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鎮魂の「三月」

三月十一日の今日、喪服そして黒ネクタイで家を出て東京の国立劇場での「東日本大震災二周年追悼式」に参列する。
 式は、国歌斉唱と地震発生同時刻における黙祷で始まった。
 天皇皇后両陛下の御臨席のもとに、まことに厳かで感銘深い追悼式であった。
 
 天皇陛下の「おことば」は、ありがたく心に染みわたった。
 天皇皇后両陛下は、岩手県、宮城県そして福島県の各遺族代表のことばに対して、体の角度を遺族代表に向けられ静かに聞き入っておられた。
 共に高台に逃げているときに津波に呑み込まれ母を亡くした遺族、妻と幼い子を亡くした遺族そして全てをなくした遺族が、「東日本大震災犠牲者之霊」と墨書された柱に向かって各々思いを語られた。
 
 東日本大震災と巨大地震による死者行方不明者、二万人を越える。

 さらに、三月に対する追想。
 三月十一日の前日三月十日は、
 奉天大会戦勝利の日つまり陸軍記念日であり、後の東京大空襲の日だ。
 また、米軍による東京大空襲を一日でも遅らせようとして、二月から文字通り必死の戦いを始めた硫黄島守備隊二万人が玉砕してゆく月が三月だ。

 明治三十八年(一九〇五年)三月十日、日本軍は奉天城の門に日の丸を掲げる。
 同日、奉天偵察の為に将校斥候にでた将校八騎は、城内から清国人がロシア人家庭からの略奪物資を担って出てくるのを確認し、意を決して奉天城内に入り、午後三時頃「奉天城に敵影なし」と報告する。
 同日午後五時、奥第二軍隷下の大阪第三七聯隊第二大隊が奉天城内に突入して日章旗を掲げた。
 ここに、十日間にわたる奉天会戦が終結する。
 そして、満州の黄塵の荒野には、一万六千余の日本軍戦死者の遺体が累々と横たわっていた。
 
 その戦死者の状況を、戦場巡視にでた総司令部付川上素一大尉は、同じく巡視中の石光真清少佐に次の通り報告する。
「このような戦闘は、命令や督戦でできるものではありません。兵士一人一人が、『勝たねば日本が滅びる』と、はっきり知っていて、命令されなくても、自ら死地に赴いています。
 勝利は、天佑でも、陛下の御稜威でもなく、兵士一人一人の力によるものであります」

 現在の人口一億二千万人。そのなかの二年前の東日本大震災による二万余人の死が、全日本にこれほどの悲しさを残している。
 百八年前の人口六千万人の時の、奉天に於ける二十歳代の男子一万六千余人の戦死が、国内にどれほどの悲しみをもたらしたのであろうか。
 そして、六十八年前の東京大空襲においては、三月十日一夜で十万人が焼き殺されている。

 同じく六十八年前の二月十九日、アメリカ軍は硫黄島に海と空から猛攻撃を開始した。
 アメリカ軍は、硫黄島作戦は数日で終わると思っていた。事実、二月二十三日には擂鉢山頂に星条旗を掲げた。
 しかし、その星条旗は、以後二度にわたって降ろされ、二度新たに「日の丸」が掲げられたのだ。
 
 硫黄島守備隊二万二千七百八十六名は、一兵卒に至るまで、一日でも長く硫黄島で戦い抜くことが、東京の学童が疎開する時間を稼ぎ彼等の命を守ることにつながると自覚していた。
 そして、千二十三名だけが捕虜となって生き残っただけで、二万千七百六十三名は玉砕してゆく。
 六十八年後の現在においても、未だ島に埋没する遺体は一万柱を越える。
 
 三月十七日、硫黄島守備隊司令官栗林忠道中将は、次の通り「全将兵に告ぐる命令」を発する。
一、戦局は最後の關頭に直面せり
二、兵団は本十七日夜総攻撃を決行し敵を撃砕せんとす
三、各部隊は本夜正子を期し、各当面の敵を攻撃し、最後の一兵となるも飽くまで決死敢闘すべし、大君(三語不明)て顧みるを許さず
四、余は常に諸子の先頭に在り
 
 三月二十一日、大本営は、硫黄島守備隊二万余の玉砕を発表する。

 しかし驚くべし。
 大本営の玉砕発表の後も、栗林中将と市丸海軍少将は、まだ戦っていた!
 三月二十六日午前二時頃、栗林中将と市丸少将は、白襷をかけて壕をでた。大須賀旅団長、高石参謀長、池田第百二十五連隊長、中根師団参謀そして約四百名の将兵が従った。
 夜明け近く、前方に敵陣を認めた栗林中将は、軍刀を抜き攻撃前進を下命した。
 米軍は大混乱に陥るが、まもなく栗林中将は大腿に銃弾を受けて部下に背負われて指揮を執る。

 しかし、出血がひどくなり背中から降りて「屍を敵に渡すな」と言い残して自決する。
 出血多量で手の自由がきかず、中根参謀が拳銃を中将の頭部に当てて引き金を引いた、とも伝えられている。
 中将の側にいた大出純軍曹が、敵の銃弾を受けて意識不明になり、捕虜となって蘇生し、三月二十六日の中将の総攻撃の模様を伝えた。

 栗林忠道中将の大本営宛決別電は次の通り(昭和二十年三月)
   國のため 重き務めを 果たしえで 
           矢弾尽き果て 死ぬぞ悲しき

 これに応える今上陛下の硫黄島における御製(平成六年)
   精根を 込め戦いし 人未だ
           地下に眠りて 島ぞ悲しき

 百八年前の三月の奉天と同じように、六十八年前の三月の硫黄島にも自ら死地に赴いた二万人の日本人がいる。
 そして、六十八年前の三月十日、
 東京では十万人が生きながら焼かれ、
 二年前の三月十一日、
 東日本で二万人の同胞が一瞬に天に昇った。

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