- 2022年03月01日 12:00
北京五輪の裏でも続くウイグル問題 あいまいな態度を続ける日本の現状
2/2米国が中国のITベンチャーに厳しくなった背景

21世紀に入り、漢族のウイグル地区への進出が本格化するにつれ、ウイグル族は漢族による社会的差別を直接的に実感するようになった。これに伴い、ウイグル族の不満が溜まって、民族としての文化的な目覚めもあり騒乱やテロが起きた。中国が急速にウイグル地区への抑圧を強めたのは、メイセムの例から2014年以降のことだと読み取れる。
これに対して中国政府は差別を見直す方向には向かわず、アメリカの技術を積極的に導入し、中国国内のITベンチャー企業の協力を得て、AIを活用して徹底的に住民を監視するシステムを作り上げた。そして監視するだけではなく、文化大革命的な「再教育システム」と結び付け、さらには最先端の妊娠中絶技術などと組み合わせることで文化的、民族的にウイグル族を葬り去ろうとしているといわれるのが現在のウイグルの「状況」である。
こうしたAIによる住民監視システムはウイグル族のみならず、おそらく中国の多くの国民に適用されており、国内の強権的統治のためのITプラットフォームとなっている。そして、Huawei、微博、SenseTimeといった新進気鋭の中国のITベンチャーがこの国民監視システムを技術面、データ収集面で支えている。そして彼らに技術的基礎を与えたのはNVIDIAやマイクロソフトといったアメリカの会社である。
みなさんご存知の通り、こうした構造に気づいたアメリカは2010年代後半からHuaweiをはじめとした中国のITベンチャーに厳しい態度を取るようになり、特に最先端半導体を彼らに作らせない、使わせないように輸出管理を強めている。一方中国としてはアメリカに頼らずとも最先端の半導体を作れるように莫大な投資を進めており、この米中の関係を本書では「米中の技術冷戦」と呼んでいる。
ウイグルは“漫画「どろろ」の百鬼丸”ではないか

さてでは日本はというと、一応アメリカに追随をしているものの、中国経済無しでは国内経済の成長が難しくなるため、あいまいな態度を取っているのが現状である。無責任なようだが政治のこうした態度も、背後に国民の生活がある以上、仕方ないとも言える。
私がこうした日本の状況を見て彷彿するのは手塚治虫の描いた「どろろ」という漫画だ。「どろろ」は戦国時代にある地の領主が息子である百鬼丸の身体を妖怪に捧げることで領地の繁栄を手にしたところから始まる。成長した百鬼丸は自らの身体を取り戻そうと妖怪と戦うが、百鬼丸が妖怪を破り身体を取り戻す度に、祟りで領土を疫病や日照りなどの不幸が襲う。それに対して領主側は「お前さえ死ねば領地の繁栄を取り戻せるんだ」と百鬼丸を殺そうとする。そのような陰鬱な物語である。
日本にとってウイグルは百鬼丸ではないか?
それが今問われていることのように思う。ウイグルの犠牲に目を瞑ることで得られる繁栄は確かにあるだろう。ただそのような繁栄は、いつしか自暴自棄になったウイグル族と日本の暗鬱な闘争を生まざるを得なくなるように私は思う。
もちろん「日本人のことを第一に考える」というのは日本の政治の大原則だとは思う。ただそれに甘んじてその陰にある他民族の犠牲に目を瞑ることは、因果応報が重なって将来的に我が国に大きな問題を生むことになりかねないのではないか。だから日本としては中国の繁栄の非益を受けながらも、せめてもの責任として「米中の技術冷戦」に積極的に参加、協力するくらいのことはしなければならないのではないだろうか、と思う。




