- 2022年03月02日 10:13
軍事的危機と「表現の自由」の価値 - 志田陽子 / 憲法、言論・芸術関連法
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法的な「表現の自由」の筋からは、ある人の発言を「軍事の専門知識もないくせに」と笑う自由も、あるにはある。しかし、「この国がどこに向かってほしいか」という問題について語りあうことは、すべての人に開かれた「自由」であって、軍事的安全保障の専門家にしか語れない問題ではない。願望と意志を語ろうとする人々の発言を、予測の正答率という意味での賢さにおいて評価しマウントする言説は、事柄の理路としてズレているので、気にする必要はないだろう。「自分はこの国に、そしてこの国際社会に、どうあってほしいか」ということを、萎縮することなく率直に、感じた通りに語る自由が、すべての人にある。
もちろん、何が最善か、という意見は、各人で異なるに違いない。その異なる多様な考え方を、下から集約していくのが民主主義である。賢い答(これを言えば世間から「賢い」と評価してもらえそうな答え)がどこかにあると想定して、それを忖度するために探すのは、民主主義本来の形ではなく、また、「民主主義の不可欠の前提」として尊重される「表現の自由」の本来の形でもない。賢さを競う自由は、自己表現の自由の一つの形として文字通り自由ではあるが、しかし民主主義の担い手に本来託されているのは、その自由ではなく、「自分は何を望むか・望まないか」を率直に表現することなのである。
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じつは、「自分は何を望むか・望まないか」を率直に表現することが、案外難しいのである。場合によってはかなりの自己分析や言説分析が必要であることもある。しかし、「死にたくない」「残酷な出来事が続いてほしくない」といった事柄は、私たちにとって、「率直な願望表現」がストレートに浮かぶ事柄だろう。
こうした願望や意志を表現することは、「自由」ではあっても無駄なことで、状況を改善する役には立たない、というべきだろうか。筆者はそうは思わない。言論は完璧ではないが、一定の力を持っている。
「戦争反対を唱えたところで、戦争は起きる時には起きるではないか」とする冷笑は、これまでにも折に触れて繰り返されてきたが、これは誤った議論である。少なくとも、これに追随する指導者や模倣する指導者が出てくることを防ぎ、「結局現実の世界は、やったもの勝ち」というモラル・ハザードの感覚が蔓延することを防ぐ必要があり、そのためには、これが黙認される成り行きを作ってはならない。「黙認しない」という意思表示があらゆる場所から上がることが必要である。
たとえば交通事故は、道路交通法を整備しても、警察が事故防止のキャンペーンや講習会を繰り返し行っても、後を絶たない。しかし、法律や事故防止の呼びかけを無意味だ、不要だと言う人はまずいない。多くの人が、事故に遭遇するまでは自分の身にそれが起きるとは思っておらず、防止ルールの意義を真剣に考えることもないが、当事者として気づいてからでは遅すぎるので、ルールを作っておく。そのことが事故を(完全にゼロにはできないにしても)かなりの程度減らしている、ということは、合意できることだろう。
ここでは、防げなかった少数の特殊例を見てルールや言論の価値を否定することよりも、そのルールや言論が防いできた多数の事柄があることに思いを致すべきである。ルールや言論が完全ではないということに、過度に失望すべきではない。
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SNS上の発言には、「日本も憲法を変えないとウクライナと同じことになる」、という趣旨の議論も散見される。これも不思議な議論である。というのも、日本の憲法のその部分は、2015年以来、実質的にはすでに変わってしまっている。いまさら憲法を変えなくても、集団的自衛権行使を可能とし、軍事的後方支援を可能とした現在の安全保障法制によって、すでに実質的に改変されている。むしろ、国民主権の国で、主権者の意思を問う手続きをスルーした形で、これほどの改変が行われたことのほうが驚くべきことで、今さら「憲法があるせいで手が打てない」という発言がでてくるのは、奇妙な殊勝さではないか。しかしこの奇妙さにこそ、着眼すべきなのである。
「日本の憲法はもはや死文化した」と述べる専門家も出始めてはいるが、憲法を言い訳にして「あれができない、これができない」と言う人々がいるということは、憲法は死んではいないということである。「お題目」と揶揄され、目障りなものとしてではあれ、警告灯として視野の片隅にチラつくので、それを公然と破る行動に出ることはかなり面倒なことなのである(この心理的な面倒くささを解消するために憲法の明文を改正するべきか、この警告灯を視野の中に置いておくべきかについては、最終的には主権者が決定することであり、本稿ではこの問題については立ち入らない。)
法に代表される「言葉」の力は、無力なように見えて、無力ではない。指導者にとって、支持者を得る可能性のない行動は、避けるべき行動となる。この支持は、法に沿っているほうが、つまり「法にこう書いてある」と言えるほうが、得やすい。指導者層が無軌道な行動に走るとき、その多くは、自分の周囲に追従者・イエスマンしかいなくなってしまい、自分の考えを相対化することができなくなったときに起きる。「独裁」が警戒され、権力の分散・分立が図られ、民主主義がさまざまな欠点を抱えながらも支持されるのは、この成り行きを防ぐためである。
