- 2022年03月05日 16:47 (配信日時 03月03日 06:00)
プーチンの誤算とディスインフォメーションの限界 - 桒原響子 (日本国際問題研究所研究員)
2/2世論がプーチン批判へと変化
このような世界中の世論の動きが後押しし、国際社会からの対ロシア制裁が大幅に強化されていった。金融面では、欧州連合(EU)などが、プーチン大統領の資産凍結をしたほか、当初、ドイツなどが慎重だった国際銀行間の送金・決済システムであるSWIFT(国際銀行間通信協会)についても、ロシアを排除する制裁に踏み切った。また、EUはEU領空へのロシア航空機の乗り入れ禁止などの追加制裁を科し、さらには、これまで武器輸出を厳格に管理してきたドイツが、ウクライナへの武器供与を決めたのだった。
ロシア国内でも、こうした国際状況を受けて反戦デモが拡大し、これまでに6000人が拘束されるなど、プーチン大統領に対する批判感情が高まっていると伝えられた。ここでも、「ロシアとウクライナは一つ」というプーチン流ディスインフォメーション戦略がブーメラン効果として跳ね返り、「同じ民族なのに、軍事侵略を行うのはおかしい」といった声が湧き上がったのだった。SNSという新しい時代の情報拡散ツールが、世界各国で「ウクライナ支持、ロシア批判」の流れを作り出していったとの見方もできる。
プーチン大統領は、今や核兵器にまで言及し、国際社会を威嚇している。しかし、情報戦に関していえば、プーチン大統領に数々の誤算があり、ロシアはそのディスインフォメーション・キャンペーンにおいて成果を挙げられていないといえよう。
厳しい綱渡りを迫られる中国
今回のロシアによるウクライナ侵略をめぐり、難しい立場に立たされているのが、中国である。中国はかねてより「領土保全」や「内政不干渉」原則を掲げてきた。欧米諸国が中国のウイグル族や香港の民主派弾圧を厳しく非難する際も、内政干渉だとして強く反発してきた。
こうした中国の伝統的な立場に照らすと、中国は、ロシアのウクライナ侵攻には賛成できず、本来はウクライナ側に立ち、ロシア批判に回らなければいけないものだった。その一方で中国は、米国と対立している今日、ロシアとの共闘を重視せざるを得ないという極めて難しい舵取りを迫られている。
具体的には、中国は、「ウクライナ問題には複雑で特殊な歴史的経緯がある」としてロシアに配慮し、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大というロシアの安全保障上の懸念に理解する姿勢を示す一方、国連におけるロシア非難決議に当たっては反対票を投じるのではなく、棄権を選択した。そして3月1日、ウクライナとの協議も行い、「政治的解決の努力を支持する」と伝えている。
日本国内では、今回のロシアによるウクライナへの軍事侵攻に関連し、台湾問題をはじめとする東アジアへの影響が懸念されている。米国が早々とウクライナへの軍派遣を否定し、ロシアが力により隣国を侵略するようなことが許されるならば、中国も台湾に武力侵攻する可能性が一層高まるのではないかという懸念である。
実態はそれほど単純ではなく、中国もロシアのウクライナへの軍事侵攻に賛成の立場を示さず、厳しい綱渡りを余儀なくされているが、同時に中国は、今回の事態を緻密に分析し、将来に備えようとするだろう。その関係で重要な一つの側面が、ディスインフォメーション・キャンペーンである。
中国の情報戦の脅威については、日本においてもよく知られている。中国は、米国をはじめ、ロシアの軍事作戦をよく研究している。また、中国が台湾に対して軍事力を行使しようとする際には、さまざまな情報戦を展開する可能性があり、警戒する必要がある。中国は、今回のロシアのディスインフォメーション・キャンペーンの失敗を材料として、さらに高度な情報戦のあり方を研究してくるとみなくてはならない。
近似する中露のディスインフォメーション
歴史的に見れば、中露は、外交目標達成のためにそれぞれ異なるアプローチをとってきた。ロシアが外国社会を混乱、分断することに重点を置いてきている一方、中国は、外国との経済的結びつきを強めつつ、世界で肯定的な対中認識を醸成する努力を払ってきた。
