて、みなさんしっかりと思考する人ばかりです。ですが、教師として自分の考えを外に出すのが難しいのは、どなたも共通しています。また私自身、大学教員として学生たちと接していますが、かれらがこれまで教わってきた先生たちも、自分の意見を主張していくという像からは遠いようです。社会全体としてみると、教師は公になにかを訴えたり、ものを言ったりする存在とみなされてこなかったし、教師自身も声をあげにくかったのです。

こうした、教師が「ものを言う」のが難しいことには、制度的な背景があります。詳しくは本書で私が執筆した第4章をお読みいただきたいですが、1998年の中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」から学校経営改革の波が生まれます。そして2000年には学校教育法施行規則の改正で、職員会議が「校長の職務の円滑な執行に資するため」に校長が「主宰する」もの、つまり校長が決めたことを伝達する機関だと定められます。それまで話し合って相互の意思疎通のうえすすめるものだった職員会議が、骨抜きにされたのです。さらに2014年の文科省の通知では、「挙手や投票等」を含め、教職員が職員会議の内容の決定に関わることは「不適切であり、行うべきでない」とされます。教師がそこで、意思表示を行って校長の決定に影響を及ぼすことすら不適当とされたわけです。

また、教師は政治的な発言をしてはいけない、といった風潮もあります。児童生徒に対する特定の政党の支持・不支持をさせるような政治的行為を先導し、公立学校教員に国家公務員並みの政治的行為の制限を課す等を定めた、いわゆる「中立二法」の影響で、教師自身もそう考えてしまっているようです。ただ、一市民として発言すること自体にはなんら問題ないのですが。

こうした状況がありますから、教師は自分の仕事に疑問をもったり、苦しい状況におかれたりしても、これまでは何も言うことができなかった。そうした、ものを言えない学校の状況を考えると、先生たちが不満を形に出したことには大きな驚きがありました。封じられてきた先生たちの声を形に出した点で、「#教師のバトン」というムーブメントには一定の意義があったものと思います。それが、文科省の意図していたところかどうかは別として(笑)。

味方を増やしていくための次の一手

ただ、この動きの今後については、評価とともに留保が必要だと思っています。

日々流れている「#教師のバトン」の投稿を見ていくと、その大半は「自分たちはこれだけつらい状況に置かれている」ということへの訴えです。まず、問題点を訴える、愚痴を言うこと自体はとても生産的で、今の学校現場の具体的な状況が拡がり、広く知られるようになったことに大きな価値があることは間違いありません。

ただ、そこから教師コミュニティの外部にどれほど共感を広げてもらえるか、私自身は心配しています。実際このハッシュタグを追うと、保護者アカウントと教師アカウントがやりあっている姿も時折目にします。「学校現場にいる自分たちはこんなに大変だ」という内容が中心だと、どうしても限界があるのでしょう。ここからはまた別の訴え方が必要ではないかと思います。

教師という仕事は、子どもの権利の保障主体であり、公教育の担い手です。そこに、過重なまでの仕事が押し付けられ、長時間労働が常態化し、現場は疲弊しきっている。そうした、子どもの教育権の担い手としての役割が十全にできていない。こうした側面に焦点を当て、保護者や市民にも共感を広げていく方策を考えるべきではないでしょうか。

不安を抱える教員志望の学生たち

――福嶋先生は教職に関わる授業も担当されています。これから教師をめざす学生たちは「#教師のバトン」をどう受け止めているのでしょうか?

私の知る範囲では、このハッシュタグに関心を持っていた学生はほとんどいなかったようです。授業で少し取り上げたところ、関心を持ってちらほら見たという人が出始めた、というところです。概して「教員はブラック」「教師としてやっていくのは大変」ということを不安に感じている学生が多く、その一つの情報として受け取っているようですね。

こうしたネガティブなものを含めて、学生が社会の情報を受け取って自分で考えるのはまず大事なことです。ただ、その方向性がかなり限定的であることは気になっています。というのは、どの職業にも固有の大変さや重要さがあり、教師の場合、子どもの権利の保障主体、公教育の担い手であることが職業上重要になってきます。そうした「重み」についても受け取って考えて欲しいのですが、教師を志望する学生が、そうした教育者としての重さではなく、労働条件の問題だけに悩んでいる状況に、私自身は懸念を持っています。