こう考えてみると、ロシア・ウクライナ間の現象について私たちが学ぶべきことは、「強大な軍備をもたないとウクライナと同じことになる」という焦燥感より、「民主主義・立憲主義を本当に死なせてしまったら、このような暴走が容易に起こりうる」という戦慄である。ここで、民主主義・立憲主義を本当に死なせるか、無力だと揶揄されつつも生かしていくかは、人々(私たち)の意志と、それを表明する言論活動にかかっている。
ただしここで、人々の言説が社会的合意となり指導者にとって無視できないものになると言えるのは、自由な言論が確保されている社会のみである。何かを言わされている社会、願望や意志を言えない社会、為政者を忖度する社会では、社会の表層に出てきた言説は、為政者を心理的に拘束する力を持ちえないのである。
自分が属する国や社会がどこに向かってほしいか、どこに向かってほしくないかを素直に表現することは、専門家に「お任せ」はできない事柄である。ここでみんなが、自分が望む方角をもたず、《賢い様子見》でフリーズしてしまったら、今回の出来事も後々、「仕方なかった歴史だった、現実とはこの程度のものだ」で賢くやり過ごされて、その後の歴史も同じことを繰り返すことになる。
今すぐ最善の解決を得られないにしても、自分たちが嫌悪する方角と望む方角を明確にすることで、せめて、数十年後、「こんな許されない珍事が起きた、しかしこんなことはやっぱり許されない出来事だった」、と言える歴史を作っておく責任が、わたしたち同時代人にあるのではないか。
参考・各種団体声明
以下、2022年2月28日時点で筆者がアクセスできた大学・弁護士会などのもの
弁護士会
法の支配を蹂躙するロシアのウクライナ侵攻を非難する会長談話
2022年02月28日 東京弁護士会
https://www.toben.or.jp/message/seimei/post-643.html
ロシア連邦のウクライナ侵攻に関する会長談話
2022年(令和4年)2月26日 兵庫県弁護士会
https://www.hyo goben.or.jp/news/iken/13226/
「ロシア連邦のウクライナに対する軍事侵攻に反対する会長談話」
2022年(令和4年)2月28日 大阪弁護士会
https://www.osakaben.or.jp/speak/view.php?id=275
大学
ロシアによるウクライナ侵攻について(藤井総長メッセージ)
令和4年(2022年)2月25日 東京大学総長 藤井輝夫
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z1304_00228.html
平和を希求する広島大学は、ロシアのウクライナ侵攻に強く抗議します
令和4年(2022年)2月25日 広島大学長 越智光夫
https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/69486
ロシアのウクライナ侵攻について
2022年2月27日 新潟県立大学学長 若杉隆平
https://www.unii.ac.jp/news/21048/
ロシアのウクライナ侵攻と核リスク
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)見解 2022年2月25日
https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/eyes/no22-jp
ロシアのウクライナ侵攻について
2022年2月28日 東京農業大学学長 江口文陽
https://www.nodai.ac.jp/news/article/27645/
学長声明:軍事侵攻に反対する
2022年2月28日 国際基督教大学・学長 岩切正一郎
https://www.icu.ac.jp/news/2202280900.html?fbclid=IwAR0v0tVr5P_GnCmkU3IdfDOto1BTADymKHXh4bUG4f8LCiSB5AiyI_fFw6w
市民団体
ロシアのウクライナへの軍事侵攻に抗議し中止を求めます
2022年2月25日 日本婦人団体連合会 会長 柴田真佐子
http://fudanren.biz/danwa.html
この記事は、Yahoo!個人オーサ―論説「緊迫する国際情勢と「表現の自由」の価値―《予測精度を競う表現》と《意志を伝える表現》の違い」をもとに修正を加えたものです。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shidayoko/20220225-00283857?fbclid=IwAR3T0NKiSB0nX_sArUSp2_nTDaYUW7eViWLzLpFSVJ–iZPLCsM_-S36QKs
プロフィール

志田陽子憲法、言論・芸術関連法
武蔵野美術大学造形学部教授 博士(法学)。2000年より武蔵野美術大学で、「憲法」および表現者のための法学を担当。研究対象は、表現の自由と人格権、文化的衝突と人権・民主過程、文化芸術に関連する法律分野。映画や音楽などの文化の中に憲法の精神や歴史背景を探る講演活動がライフワーク。著書に『文化戦争と憲法理論』(法律文化社、2006年)、『映画で学ぶ憲法』(編著・法律文化社、2014年)、『表現者のための憲法入門』(武蔵野美術大学出版局、2015年)、『合格水準 教職のための憲法』(共著・法律文化社、2017年)、『「表現の自由」の明日へ』(大月書店、2018年)。