しかし、新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延以降、両者のディスインフォメーション・キャンペーンの手口はより近似するようになってきているとの指摘がある。中国は、自らのディスインフォメーション・キャンペーンにおいて、最近ではウイルス起源をめぐり米国に責任を負わせる内容の情報や米国内の人種差別問題に対する批判を広く発信するなどしているが、こうしたアプローチに見るように、現在、中露は、西側の民主主義の規範や制度を弱体化させ、民主的な価値を共有する国や地域の結束を弱め、国際社会における米国の影響力を低下させようとすることに共通の意義を見出そうとしている。
今後、中露両国は、ディスインフォメーション・キャンペーンにおいて、互いのプラットフォームやプロパガンダを活用することで、より大きなインパクトを見出そうとすることも考えられる。
中国は今後、ウクライナ侵略に際しロシアが展開してきたディスインフォメーション・キャンペーンの問題点を踏まえ、より巧妙な手口でディスインフォメーション・キャンペーンを展開してくるかもしれない。日本との関係では、中国は、日米離反を狙ったディスインフォメーション・キャンペーンを展開するとみられ、特に米軍基地が集中する沖縄は標的になりやすい。また、沖縄はもともと琉球という独立国であり、清朝との関係が深かったなどといったストーリーも、情報戦の一環として喧伝される恐れがあろう。
日本は、言語の壁が厚く、「ガラパゴス症候群」といわれるほど、外国勢力からのディスインフォメーションの影響を欧米諸国などより受けにくいとされてきた。しかし、今後、技術や手口が高性能化・巧妙化すれば、日本が海外からのディスインフォメーションの大きな影響を受けるようになる可能性は十分に考えられる。さらに、人々がデマや陰謀論を信じやすい心理状態に陥りやすい有事などの危機の際には、ディスインフォメーションがいっそう広まりやすくなるため、情勢や環境の変化には細心の注意を払う必要がある。
日本は情報の安全保障を強化せよ
日本では、安全保障面において情報戦が持つ重要性に対する理解が低いとかねてから指摘されている。国家として重大な情報戦の危機に直面した経験が乏しく、国内では法整備を含めディスインフォメーション対策はほとんど進んでおらず、世界と比較してその遅れは歴然としている。
特に近年、デジタル化が進み、S N Sを駆使した情報戦が大きな力を持つようになったため、欧米諸国を中心にディスインフォメーション対策が急速に進んできている。また、アジアにおいても、台湾は中国からのディスインフォメーション・キャンペーンに対し真剣な取り組みを行なっている。
日本も、ロシアのウクライナ侵略に当たっての情報戦も一つの材料とし、外国勢力からのディスインフォメーションの脅威を他人事として捉えてはならず、早急にその対策に乗り出すべきである。このディスインフォメーション対策は、政府が中心となって進めるべき事案であるが、メディアやプラットフォーム企業、ファクトチェック機関などの民間団体、そして国民一人ひとりの役割があってこそ成立する対策であり、日本全体として取り組まなくては成功しない課題である(その対策のあり方については筆者の連載「ディスインフォメーションの世紀」の過去の記事を参照されたい)。
政府はいま、新たな「国家安全保障戦略」の策定に向けた作業を行なっているが、ディスインフォメーション・キャンペーンへの対策はその戦略の中に盛り込まれなければならない。
日本としては、ロシアに対しては米国などに遠慮することなく、より明確に厳しい姿勢を示し続けていくとともに、言論空間が戦場と化すのがSNS時代の戦争であることを十分に理解し、情報の安全保障に本気で取り組んでいく覚悟を持たなくてはならない。
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