もちろん、大前提として今の学校現場の多忙さや超過勤務はまずいもので、是正しないといけません。それに働き始める前の学生が、自分の目指す職業の過酷さが報じられているのをみたら、不安になるのも当然のことです。そうなのですが、どのような教師になるか、教師としてやっていけるかと考えるときに、「子どもの成長に関われるのか」「子どもの権利の担い手としての役割を果たせるのか」ということにほとんど話がいかず、労働条件だけを心配せざるをえないような状況は、教育界にとって決してよいことではないと感じています。

――「授業の重視」の裏にある「教職の専門性」の軽視

――学生が不安になる心情的はよく分かりますし、一方で「問題になるのがそこだけでよいのか」という懸念もあるということですね。ただ、おっしゃるような「子どもの権利の保障主体」といった教師の職業的な重みや意義を、大学ではどのように教えているのでしょうか?

実は、そういったことが十分教えられていないという制度上の問題も大きいのです。現在の教職課程では基本的に、各教科の専門性、つまり授業を行っていくための力に比重を置いたカリキュラムになっています。他方、教科・授業以外に、保護者との関わり(保護者対応)、子ども理解、生徒指導、等々の教職の専門性は充実させにくい。

それと同時に、教師という職業固有の課題についても十分触れられていません。教師のやりがいや魅力については各自治体の教育委員会から発信されますし、大学の授業でも扱われます。ですが、「教師という仕事の困難さ」「子どもと向き合うことの難しさ」といった、子ども理解や教師という職業そのものに関わる事項については、率直に言って情報発信や教職教育が不十分だと思います。

結果として教職についてからも、教科・授業に力点が強くおかれるようになっています。「授業さえうまくできればよい先生である」という言説があり、それが信じられているかのようですし、この考えに沿って、授業以外の仕事を外部化していこうとする政策の傾向があるのです。一例を挙げると、テストの採点を外部化して、保護者・業者に委託するという動きはすでに存在します。採点は授業そのものではなく、忙しい中で教師が授業に集中するためには、採点は誰かに任せたほうが楽になる、という発想です。小学校では市販テストの実施から採点までの外部化は、すでに相当進んでいます。

ですが、採点は子どもの成績評価に関わる非常な重要な役割です。その子がどう成長して、どういう理解でいたり、あるいは何につまずいているのかを推し量っていくという仕事を、ばっさりと切り離していいのでしょうか。それは教育権の核となる部分を外に委ねてしまうことになりかねません。授業だけを過度に重視することで、こうしたひずみが生まれてしまうことを心配しています

――「#教師のバトン」 ではたしかに「授業準備もできない、授業に集中させてほしい」という投稿が散見されます。多忙化のなか何を優先すべきか、という議論は当然出てきますが、その過程で、外に委ねるべきでないものまで外部化してしまう恐れがあるということでしょうか。

その傾向があるのではないか、と懸念しています。

私は、「教科の専門性」と同時に「教職の専門性」も重要だと考えていますが、今は前者に力点が置かれすぎているように思います。子どもの人権とはなにか、子どもとどのように考えて向き合うのか、そういったことに対する注意が、大学の教職課程の段階から不十分です。結果として、授業や教科のこと以外は余計な仕事だという意識が学生には広がってしまっています。

例えば保護者対応という教師の仕事について、「モンスターペアレントがいたらどうしよう」「夜遅くまで保護者から電話がかかってくる」といった心配が、学生たちの中では先行しています。このそれぞれは教師にとって負担の重い事例ですが、一方で子どもの保護者とコミュニケーションをとって向き合っていくという保護者対応自体は、教師の仕事にとって重要な要素です。これが、「教師にとって不要な仕事」と意識されるようではまずいのです。そもそも、保護者の教育権を組織化したものを行使しているのが公教育であり学校ですから、保護者との関わりを「不要な仕事」と受け取ってしまうのは問題です。

念のため付け加えると、「だから保護者対応を勤務時間外でもやるべき」ということでは全くありません。保護者対応でも、あるいは採点でも、子どもへの関わりという教師の職業の根っこに関わる仕事です。それに対して安易にネガティブなイメージを持たず、切り分けて就業時間の中でどう行うようにしていけるのか、そういう観点で考えることが必要ではないかと思います。

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